第1話・腹黒キャリアくん
全てを脱ぎ捨てた私の素肌を、拓海の指先が艶かしく滑っていく……
全てを忘れさせてやる……
その言葉どおり、拓海は息をつく暇が無い程、優しく、時に激しく、波のように押し寄せてくる。
「杏奈……」
愛しむ囁きは無くても、私の名前を呼ぶ掠れた声に、この人から愛されているという錯覚に陥ってしまいそうになる。
今夜だけは、甘やかして……何も考えれなくなる程に……
そんな思いを伝えるよう、拓海の背中を掻き抱いた。
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何故、天敵だった拓海とこうなってしまったのか、それは数ヵ月前に遡る……
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ある夏の終わりの頃だった。
「そこを退けっ!」
「きゃっ!」
体当たりしてくる犯人を目の前に、怖がるフリをして重心を低くする。
「松浦!」
「杏奈ちゃん!危ない!」
少し離れた場所から、他の犯人を取り押さえた捜査一課の八橋さん達が私の名前を叫んでいる。
ってか、このくらいで怖がって、刑事なんて務まる訳無いじゃない!
飛びかかってくる犯人のみぞおち目掛けて、思いっきり肘鉄!
ガボッ!
うん、いい感触♪
「ごほっ……」
犯人は声にならない痛みに、膝から崩れ落ちていった。
「大丈夫か?!」
崩れ落ちた犯人を取り押さえながら、河猪課長が気遣ってくれる。河猪課長は県警本部刑事部捜査二課の課長で、私を捜査二課へ引っ張ってくれた人だ。
「はい、大丈夫ですぅ!ちょっと怖かったですけどぉ~。」
「何処も怪我をしてないか?」
「お陰様で無事ですぅ♪」
「なら良かった。そろそろ二課に戻るか。」
「了解で~す♪」
スリ集団のアジト摘発を終えて、甘ったるい返事をしながら覆面パトカーに河猪課長と乗り込んだ。
何故、わざとカマトト振るのかというと、控えめでか弱い女性が好まれる日本では、世の中得する事が多いからだ。この処世術は、日本の大学に通っている時、周りの女の子達から習得した。
「怖い思いをさせて悪かったな。松浦が今、追っているカード詐欺グループと関連がありそうだと、捜査一課から応援を頼まれたんだ。」
「それで関連は…」
「これから一課が取り調べて分かってくるだろう。まぁ、一課の連中は松浦と一緒に居たかっただけかもしれないけどな。」
「ふふ!私でお役に立てるなら♪」
「そんな事を言ってたら、面倒な事件ばかり押し付けられるぞ。出来るだけ断ってやるけど、無理な時は無理って言えよ。」
「お気遣いありがとうございま~す♪」
そんな会話をしながら県警本部手前の交差点で信号待ちをしていた時、何かを思い出したように、河猪課長が口を開いた。
「そうそう、朝から摘発に出ていてすっかり忘れてた。今日から一人、キャリアがウチに入ってくるからな。」
えっ?キャリアが来るの?面倒だなぁ……と、思いつつ、お嬢様笑顔を向ける。
「そうなのですかぁ?ウチに来るなんて、珍しいですね♪」
「まぁ、本人の希望でちょっとした物見遊山みたいなものだろうから、長くは無いと思うけど、よろしく頼む。」
「わかりましたぁ~♪」
覆面パトカーを駐車場に停めて降りると、一緒に摘発へ出ていた捜査一課の八橋さんが駆け寄ってきた。
「杏奈ちゃん、大丈夫?」
「はい、大丈夫ですぅ♪」
「しかし、いいタイミングでしゃがんだな。お陰で犯人確保に繋がったよ。」
「偶然でもお役に立てて良かったですぅ♪」
「何なら一課に異動して来ない?杏奈ちゃんがいると、検挙もスムーズだし。」
「そんな事……」
お嬢様笑顔で断ろうとした時、グッ!と河猪課長が私の腕を引っ張り、八橋さんから離した。
「駄目だ。松浦自身が二課を希望して、俺が引っ張ったんだからな。」
「大体、白菊女学院出身のお嬢様が、何で二課なんだ!」
「なら益々、凶悪事件を扱う一課には合わないな。松浦は目の付け所がいいから知能犯向きだ。松浦、キャリアが待ってるから早めに戻るか。」
「では一課の皆様、何か関連が分かったら教えて下さいね~♪」
極上のお嬢様笑顔を向けて、八橋さん他、一課の面々へにこやかに挨拶して、刑事部へ戻った。
「お帰り~!杏奈ちゃん、お疲れやったな!」
