第33話・不確かな約束
新年になり、沢山の観光客が訪れるこの時期、ニューヨーク市警にも沢山の観光客が訪れる。
私はその日本人対応に駆り出された。
内容は至って単純なもので、無防備過ぎる事が原因だ。
「お財布を盗られてしまってぇ……」
「何処で盗られましたか?」
「店の前ですぅ~。お買い物した後にお釣りを入れようとしていて~。」
「道で財布を取り出したの?それは、盗って下さいって言っているようなものよ!」
「だってぇ……」
「いい?ここは日本では無いの!お財布はお金を払う直前まで取り出してはダメだし、すぐにバッグへ仕舞わないとダメよ!」
「そうなのですかぁ……」
「恐らく財布は戻って来ないわ。カード会社に連絡をして、すぐに利用停止にして。」
「分かりましたぁ……」
はぁ……溜め息が出るわね……
顔に出そうになるのをグッ!と我慢して、次の応対をする。
「タイムズスクエアのカウントダウンの時に、リュックのポケットに入れていたパスポートを盗られたみたいで……」
「何十万人も集まるところよ。そんな人混みでリュックのポケットなんて開けられても気付かないわよね?」
「はい……まったく気付きませんでした。」
「そんな時は、前側にリュックを担がないと、格好の餌食よ。」
「明日帰国しないと、仕事があるんです!すぐに見つけて下さい!」
「探しても無駄ね。今頃はもう転売されていると思うわ。」
「そんな……」
「はい、これが証明書です。総領事館へ行って、帰国のための渡航書を発行して貰って下さい。今日か明日にでも発行して貰えますよ。」
「はい……」
ふぅ……疲れた……日本人が平和ボケしているって言われる由縁が分かるわ……
せめて旅行へ行く時くらいは気を付けて貰いたいものね……
心の中でため息をつきながら市警を後にすると、1ブロック先に拓海と二人の男性が話をしているのが見える。
不思議に思いながらも近づくと、見覚えのある顔だ。
「柳沢さん!小野さん!」
拓海と一緒にいたのは、公安の二人だった。
「松浦さん、あけましておめでとうございます。」
柳沢さんがにこやかに挨拶をしてくれる。
「柳沢さん、あけましておめでとうございます。小野さんもあけましておめでとうございます。」
「……あけましておめでとう。」
小野さんはぶっきらぼうながら、挨拶を返してくれている。
ふふ!
相変わらずの正反対の対応に、思わず笑みが溢れた。
「ところで、お二人はどうされたのですか?」
それには、拓海が答える。
「……場所を変えて話をしよう。俺達の部屋でいいか?」
「構わないけど、機密事項なら別の場所がいいのではないかしら。」
「大丈夫だ。定期的に盗聴機の有無はチェックしてある。」
さ、流石は公安だわ……知らない間にそんな事までしていたのね……
アパルトメントの部屋で、みんなにコーヒーを煎れ、小さいテーブルで顔を付き合わせる。
その中、柳沢さんが口を開いた。
「鶴崎からの報告で、ニューヨーク市警でもテイラー教授に目を付けている事は聞きました。」
まだ接点は見つかっていないけど、そういう話になっているのね……
「それで、取り引きをお願いしたい。テイラー教授の身柄は市警に任せます。我々にはテイラー教授に接触している組織の人間を渡して貰いたいのです。」
「組織の人間って、もしかして河猪課長ですか?」
「どの人間かは分かっていません。だが、市警にとっても悪い話では無いと思います。」
一応お伺いは立ててくれているけど、完全にノーとは言えない雰囲気があるわね……
「市警のチームリーダーに聞いてから返事をしてもいいですか?」
「組織の話をしないといけないのは厄介なので、松浦さんだけで判断して下さい。」
「では、もう少し具体的にお話し頂けませんか?」
「難しい事はありません。鶴崎が教授の信頼を得て、報酬の良い仕事を手伝って欲しいと頼まれたそうです。その時に組織の人間が接触してくる可能性があります。ですから、それまでテイラー教授の身柄は拘束しないで頂きたいのです。」
「たぶん、それくらいなら何とかなると思います。」
「助かります。見返りとして、市警で必要そうな捜査資料はお渡し致します。」
公安の二人が帰り、一息つく。
「お腹空いたわ……今からスーパーへ行く?」
「今から作るのも疲れるだろ。開いてるダイナーを探すか?まっ!俺としては姫はじめでもいいけどな♪」
拓海の顔に、黒い笑みが浮かんでいる。ってか、まったく意味が分からない……
「えっと……それは何の食べ物なの?」
「杏奈、知らないのか?」
「初めて聞くわね。私の両親は、なるべく和の文化も教えてくれていたのだけれど……」
「いや……普通、両親は教えないから……」
拓海は言い難くそうに、ボソッと呟いて、私から少し目を背けている。
「そうなの?何かしら……」
「まぁ、ヒントは、俺だけが頂くものかな。」
「拓海だけが……」
はっ!ま、まさか!
