第29話・拓海の欲しいもの
パブを出て帰る時、トムがアパルトメントまで送ると言い出した。
言葉に甘えたいところだけど、トムは拓海の顔を覚えている可能性もあるし、鉢合わせになったら、マズいわよね……
『アンの見立てでは、まだ殺人犯は捕まって無いんだろ?』
『そうね。でもイエローキャブを捕まえるから大丈夫よ。』
『そうかい?じゃぁ、気を付けて。』
軽く手を挙げて、みんなと別れる。
「さて、もう少し大きな通りに行った方がいいかしら。」
う~ん!と背伸びをして、歩き始めた時だった。ふと、ゾクリとする寒気と共に視線を感じる。
気のせい?……だけど私の歩調に合わせて誰かがついて来ている気配が……振り向いて確認をしたいけど、顔を覚えられたらマズイわね……
小走りに大通りへ出て、歩行者信号が変わる直前にダッシュし、追跡者を巻く!
急いでイエローキャブに乗り込み、車の中から追跡者を確認した。
パーカーのフードを頭にすっぽりと被り、顔や髪の色は分からないけど、ネオンに照らされた肌から白人男性だという事が分かる。
その白人男性は、姿が見えなくなるまで、私の乗った車を目で追っていた。
間違い無い……確実に私の後をつけていたわ……
急に現実味を帯びた恐怖に、ブルッ!と震えた。
『だから、まだ犯人は捕まっていないのよ!』
翌日、ニックへ直談判へ行った。
『フードを被っていて顔は分からなかったけど、白人男性だったわ。』
『アン、いくらお前のプロファイリングが外れた事が悔しかったとは言え、嘘は駄目だろ。』
『本当よ!パブを出た後だから、時間は21時過ぎよ!』
『だから、犯人はもう捕まっている。お前を襲う物好きも居ないだろ。自惚れるな。』
『くっ……』
バン!とニックの机を叩き、睨み付ける。
『次の事件が起こってからでは、遅いのよ!』
『分かった、分かった。だが、自作自演だけは止めてくれよ。』
『後で泣きついても、知らないからね!』
悔しさに拳を握り締めながらフロアのドアを出ると、ジミーが追いかけてきた。
『アン、詳しく話を聞かせてくれないか?』
『でも捜査は終わりでしょ?』
『実は、まだ捕まえた犯人の目撃証言が取れていないんだ。被害者のアパルトメント近くの防犯カメラにも映っていなくて……』
『そうだったの……私の考える犯人像は、前に話したとおりよ。今回の男とも、一致しているわ。』
『分かった。レイプ犯以外の白人に絞って、独自に調査をしてみるよ。』
『お願いね。』
その夜、夢を見た。真っ黒で大きな影の手が追いかけてくる。私は必死になって逃げた。
だけど、逃げても逃げても、黒い影の手は私を捕まえようと追いかけてくる。
「あっ!」
狭い裏路地へ逃げ込んだ時、ヒールが何かに引っ掛かり、その場へ倒れ込んでしまった。
その間にも黒い影の手は大きさを増していき、私を鷲掴みしそうな勢いだ。
「や、止めて~!!」
ガバッ!
気が付くと、薄暗いアパルトメントの部屋の中だ。
「はぁ……はぁ……夢だったのね……」
嫌な寝汗に気分が悪くなる。
トントン……
その時、控えめにドアをノックする音と拓海の声が聞こえてきた。
「杏奈?大丈夫か?叫び声が聞こえたけど……」
「大丈夫よ……」
何とか息を整えて返事をする。
「……入ってもいいか?」
「どうぞ……」
ガチャ……
ドアが開き、部屋へ入ってきた拓海が、ゆっくりとベッドサイドへ腰掛けた。
「大丈夫じゃぁ無い事くらい、返事で分かるぞ。」
「……嫌な夢を見たの。私は凶悪犯向きでは無いって、つくづく感じたわ……」
「そっか……添い寝でもしようか?」
拓海は冗談で言ったつもりだろう。だけど、少しでも温もりに触れていたい……
「うん……お願い出来る?」
ハッと、拓海が息を飲み込んだのが分かった。
「ご、ごめん!拓海にとっては地獄だったわよね!」
「いや、構わないよ。」
拓海は少しだけシーツを捲り上げ、その中へ体を滑らせてくる。
「ほら、頭を乗せろよ。」
伸ばしてきた拓海の腕におずおずと頭を乗せると、もう片方の腕が、私の背中へ伸びて、抱き締められる格好になった。
「杏奈……」
「何?」
「勝手が違う捜査で、ちょっと疲れているだろ。」
「……かもしれないわ。」
「週末、旅行へ行くか?」
「旅行?」
「リゾート地でのんびりしようぜ。捜査を忘れてさ。」
「いいわね。森林浴でもいいし、海岸で潮風にあたるのもいいわね。」
「何処か予約しておくよ。」
「ありがとう……」
「今日はもう寝ろ。」
「うん……」
いつからだろう……こんなに拓海の温もりが心地よく感じるようになったのは……
拓海の胸に顔を埋めて、そっと目を閉じた。
もう、悪夢を見る事は無かった……
迎えた週末、レンタカーを走らせて、ハンプトンズへと向かった。ニューヨークから程近い、高級リゾート地だ。
「よく、泊まるところが取れたわね。」
「夏は無理だろうけど、今はオフシーズンだからな。」
「そうだったわね。」
「本当は杏奈の誕生日に予約しようと思っていたけど、まぁ、いいだろう。」
「私の誕生日を知っているのは、公安だから?」
「まぁな。12月8日だろ?」
「当たりよ。」
「確か、太平洋戦争が勃発した日だよな。」
