第九十五話 紅く、紅く
「気持ちの悪い姿になっちゃって……!」
黒光りする蝿の姿に、何とも言えない生理的な嫌悪感を覚える。
姿形は違うけれど、台所で沸いているあいつに雰囲気が似ているのだ。
恐怖というよりもまず、近寄ってくんなという感覚が先に立つ。
「素晴らしいであろう、この姿は。まさに我が闇を体現していると言っても良い」
「そうね、台所の暗闇って感じかしら?」
「大口をたたいて居られるのも今のうちだけだ」
「そっちこそ舐めるんじゃないわよ! 何とか持たせるわよ……六倍ッ!!」
範囲を絞って、さらに重力を増大させる。
流石にここまでくると……私の身体にも効くわねッ!
全身の骨格が嫌な音を立てた。
頭がクラクラとしてくる。
お腹の底がズンッと重くなり、まともに身動きできない……!
でも、これなら!
「甘い」
「ぐッ!?」
ベルゼブブはスイスイッと軽やかに動くと、強烈なストレートを食らわせて来た。
腹をえぐるような重い一撃。
身体が曲がり、たちまち足が浮く。
重力魔法が効かないと言うのは、口先だけではなかったんだ……ッ!
ベルゼブブの言葉が嘘でも何でもないことを痛感するが、今更遅かった。
吹き飛ばされた私は、そのまま近くの岩へと叩きつけられる。
「ぐぐぐ……! 重力魔法、解除ッ!!」
「自身へのダメージに耐えられないか」
「……お互い、身軽になった方が本気で戦えると思ってね!」
「そうだな。我も同感だ」
実にいやらしい口調で、そう言ってのけるベルゼブブ。
私がどんなハッタリをかまそうが、さらにその上を行ってやる。
そう言わんばかりの、余裕しゃくしゃくとした感じだ。
このデカい蝿め……ッ!!
ふざけた見た目の割に、圧倒的すぎる強さじゃないッ!!
「……これは、いよいよヤバいかもしれない。精霊さん、何かないの?」
『僕に振られても、こ、困るのですよー! ディアナは何かないのです?』
「私も……! とにかく気合いだ! 気合があれば何でもできるッ!!」
背中で雄叫びを上げるディアナ。
ああ、素晴らしきかな精神論ッ!!
そうよね、ここまで来たらやるしかない。
考えるな、戦えよッ!
「何をごちゃごちゃ騒いでいる?」
「あんたを倒すための作戦会議よ」
「そんなもの、無駄であろう。潔く覚悟を決めるが良い」
「おあいにく様。あんたみたいなのを相手に潔くなれるほど、私は人間が出来ちゃいないのよ!」
思いっ切り啖呵を切ると、口の中に貯まっていた血を吐き捨てる。
でも果たして、ここからどうしたものか。
敵が一体になったとはいえ、パワーは今までよりも格段に上。
頼みの綱の重力魔法も効かない。
打つ手なんて……あるのか?
「ん? あれは……!」
不意に、キラリと光る何かが目に飛び込んでくる。
目を凝らせば、それはさっき私がベルゼブブに奪われた魔石だった。
身体が一つになった時に、落してしまったらしい。
よし、あれさえあれば……!
「ふふ、良いもの見つけたわ」
「何?」
「あれよ!」
私は会心の笑みを浮かべると、地面を指さした。
そして、そちらに向かって一直線に走り出す。
私の不穏な動きに、ベルゼブブはすぐさま反応した。
奴は巨体で足が短いくせにあっという間に私を追い抜かすと、その前に立ちふさがる。
その動きと来たら、シャカシャカしていてまったく信じがたい速さだ。
私だって相当速度を出していたのに、ほんの一秒ほどで追い越されてしまった。
「ここから先には行かせぬぞ」
「この私が、行かせないって言われて大人しく止まるようなタイプだと思う?」
「思わんな」
「ぬはッ!!」
ベルゼブブは私の肩を掴むと、一切の容赦なく思いっ切りぶん投げた。
軽い体は綺麗な放物線を描き、なすすべもなく吹っ飛ばされる。
その様子と来たら、我ながら小石か何かのようだ。
いくら軽いとはいえ、人の身体がこうもあっさりと飛んでしまうとは。
でもこれが……私の狙いだったのよねッ!!
「よしッ!!」
着地点の近くにあった魔石を、ベルゼブブに気づかれないうちにさっさと口に入れる。
そう、最初に私が向かった場所は完全なフェイク。
ベルゼブブが進路を妨害し、さらに遠ざけようとすることを読んでこの場所と反対の方向へと走った。
王様だろうが黒光りしてようが、所詮は蝿。
人間である私に、おつむでは勝てなかったってところかしらねッ!!
「残念だったわね。実は、こっちの方に用があったのよ」
「なんだと? 貴様、謀ったな!」
「単純なあんたが悪いのよ!!」
「おのれェッ!! このベルゼブブ様をあまり怒らせてくれるなよッ!」
「勝手に怒ってるだけじゃない! さあて、ここからが本番よッ!」
激昂するベルゼブブに見せつけるように、口にした魔石を一気に飲み干す。
たちまち全身に魔力があふれ出した。
この魔石を落した奴は、確かBランクの大猿だったか。
今の私よりもランクは劣るけれども、そいつが生涯をかけて蓄えて来ただけあって莫大な量だ。
その魔力をすべて髪へと流し込んでいく。
五分――いや、三分も持てばいい!
本来は私の肉体と一体化し、長い時を掛けて消費されていくはずの魔力。
それを一気に燃え上がらせ、さらにその濃度を高める。
この戦いが終わるまでいい、後は多少のことなら何とかなるッ!
魔力よ、燃えろ!
そして私の身体を、この一瞬だけでいいから強くしてッ!!
あのデカい蝿を叩き潰せるようにッ!!
負けないようにッ!!
「あがッ!」
無茶な強化に全身が悲鳴を上げる。
骨肉が軋みを上げて、刃で削られるような痛みが体中を襲った。
やがてそれが収まると、今度は肌が燃えるように熱くなる。
正常な進化の時とは違って、恐ろしく不快な痛みだ。
身体が、バラバラになりそう……!!
「ぐぐぅ……!」
『シース!』
「大丈夫か!?」
「無茶をし過ぎて、自爆したか。口ほどにもない」
「まだ、まだよ……ッ!! おりゃアァッ!!」
最後のひと押し!
わずかに消化し切れていなかった魔力をまとめて髪へと送り込む。
くう、燃えるッ!
熱い、熱くて死にそうッ!!
途轍もない温度に達した髪が、轟々と音を立てながら揺れる。
やがてその色は――
「この色は……ッ!」
『フェイルとそっくり……!?』
「紅い……ッ! 私の色……ッ!!」
私の属性を象徴するような、深い紅に染まった――!
ブックマーク1万件!
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