気付いた時には遅かった!
再び黒い笑みを浮かべた拓海にソファへ押し倒されている!
「た、拓海!まさか!」
「流石は杏奈、察しがいいな。」
「ちょっ!夕食はどうするのよ!」
「先に杏奈を頂きます♪」
「そんな……んんっ!」
反論は拓海の優しいキスで阻止され、形だけの抵抗なんて無意味な状況に追い込まれる……
「杏奈……可愛い声、もっと聞かせて……」
身体の隅々まで美味しく頂かれてしまい、姫はじめというものを身をもって知る事となる。
結局、その日の夕食は、捜査二課のみんなが送ってくれたうどんや焼き鳥の缶詰になった。
翌日は、他のチームから依頼された意見陳述を全部断り、逮捕された不動産会社社長の経歴を調べた。
テイラー教授との関連を調べるだけなので、目星がついていない捜査よりは楽だ。
とは言っても、中々接点が見つからない……
小学校まで遡ったけど、接点が無いわね……大学や就職した後も違う……
一人で考え込んでいると、ベンが溜め息をつきながらデスクに戻ってきた。
『ベン、どうしたの?溜め息をついていると幸せが逃げるわよ。』
『溜め息くらいつきたくなるさ。電話履歴からもまったくチャックの存在を割り出せ無いんだ。もちろん、交友関係からもな。』
『そう……』
法律の専門家だし、そう簡単に尻尾は掴めないわよね……
『そういえば、不動産会社社長の足どりが分かるものは無いかしら?』
『それは、アンが調べているだろ。』
『学校や働いてからの履歴では何も掴めなかったわ。出来れば、何処か行きつけのパブや遊びに行くところが知りたいのよ。』
『トムがブログに載っていた、行きつけのダイナーは調べたよ。』
『ブログ?』
『会社のホームページにあるんだ。お客にこれを売っただとか、ファミリーで何処へ出掛けたとか、関連はあまり無さそうだけどな。』
『そう、一応見てみるわ。』
ベンからパソコンに視線を移し、不動産会社のホームページを表示させる。
これは売買契約の時の写真ね……詐欺をしなくても順調そうだけど……
可能な限り写真を拡大して、テイラー教授が写り込んでいないかを確認していく。
『アン、そのページはトムが調べているよ。』
『トムの事は信用しているわ。だけど、自分で見ないと気が済まないのよ。』
『分かった。好きにしたらいいさ。』
ベンは大袈裟に肩をすくめて、苦笑いした。
それからまた、ブログの記事と写真をくまなくチェックしていく。
これは家族旅行の写真……あれ?去年はスイートに泊まっていたのに、一昨年は格安のモーテルだわ……急に羽振りが良くなったのね……
更に遡ると、何処かの公開講座を受けたという記事を見つけた。
『仕事にも関連するので、為になります!』って、ホワイトボードに何かを書き込んでいる人をバックに、ピースサインで写真はどうかと……
……ん?この書き込んでいる人の後ろ姿って、テイラー教授に似ている気がする……
『アン、どうした?何かあったのか?』
私の様子を気にして、ベンが声を掛けてくる。
『ベン、不動産会社社長はチャックという人物から、法律スレスレの詐欺手口を教えて貰っていたのよね?』
『あぁ、そうだけど?』
