春ひらく/壮大な鞄の夢
春ひらく
春だよ。春が来た。鞄につくしを入れて、菜の花を入れて、蓮華草も入れてしまう。白詰草が咲いたら、花冠を作りたい。
裸足になり、まだ水のない田を駆けまわる。
鞄は道端に置いておく。
鞄の口からこぼれた草花を、燕や雀が気にしている。
犬と散歩する人影が見えた。急いで、毛深い足を撫で、肉球を拭いて、ひとの形に偽装する。靴を履いて鞄を持って、にこやかに、歩き始める。
足下の影は獣の形。機嫌よく歌いながら、街の方へと出かけていく。
春の匂いの少ない路面に、点々と花をこぼしていく。
眠り続ける者にも、春を分ける。ビルの入口警備の、石獣の友達にも。
ひとの野原は広大で、それでも春は訪れる。
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※
壮大な鞄の夢
駅裏で小さな修理店を営んでいる。不便な場所だが、今日も品物を預かった。
古びた茶色の革鞄が、作業台にムスッと鎮座する。
「テセウスの船、ヘラクレイトスの川」
唐突に鞄が喋った。思わず、交換部品を準備する手を止める。
「部品交換された船は最早ほんにんではないのか?」
論争好きな古道具もたまにあるので、驚かない。黙って手を動かすと、鞄が続けた。
「吾輩は、新たな部品には吾輩の要素なく、吾輩から排出されるものこそが吾輩というアイデンティティを得ていると考える。吾輩にあらゆるものをくっつければ、世界は吾輩になる!」
壊れた金具だけ付け替えた鞄は、壮大な夢をぼやきつつ、持ち主のもとへ帰った。
(299文字)
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