刑事部フロアのドアを開けると同時に声を掛けてくれたのは、二課の先輩である蝶谷さんだ。背が高くて、関西人独特の軽さがあるけど、聞き込みや取り調べの話術はピカイチだ。
「ただいま帰りましたぁ~♪」
私の後ろから顔を出した河猪課長が、苦笑いしている。
「俺も居るんだが……」
「課長、お疲れじゃったのぉ。」
蝶谷さんの代わりに課長へ声を掛けてくれたのは、同じく二課の先輩で強面の鹿野さんだ。広島弁を話し、本職のようなゴツい体つきからは想像出来ない程、華麗なタイピングでパソコンを操る。
二課にもう一人、見馴れない顔があった。パッと見は優男といった爽やかな好青年だ。河猪課長が軽く手を挙げて、好青年を呼び寄せた。
「キャリアくん、待たせたな。」
「いえ、大丈夫です。因みに名前は鶴崎拓海です。」
「はは!すまん、すまん!すっかり忘れてたよ!」
河猪課長が苦笑いしながら、私へ向き直る。
「松浦、こいつがキャリアの鶴崎だ。」
「初めまして、松浦と申します。よろしくお願いしま~す♪」
軽く頭を下げてにこやかに挨拶。キャリアくんも爽やかな笑顔を向けてくる。
「初めまして、松浦杏奈さん。噂どおりお綺麗な方ですね。僕は鶴崎拓海と申します。同い年ですし、拓海と呼んで下さい。」
キャリアくんが差し出してきた手に、自分の手を重ねた。
ピコ~ン!ピコ~ン!
はっ!握手と同時に、危機回避能力発動!こいつの笑顔は仮面だわ!絶対腹黒よっ!
「ふふ♪拓海くん、よろしくお願いしま~す♪」
「杏奈さん、こちらこそよろしくお願いします♪」
負けじと極上のお嬢様笑みを浮かべて、にこやかな挨拶を交わす。
極力関わりたく無いタイプね……
「鶴崎は最近までアメリカで再犯撲滅システムを学ぶ為に、留学をしていたそうだ。それを活かす為に現場も経験しておきたいと、今回の配属となった。」
そういえば、今日は愛読書のマンガの発売日♪早く報告書を書いて帰りたい!
「それで、ウチは基本的にはチームで動くが、捜査に出る時はバディで行くんだ。鶴崎は誰とバディが希望だ?」
「う~ん……皆様お忙しそうですし、ご自身のスタイルもあるでしょうから、お邪魔にならないよう自分のスタイルと合う方が希望です。」
「じゃぁ、暫く様子を見てから決めるか。」
「はい。」
報告書を書き終わり、帰宅する為、ロッカールームで結んでいた長い髪を解いてハイヒールに履き替える。
「ではお先に失礼しま~す♪」
二課のみんなに声を掛けると、蝶谷さんがからかってきた。
「お?杏奈ちゃんは毎週木曜日は早いやん!彼氏とデートなんやろ~!」
「ふふ、行きつけのフレンチを食べて帰るだけですぅ♪」
カツッ、カツッ……
ヒールを鳴らしながら庁舎を出て、今日もお嬢様ミッション完了~♪
自宅マンションへ帰ると、即行でコンタクトを外して化粧を落とし、シャワーを浴びる。その後は、量販店で買ったジャージに身を包み、眼鏡を掛けてソファに座り込むと同時に、至福の時の始まりだ。
「ふわ~!やっぱこのスタイルが一番落ち着く~♪」
干物女スタイルの私を見て、誰も仕事中の私と同一人物だとは思わないでしょうね♪
そんな事を考えながら、髪の毛をタオルでガシガシと拭いて台所へ向かう。
「さて、ビール♪お気に入りのプレミアムシルバードライを買ってあるし♪って、今日発売のマンガ買うの忘れてたわ!」
外に出るのが面倒だわ……でも今日しか早く帰れないかも……
帳場が立つと泊まりも多い仕事だ。今動かないと見逃してしまう可能性もあるわね……
「仕方ない、コンビニへ行くか……」
行きつけの店はフレンチレストランではなく、マンションのすぐ近くにあるコンビニだ。いつも仕事帰りか、ぺたんこサンダルに眼鏡を掛けたジャージ姿で買い物へ行く。
途中、コンビニの隣の一軒家に目がいった。この近辺では、この家だけが昭和時代を彷彿させている。
「いつも思うけど、こんな昭和な平屋に住んでる人なんて、いるのかしら……」
まっ!私には関係無いし、マンガ!マンガ♪
さっさとコンビニに入って、少年マンガとビール、おつまみのいかピーをかごに入れてレジで会計を済ませた。
ふふ!早く続きが読みたい♪あの超人との闘い、どうなったかな~♪
逸る気持ちを抑えながらコンビニを出た時だった。
「昭和な平家で悪かったな。」
……へっ?!