「ついでに言うと、ジョン・レノンが射殺された日よ。」
「……破壊的な日だな。」
ハンドルを握りながら、拓海は苦笑いだ。敢えて、二人とも捜査の話はしない。
他愛もないお喋りを楽しんでいるうちに、コンドミニアムへ到着した。
「わぁ~!部屋に専用のプールがあるのね♪」
コンドミニアムの中へ入り、歓喜の声を上げる。
「泳ぐなよ。風邪をひくぞ。」
「ふふ!流石にこの時期は泳がないわ。」
「後で、ビーチへ散歩に行くか?ついでにシーフードレストランも行こうぜ。」
「分かったわ!楽しみね♪」
ハンプトンズって聞いていたから、カジュアルドレスを持って来ていて良かったわ~♪
それから、着替えてコートを羽織り、海岸沿いへ散歩に出掛けた。
「流石に海が荒れているわね。」
「もう冬だからな。風も冷たいな。」
「本当ね。手袋を持ってくれば良かったわ。日本に置いてきてしまっているのよ。」
「はは!地球半周規模の忘れ物かよ!」
ポケットに手を入れると、右手を取られた。
「こうしておけば暖かいだろ?」
そう言いながら、拓海は私の手に指を絡ませて、拓海のコートのポケットへ入れる。
「ふふ!手袋よりも暖かいかも♪」
「だろ?ロンドンもかなり寒かったぞ。」
はっ……そうだ……拓海は世界を飛び回る公安……いつかは連絡も出来ないところへ任務で行ってしまう……
絶対、私には耐えきれない……なら、拓海の優しさに甘えてはいけない……
思わず俯き、スッと拓海のコートから手を抜く。
「どうかしたか?」
「いいえ……何でも無いわ。」
「……俺には言えないか?」
言える訳無いじゃない……
敢えて明るい笑顔を作り、顔を上げる。
「何の事?それよりも、買い物へ行かない?思った以上に捜査が長引きそうだから、コートを買い足したいのよ。」
「……構わないよ。」
「どんなコートにしようかしら。定番のトレンチならずっと使えそうね♪」
「トレンチコートを着て、アンパン片手に張り込みか?」
「ふふ!ニューヨークでは、アンパンを探す方が捜査よりも難しそうね♪」
何とか話が逸れた事に胸を撫で下ろしながら、然り気無くバッグを右手に持ち替える。
ウインドウショッピングを楽しんだ後は、シーフードレストランでカルパッチョやアヒージョを頂いて、コンドミニアムへ戻った。
部屋のテーブルには、冷したシャンパーニュが置いてある。シャワーの後、一緒に飲もうと約束をしているからだ。
私は先にシャワーを浴びて、ライトアップされているプールが見える窓辺に寄りかかった。
「綺麗……冬で無ければ、プールサイドで飲みたいところだわ。」
「本当だな。」
交代でシャワーを浴びた拓海が、後ろから抱き締めてくる。少しだけ湿った拓海の髪の毛が、首筋に当たった。
「拓海、髪の毛がくすぐったいわ。離れてくれないかしら。」
「なぁ……」
「ん?何?」
「杏奈が不安に思うのは、俺が公安だからか?」
「……どうして?」
「ロンドンの話をした途端に、態度が変わったから……」
「……」
返事をしなかった事を肯定と捉えたのか、拓海は身体を離そうとしない。
「確かに潜入先によっては、連絡も出来ない事がある。海外企業で退職まで勤める事もある。身元がバレた時には殉職する事も……」
「うん……知っているわ。」
「だから、杏奈が不安を感じる事も当たり前だと思う……」
「……」
「それでも俺は、杏奈と一緒に居たい……俺の我が儘だって分かってる……」
「分かっているのなら……」
「愛してるんだ……離れていた一年もの間、杏奈を思い出さない日は無かった……」
私だって拓海を思い出さない日は無かったわ……マンションには拓海との思い出ばかりが詰まっているもの……
でも、向こう見ずの10代とは違う……
「杏奈……」
拓海が私の顎を軽く持ち上げて、自分の方へ向かせた。見た事も無いような真剣な表情の中に、切なさが入り交じっている。
「杏奈が欲しい……」
拓海の顔が軽く傾いた時、けたたましく私のスマホの着信音が鳴り響いた。
「……どうぞ。」
身体を離した拓海に促され、スマホを手にする。相手はニックだった。
「Hello.」
──『アン!今、何処にいる!』
『何処にって、今日は休みよ。』
──『だから何処へ行っているのかと聞いているんだ!』
『……ハンプトンズよ。』
──『ふん、アリバイは完璧か。高級リゾート地とは、いいご身分だな。』
『何がいいたいの?』
──『4人目の犠牲者が出た……』
『何ですって?!』
──『時間は18時頃、時間帯は今までと違うが、長い黒髪の日系人だ。お前が滞在する予定だった女性専用アパルトメントでな。』
『そんな……』
──『今度こそ囮をしてもらうからな!』
ツー、ツー……
ニックは言いたい事だけ言って、通話を切った。
ったくもう!だから犯人は捕まっていないって何度も言ったのに!
「杏奈、どうかしたのか?」
「連続殺人の、4人目の犠牲者が出たわ。悪いけど、ニューヨークへ帰ってもいいかしら。」
「当たり前だ。レストランで飲まなくて正解だったな。」
「お酒はお風呂上がりが一番だものね。」
「流石はよく分かってるな。」
拓海……ごめんね……
心の中で呟いて、コンドミニアムを後にした。