『写真を拡大して思ったのだけど、プログに載っている公開講座、法律関係ではないかしら?』
『法律関係?』
『ええ、ホワイトボードの言葉がそんな感じに見えるのだけれど……そこで出会った人物に関係しているかもしれないわ。』
『そうか!すぐに何処の講座なのか調べよう!って、アンはもう勤務時間終了だな。』
『そうね。次の出勤は、週末を挟んで月曜ね。』
『なら、トムに調べさせよう。』
『分かったわ。ただし、内密に調べてね。チャックという人物に気付かれたら、証拠を隠される可能性があるわ。』
『そうしよう。』
これで二人の接点は見つかったわね。内密なら捜査に時間が掛かる筈だから、拓海達の捜査よりは後になる筈だわ。
意気揚々と市警を後にして、アパルトメントの部屋へ帰った。
明日はテイラー教授の家で、学生を集めたニューイヤーホームパーティーがあるそうだ。
そこで、報酬の良い仕事の説明を拓海にすると言われているらしい。パーティーを隠れ蓑にして組織の人間が接触してくると踏んでいる。
「そうそう、テイラー教授の公開講座だけど、出席者名簿って入手出来る?」
リビングで相変わらずビールを飲みながら、拓海にお願いをする。
「そうだな。あるのなら、たぶん入手可能だ。何か接点が見つかったのか?」
「ええ、不動産会社社長は、テイラー教授の公開講座を受けた可能性があるわ。」
「成る程……そこで詐欺手口に乗りそうな人物を物色している可能性があるな。」
「だから、他にも誘われて悪事に手を染めている人がいるかもしれないのよ。」
「分かった。俺達の捜査の後に探してみるよ。」
「お願いね。週明けには市警も動くかもしれないわ。」
コトッと空になった缶を置き、拓海に向き直る。
「拓海……明日、無事に帰って来るのを待っているわね……」
「何だよ。珍しく愁傷だな。」
苦笑いを浮かべて、拓海がからかってくる。
「当たり前よ。二人ともこんな仕事だから、明日どうなるか分からない事は理解しているつもりよ。だからこそ、無事に帰って来る約束が欲しいのよ。」
拓海の顔が、苦笑いから優しい微笑みに変わり、ふわっと私を抱き寄せてくる。
「杏奈は明日、休みだよな。何か手料理でも用意してくれないか?」
「いいわよ。」
「なら、絶対に戻って来ないとな。目玉だけになっても新しく手足を生やして、目玉父さんになって帰ってくるよ。」
「可能なら避けて欲しいわね……」
「ん?……だけど、その大きさになったら大事なところもミニサイズか……杏奈を満足させられないな……」
「ったく、何の話よ……」
「はは!約束しただろ?杏奈を一人にしないって。必ず杏奈の元へ帰って来るよ。」
「うん……」
「だから、杏奈も絶対に俺の元へ帰ってきてくれよ。」
「目玉母さんになっても?」
「出来れば避ける方向で。」
「りょ~かい……」
ゆっくりと頭を撫でる手に導かれるように、拓海の胸へ頭を預ける。
不確かな約束だと分かっている。明日どうなるか分からないからこそ、少しでも温もりに触れていたい……
そして翌日、拓海は満面の笑みを浮かべながら手を振って、部屋を出て行った。
これが二人にとって長い一日の始まりだった……




