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第37話・本当の賢さ

 「さっ!料理も冷めてしまいますから、頂きましょうか!」


課長の取り繕う一言で、やっと食事にお箸をつける事となった時だった。


「ママ……」


な、何?この甘えた声は!

思わず顔を上げると、困った顔をして魚を見る浅田さん……


「一樹ちゃん、ちょっと待ってね♪」


そして、当たり前のように浅田さんのお皿をひょいと受け取り、パパッと早業で魚を骨と身に取り分ける浅田母……


薄々勘付いてはいたけど……こ、これって、噂に聞くマザコンという人種?!


初めて目の当たりにした光景に、動きが固まってしまう……


「一樹ちゃん、これで大丈夫よ♪」

「ありがとう、ママ♪」


課長がポロッとお箸から魚を落とし、そのまま固まっている。


大丈夫ですよ……その反応、解ります……ってか、浅田さん親子の回りに、お花畑が見える気がする……


課長と私は、苦笑いしか出来ない時間を過ごした。




 食事も終わり、そろそろ帰りたいと思っていると、浅田母がまたしてもしゃしゃり出てきた。


「一樹ちゃん、そろそろ杏奈さんをお散歩にお誘いしたらどうかしら?」

「そうだね、ママ♪」

「杏奈さんも、それでいいわね。」


いえ、可能なら避けたいのですが……


「まっ、ここは若い人同士で……」


課長が魂を売った!


お嬢様笑顔も忘れて、思わず課長に鋭い目線を送る。


「あら、杏奈さん、どうかされたの?」

「い、いえ……何もございませんわ。」

「早く行ってらっしゃいな。いつまで一樹ちゃんを待たせるつもりかしら。」


浅田さんは既に中庭へ出ているようで、浅田母に促されて渋々席を立った。


着物で歩くのが遅い私を置いて、浅田さんは人工川に掛かる傾斜がキツそうな橋の上まで行き、こちらを見ながらニコニコと笑っている。


そこまで自力で来いって事かしら……

愛想良く笑う事を否定はしないけど、この男、歩くペースを相手に合わせる事もしないし、ましては段差を気遣う事も無い……

こ~ゆ~時って、人格が見えるのよね……


「お待たせしました。」


ツルツルと滑る草履を踏みしめながら、何とか橋の上まで到達した。


「杏奈さん、新婚旅行は何処にしますか?」


……はっ?!この男は何を言っているの?!


「そんな急に結婚を決める事は……」

「実は、散歩に行くと言うのは、ママがOKを出したサインなのです♪」

「あの……私は仕事を辞める気は……」

「ママがフランスに行きたいって言ってたし、フランスにしましょう。」


ま、まさかとは思うけど……


「あの……もしかしてお義母様同伴で新婚旅行へ行かれるおつもりですか?」

「ええ、そうですよ。」


そんな男、聞いた事無いわ~!

私はこの男と結婚するつもりなんて、毛頭無い!だけど、敢えて言わせて貰おう!


「親御さん同伴の新婚旅行なんて、聞いた事ありませんわ。」

「大丈夫です。部屋は別で取りますよ♪」


あっ、成る程ね……


「ちゃんと、杏奈さんの部屋も用意しますから、そこで寛いで下さいね♪」


ち、違ぁ~う!この男、新婚旅行へ行って、母親と同じ部屋で寝るつもりなんだ!

嘘でしょ?!誰か、嘘だと言って~!


初めて遭遇する人種に、雷を落とされたような衝撃を受ける。


「では、旅行先も決まった事だし、ママが心配していると思いますので、戻りましょうか。」


口をパクパクさせて言葉が出ない私を置いて、浅田さんはさっさと戻って行った。


あはは……大好きなママの傍がいいって事よね……一生ママに可愛がって貰えっ!!