コンビニの入り口を恐る恐る振り向いて、声の主に目を向けてみる。
って、キャリアくんが入り口に凭れて、こっちを見てるじゃない!や、ヤバいっ!
無視して歩きだそうとすると、更に声を掛けられた。
「最近のお嬢様は、いかピーもフレンチと言うんだな。」
か、完全にバレてる?!いや、ジャージ姿だし、まだ人違いで済まされる筈だわ!
「な、何の事かしら……」
ここは、ダッシュで逃げるしか無いっ!踵を返すと、背中へ更に追い討ちされた。
「アメリカの名門エール大学に飛び級で入学、17歳の時、研究者だった両親が日本の学会へ出席している時に事故死。その後は単身で日本に戻り、お嬢様学校で有名な白菊女学院へ入学、卒業後は準キャリアながら現場を希望して、23歳の時に捜査二課へ異動……まだ説明が必要?」
な、何でアメリカの大学に行っていた事まで知っているの?!
観念して、キャリアくんに向き直った。
「キャリアくん、それで脅してるつもり?」
キャリアくんは爽やかな笑顔とは程遠い、腹黒い笑みを浮かべている。
「飛び級までする才女のお嬢様は、人の名前を覚えるのが苦手らしいな。」
「覚える価値も無い人はね。それに、履歴書にエール大学は載せて無いわよ。その情報は何処で入手したのかしら?」
「それより億ションに住んでるお嬢様が、干物女だったとはねぇ……」
キャリアくんは私の上から下まで、小馬鹿にした目で見ている。
「何が目的よ!」
逆切れ気味に言い返すと、キャリアくんは腕に抱えていた洗面器を少し上げた。
「俺の家、昭和なボロ家だからボイラーが壊れててさ。風呂に入れないんだよな。」
お、俺?!自己紹介の時には、僕って言ってたわよね?!やっぱり二重人格の腹黒ね……
「だから?」
「ボイラーが直るまで、お嬢様の風呂を貸してくれるだけでいい。」
「……はいっ?!何処が、だけでいいのよ!見ず知らずのあなたを部屋に上げる訳無いでしょっ!」
「大丈夫だ。俺はカマトト干物女には興味無い。」
「私だって、二重人格の腹黒キャリアなんて興味無いわよ!」
「なら取引成立だな。お互いの利害一致だろ。」
「うっ……」
ガチャ……
「はぁ、サッパリした♪」
呑気な声と共に、キャリアくんが髪の毛を拭きながら、お風呂から出てきた。
わ、私の週イチの細やかな至福の時が、侵された気分……
「用が済んだら、さっさと帰ってよね!」
ビールを流し込みながら、キャリアくんを睨み付ける。
「見事なまでの人格切り替えだな。いや、お嬢様だから、華麗な切り替えか?」
「腹黒キャリアくんに言われたく無いんだけど!」
クッションを手に取り、威嚇!
「まぁ、いいお湯だったよ。んじゃ、明日もよろしくな。あ・ん・な・お嬢様♪」
「帰れっ!」
キャリアくんは、腹黒の笑みを浮かべながら玄関ドアの向こうへ帰って行った。
「シャワーの代わりに滝に打たれて、正念を叩き直して来いっ!!」
バン!
クッションを玄関ドアに投げつけながら、悪態つく。
あ、明日から、気を抜かないようにしなきゃ……




