第16話・キスの相性
リックが私を訪ねてきたその日、誰も頼んでいないのに、早くに帰らされた。
「はぁ……」
溜め息をつきながら庁舎の玄関を出ると、リムジンが止まっている。
不思議に思いながらも通り過ぎようとすると、ドアが開いてリックが降りてきた。
『ハイ!アン!お迎えに来たよ!』
『リック?どうしたの?この車……』
『積もる話は後にして、まずは車の中へどうぞ!』
『分かったわ……』
誰かに見られていたら、明日は噂のネタになるわね……
私が乗り込むと、リムジンの運転手が行き先を尋ねてきた。
「どちらへ行かれますか?」
「港町のノワール・リストワールへお願いします。」
「かしこまりました。」
リムジンがゆっくりと走り出すと、リックは冷蔵庫に手をかけて、シャンパンを取り出している。
『アン、飲むだろ?君の生まれ年のシャンパンを用意しておいたよ。』
『ありがとう……随分羽振りが良くなったわね……』
『もちろんさ!大学を卒業してから仲間と一緒に、会社を立ち上げてね。今はCEOをしているんだ。』
『そう……』
『何だい?あまり興味無いのか?』
『いえ……バイクに乗って旅をしたのが懐かしいなと思ってね。』
『もう、あんな貧乏旅行なんてしないさ。アンが望むのなら、世界一周クルーズでも招待できるよ!』
『それこそ興味無いわ…』
軽く溜め息をつきながらシャンパンに手を伸ばした時、リックが大きなショップバッグを差し出してきた。
それには、ケルメスのマーク……
『アンにプレゼントだよ。』
『必要無いわ。』
『中身も見ないで、必要無いかどうかなんて分からないだろ?』
『見る必要も無いからよ。』
大きさや重さから推測すると、恐らくバッグ……このブランドをチョイスしているという事は、100万円はするバーキンね……
『そんな事言わないで受け取ってくれよ。女の子はみんな欲しがるいい物だよ。』
『まぁ、素敵なバッグ!リックって本当に凄いのね~♪なんて、言うとでも思ったの?物で釣ろうなんて、考えが浅はかなのよ。高いものをプレゼントすれば誰でも喜ぶと思っているなら、大間違いよ。』
『やっぱり色違いで10個くらい用意すれば良かったか……』
そ~ゆ~問題では無いから……
心の中で突っ込みを入れた。
レストランに着いても、リックはお金持ちになった自慢話ばかりだった。
『……それで、女の子達が僕の顔を見ると、すぐに寄ってくるんだ。何処かへ行きましょう!ってね!だけど僕はそんな誘いには乗らないのさ。』
『どうしてなの?』
『モチロン、アンしかいないからだよ!アンは僕に選ばれたラッキーガールなのさ!』
『アンラッキーだけどね……』
『えっ?何か言った?』
『いいえ、何も……』
弾む事の無い会話と食事が終わり、コーヒーを飲んでいる時だった。
『アン、僕と一緒にアメリカへ帰ろう。』
『嫌よ。』
『どうしてだい?必ず君を幸せにするさ。』
『私の幸せを思うのなら、諦めてくれない?』
『もしかして他に男がいるのかい?』
う~ん……拓海と一緒に住んでいるし、ここは使わせて貰うか……
『そうよ。新しい幸せを掴んでいるの。』
『どんな男?僕よりもお金持ちなのかい?』
『リック……私が好きだった頃のリックは、お金で人を測るような真似はしなかったわ。』
『お金を持って、初めて見えてくる世界ってあるんだよ。』
『過ぎたお金は、身を滅ぼすわよ……』
『アンは心配性だな。』
いや……絶対に感覚が麻痺しているわよね……
帰りはマンションの前まで送ってもらった。
『アン、また来るよ!』
『二度と会わないと思うわ。元気でね。』
握手もせずに踵を返して、マンションのエントランスへ入っていく。
「ただいま……」
玄関を開けるとすぐに、拓海が駆け寄ってきた。
「杏奈、おかえり。リムジンはどうだった?」
「えっ?な、何で知っているのよ!」
「本部中の噂になってたぞ。」
目撃者がいたのね……
「はぁ……明日は覚悟しておくわ……」
ピンポーン……
ハイヒールを脱いでリビングへ入ろうとした時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「えっ?直接玄関まで?誰だろう……」
覗き穴を覗いてびっくりだ!リックが立っているじゃない!
玄関ドアを開けると、リックは、ずかずかと内側まで入ってくる。
『アン!言い忘れていたのだけれど……』
リックの言葉が止まり、私の後ろへ視線が移った。
『お、お前は!アンのオフィスにいた男!』
『どうも~♪』
拓海は余裕の笑みを浮かべて、軽く手を振っている。
『どうしてお前がいるんだ!ここはアンの部屋だろ!』
『僕達、一緒に暮らしていますから♪』
『そうか!さっきアンが言っていた新しい幸せって、お前のことか!』
その言葉で何かを察知した拓海は、グッと私の肩を抱き寄せてくる。
『僕が、新しい幸せで~す♪』
助かるけど、その挑発するような言い方は止めなさいよ……
リックは肩を落として、私に向き直った。
『アン……本当だったのか……』
『ええ、本当よ。』
『……これくらいで、諦めないぞ!僕はビジネスで暫く日本に滞在するんだ!その間に絶対奪い返してやる!』
ビシッ!と拓海に中指を立てている。
『杏奈は、絶対に譲らないよ。』
宣戦布告を受け取った拓海が黒い笑みを浮かべて、私の顔を覗き込むや否や……いきなり深い口付けをしてきた!