そして、また急な傾斜の橋を一人でよちよちと少しずつ降りていた時、お手洗いで席を立っただろう猪瀬課長が私の姿を見て、駆け寄ってきた。


「おい、おい、大丈夫か?」

「……大丈夫ならこんな状態にはなっていません。」

「ほら、手を貸すよ。」


苦笑いしながら差し出してくれた課長の手を借りて、何とか橋を降りる。


課長の反応って、普通よね……ったく、あのマザコン男……


沸々と沸き上がる怒りを抑えながら部屋へ戻ると、お花畑状態の親子が話に花を咲かせていた。

だけど、浅田母は私の姿を見た瞬間、怪訝そうな顔を向けてくる。


「あら、杏奈さん、遅かったわね。」

「ええ……」


あなたの息子のせいでね……


「ところで杏奈さん、お茶やお花の腕前は如何程かしら?」

「両方とも経験ありません。」

「まぁ、一体今まで何をしていたの?これは花嫁修行に時間が掛かるわね……」


浅田母はわざとらしい盛大なため息をついて、呆れた表情を浮かべている。


お?これは断りに使えるわね♪


「ええ、ですからこのお話は……」

「今月中に仕事を辞めて貰って、すぐにお稽古に入って貰わないといけないわね。」

「いえ、ですから……」

「心配しなくても大丈夫よ。白菊OG会にお茶やお花の師範をしていらっしゃる方もいるわ。私が言えばすぐに時間を取る方達よ。」

「だから、私には仕事……」

「親もいないのなら、結納金も必要無いわよね。詳しい話は後日にしましょう。」

「あの……お話する事は何も……」

「では一樹ちゃん、そろそろ帰りましょうか。」


浅田母は私の言葉など一切聞く耳を持たず、浅田さんを立ち上がるよう促した。


「一樹ちゃん、今夜は何が食べたいの?」

「う~ん……ママが作ったミートローフがいいな♪」

「今日はお魚も我慢して食べたわね!ご褒美に沢山作ってあげるわね♪」

「やったぁ~!ママ大好き♪」

「ママも一樹ちゃんが大好きよ♪」


お花畑親子が去っていく後ろ姿を、課長と私の二人は茫然としながら見送った。


「……松浦……」

「……何でしょうか?」

「本部長には、何と報告すれば……」

「どうしようもないマザコンだったと……」

「本部長ご推薦をそういう訳にも……」

「では、私には荷が重いと……」

「……分かった。そう言っておくよ。」

「よろしくお願いいたします……」


世の中、色々な人種がいるのね……だけどこれは、想定外過ぎでしょ……ま、マザコンって……ある意味、最強ね……


マンションへ帰って、拓海に愚痴を言いながらビールを飲んだ。拓海は私の話を聞きながら、大笑いをしていた。




 お見合いから数日後の事だった。バン!と勢いよく刑事部のドアが開いたと思ったら、一人のご婦人が怒りの形相で入ってきた!


「松浦杏奈さんはいらっしゃるかしら!」


うわっ!浅田母じゃない!な、何でこんなところまで?!しかもドア縁に寄り添うように、おずおずと中を伺っている浅田さん付きっ!


怯む私を見つけた浅田母は、ツカツカと寄ってきて、凄んでくる。


「どうして、あなたがお見合いを断るのよ!何を勘違いしていらっしゃるの!」

「い、いえ……理由は本部長からお聞きしたかと思いますが……」

「一体あなたは何様なの?!一樹ちゃんがどれだけ傷ついていると思っているのよ!」


お見合いを断るって、よくある話よね……


「今すぐ撤回して、一樹ちゃんに謝りなさいよ!」


「あの……」


猪瀬課長が何とか間に入ってくる。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい。松浦は優秀な職員ですし……」

「お茶もお花も出来ないのに、何処が優秀なの?!それでも嫁に貰ってあげると言っているの!こっちはボランティアみたいなものよ!」


えっ?私を嫁にするのは、ボランティアなの?!


「こちらとしても、急に辞められては……」

「そんな勝手な都合を押し付けないで頂けるかしら!嫁は嫁ぎ先を一番に考えるものなのよ!」

「いや、松浦にも事情というものが……」

「そんな我が儘を許すような上司だから、人の親切を踏みにじるような部下に育つのではなくて?!やっぱり親無しで育つと、ロクな子に育たないのね!」


ピキッ!

私の両親が殺されたと知っている刑事部全体が、私が怒るよりも前に凍りついた!


こ、これはマズいわね……


「黙って聞いていれば……」


凄んでくる八橋さんを拓海が制している。


「鶴崎!何で止めるんだよ!」

「ここは僕に任せて下さい。」


爽やかな仮面笑顔を浮かべながら、拓海は浅田母に近付いて行った。


「マダム、そんなにお怒りになると、上品で綺麗なお顔立ちが泣いてしまいますよ。」


指の背でそっと浅田母の頬に触れ、妖艶な笑みを向けている。


「あ、あら、嫌ですわ……私としたことが……」

「恥じらうその笑顔、とても素敵ですよ。」


浅田母は、ポッと頬を染めて少女の顔つきになった。


こ~ゆ~人って、ホストクラブにハマりそう……

それと、拓海……黙らせてくれたのは有り難いけど、守備範囲が広過ぎよ……


「マダム、杏奈さんは男らしい人が好みなのです。その点はいかがでしょうか。」

「あら、うちの一樹ちゃんは男の鑑よ。問題無いわ♪」

「誰が何を聞いても恥ずかしくない男性だと……」

「勿論よ。」

「では……」


拓海が浅田母の耳元で何かを呟いている。いきなり浅田母が、ガバッ!と拓海から離れた!


「ど、何処からそれを?!」

「何処でしょうね♪」


驚き動揺する浅田母に、にっこりと爽やかな仮面笑顔を浮かべた拓海が、追い討ちをかける。


「誰が聞いても恥ずかしくないのですよね?今、この場で発表しても宜しいでしょうか。」

「いえ……そ、それは……」

「もし、杏奈さんとの結婚を諦めてこのままお帰りになるのであれば、内密にしておきますが……」

「わ、分かったわ!一樹ちゃん!帰るわよ!」


浅田母は逃げるように、浅田さんの腕を引っ張りながら帰って行った。




 マンションに帰り、ビールを飲みながら拓海に尋ねた。


「今日、何て言って、浅田親子を追い返したの?」

「ん?赤ちゃんのようにおしゃぶりをしながら、お母様と一緒に寝ていますよね?って、聞いただけだ。」


ぶっ!

思わずビールを吹き出しそうになるのを、懸命に堪える。


「えっ?!それ、本当なの?公安って、そんな事まで調べる事が出来るの?」

「いやぁ、流石にそこまでは調べれないよ。推測した事を言ってみたらあまりにも動揺していたし、ビンゴだろ。」

「どうやって推測したの?」

「あのお坊っちゃん、少し歯が出てただろ?」

「そうだったかも……それがどうかするの?」

「施設にいた頃、指しゃぶりが止められない小さな子を見ていたんだよ。止められないと、どうしても歯が少し出ちゃうんだよな。その時の小さな子の歯とドアにいた男の歯がそっくりだったんだ。一緒に寝ているっていうのは、新婚旅行の計画を聞けば誰でも分かる事だしな。」

「成る程……」


私には特に気にならなかった事だったけど、拓海にとっては着目点だったのね……


コテンと、隣に座っている拓海の肩に頭を乗せる。


「ん?どうした?」

「ちょっとね……幸せだなぁと思っただけ……」

「そっか……」


拓海はビールを持ち替えて、空いた手で私の肩を抱き寄せてきた。


頭が固いのに学歴をひけらかす人って多いけど、色々な角度から物事を見る事ができる頭の軟らかさを持つ人は、本当に賢いと思う……


尊敬できる拓海が彼氏で幸せだなぁ~と、思える出来事だった。



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