「んっ!」
な、長い……見せつけるだけなら、フレンチキスで充分じゃない……
力が抜けそうになってきたところで、やっと唇が離され、拓海が私を抱きしめてくる。
『リック、これで分かっただろ?僕達は愛し合っているんだ。』
『こ、こんな事……絶対に認めないからな!』
ダッ!と、リックは外廊下へ走り出て行った。
玄関ドアに鍵を掛けた拓海の顔は、腹黒笑顔満面だ。
「中々の演技だっただろ?」
「演技であんなキスをしなくても……」
「あのくらいでないと、納得しないだろ。まぁ、貸しイチって事で♪」
「はぁ?誰も頼んでないわよ!」
「せっかく助けてやったのにな~。」
「まぁ、感謝だけはしておくわ。」
「なら、今夜はヴィンテージ物のワインでも飲むか。」
「ちょっと!勝手にワインセラーを開けたでしょ!」
「今日のお駄賃ってことだよ♪」
くっ……や、やられた……
「それに、やきもきさせられたしな……」
通りすがりにボソッと何かを呟いている。
「ん?何か言った?」
「いいや、何も~♪」
そして拓海は、ワインセラーへ歩いていった。
もう……あんな愛しむようなキスをされると、癖になってしまうじゃない……彼氏でも無いのに……
はっ!そういえば、その人との相性はキスで決まるって聞いた事がある!って事は、私と拓海は相性が……
無い無い!絶対に有り得ないからっ!
「お~い!いつまで玄関にいるつもりだ?早く飲もうぜ!」
「先にシャワーを浴びたいの。先に飲んだら殺すわよ。」
「お~!怖い怖い!我慢できなくなる前に、入ってくれよ!」
「分かったわ!」
リビングにいる拓海に返事をして、自分の部屋へジャージを取りに行った。
ヴィンテージワインを味わいながら、ノートパソコンを取り出す。
「あれ?杏奈、どうしたんだ?」
「リックの事で、ちょっと気になることがあってね……」
「何かあったのか?」
「羽振りが良すぎるのよ。会社を立ち上げてCEOに就任していると言っていたけど、まだそこまでの大企業では無いだろうし、無理して金持ちぶっているようにも思えてね……」
「成程な。元カノとしては心配になるってところか?」
「そうでは無いけど……あった!リックのフルネームで検索してヒットしたわ!」
「どれどれ?」
拓海と一緒に、画面を覗き込む。
「会社のCEOは間違いないようね……海外のゲームを集めたサイトを運営しているみたいだわ。それで日本にも来たのかもね。ただ、そこまで大規模では無いような……」
検索画面をスクロールして、更にチェックしてみる。
「……やけに豪遊している記事が載っているな。」
「そうね……」
検索の5ページ目に入ったところだった。
「おい!杏奈!リックが金を返していないって書いてあるぞ!」
「本当だわ!」
「会社の業績もイマイチって書いてあるな。」
「……豪遊の旨味を知ってしまったから元に戻れないのか、羽振りがいいところを見せて相手を信用させる手段なのか……どちらにしろ、あまりいい事では無いわね……」
「もしかしたら、杏奈の資産目当てじゃぁないか?研究所や家を売った事は知っているんだろ?」
「ええ、恐らくね。」
「設備込みの研究所は高いだろうからな……家はどのくらいの大きさだったんだ?」
「普通かしら。6LDKでプールが付いていたわ。」
「……それ、普通では無いから。」
「そう?周りの家の中では、小さい方だったわよ。」
「たぶん、俺が住んでいた施設と変わらない広さだろうな……しかも、施設には小さい子供用のビニールプールだけだったし……」
いや、アメリカの家は日本より広いのが当たり前って、知っているわよね……
「そういえば、拓海の燃えた家は、持ち家だったの?」
「ああ、会ったことの無い、祖母の遺産だよ。」
「……会ったこと無いの?」
「俺の両親、駆け落ちして勘当されていたらしいんだ。だけど、バス事故で、赤ん坊の俺だけが生き残ったらしく、祖母が俺を探し当てた時には、祖母は寝たきり状態……で、死後に代理人の弁護士がやって来て、相続したって訳だ。」
「そうなの……変な事を聞いてごめんなさい……」
「そう暗くなるなって。だから俺は、杏奈みたいに知っている人間を失った悲しみが無いんだ。むしろ、理解してやれなくて悪いな。」
とりあえずリックの目的は、私との復縁ではなくて、お金だろうという事で意見が一致し、庁舎には出入り禁止をお願いする事を決めた。




