第九十三話 無敵の能力
髪が逆立つ。
ゆらりゆらりと、さながら陽炎のように毛先が揺れた。
髪から溢れ出した魔力が瞬く間に全身を満たし、力がみなぎってくる。
筋肉が張って、わずかにだけど骨が軋んだ。
溢れ出す力の大きさに、思わず笑みがこぼれる。
ぶっつけ本番だったけど、どうやら上手く行ったようね……ッ!
「そりゃァッ!!」
情け無用!
最初から全力のパンチを食らわせる。
いきなり早くなった私の動きに、ベルゼブブはわずかに対応が遅れた。
決まったッ!!
拳が脇腹にめり込んでいくッ!
「グッ!?」
「そら! そらそらッ!!」
デカいこと言ってたわりに、大したことないじゃないッ!!
何が当てることすら出来ぬよ!
自分の方こそ、私のスピードについてこれてないじゃないのよッ!!
右、右、左ッ!!
距離を詰めた私は、膨れた腹に次々と打撃の嵐を食らわせる。
この攻撃に対して、ベルゼブブは終始圧倒されっぱなしだった。
「よしッ!!」
最後に一発、強烈な蹴りを入れる。
足に伝わる嫌な感触と共に、ベルゼブブの身体が折れ曲がった。
ボンッと鈍い音。
それに遅れて、薄緑の身体が豪快にカッ飛ぶ。
そのまま岩にたたきつけられたベルゼブブは、どへッとくたばりぞこないのような悲鳴を上げた。
伝説の魔族という割には、ざまあないわね!
無様に膝をついた情けない姿に、ふっと乾いた笑みが漏れる。
「とどめは……ッ!!」
腰の剣を抜き、間髪入れずに斬りかかる。
だがここで、私はベルゼブブの様子がおかしいことに気づいた。
「あれ、こいつは……違う奴になってる!?」
剣の切っ先が触角に当たったところで、私はハタと手を止めた。
何かがおかしい。
姿形は、先ほどまで私と話していたベルゼブブと同じだけど……こいつは何かが違うッ!
似て非なる奴だ!!
さっきまで、私が戦っていた相手じゃないッ!!
「精霊さん、エコーを掛けて! こいつ、明らかに違うッ!」
『それが、そんなことないのですよ!』
「何がッ!!」
『そいつの魔力の波長は、さっきから変化していないのです! だから、まったく同じ奴のはずなのですッ!!』
「でも、これは……ッ!!」
明らかに違うのだ。
何かが抜けた、とでも言えばいいのだろうか?
話をしていた時には感じていた覇気が、身体のどこからも感じられない。
魂が抜けた、まさにそんな雰囲気だ。
いったい何が――そう思った途端、後頭部に衝撃が走る。
「ぐげッ!?」
『シースッ!!』
「……大丈夫よ。ち、やってくれたわねッ!!」
振り向けば、そこにはずいぶんと元気の良いベルゼブブの姿があった。
やっぱり、さっきまで戦っていたやつは別人だったようね。
しびれるような威圧感に、思わず目を細める。
種は分からないけれど、戦い始めた時に偽物と入れ替わったようだ。
「入替りなんて、セコイ真似するじゃない」
「入替ってなどいない。奴も我だ」
「……はい?」
意味が分からなかった私は、呆れた調子で返した。
するとベルゼブブは、芝居がかった仕草をしながら言う。
「あそこに転がっている肉体も、いま話をしているこの肉体も、等しく我の身体だということだ。それだけではない! 周囲を飛んでいるこの群れも、すべてが我がものだッ!」
「どういうことよ!」
「こういうことだ」
ベルゼブブはパチンッと指を弾いた。
それと同時に、周囲の蝿どもが一斉に奴の身体へと群がる。
数十にものぼる蝿が、見る見るうちに巨大なひとつの塊となった。
やがてその塊は内側に向けて縮んでいき、ベルゼブブへと吸い込まれていく。
見上げるように大きかった球が、あれよあれよという間に消えてしまった。
直後、再び指が弾かれた。
それと同時に、ベルゼブブの体内へと消えた蝿たちが再び溢れ出してくる。
身体から出た蝿が次々と飛び立っていく様は、さながら炎でも吹き上げているかのようだ。
「……これは!」
「我は群れ全体で一つの生物ということだ。意識はひとつだが、肉体は無数にある。そして肉体もまた、本質的には一つだ」
「……ようは、分裂も合体も自由自在ってわけ?」
「その通りだ。さらに言うならば、我は一匹でも群れが残っている限り滅びぬ」
「さらっと、とんでもなく厄介なことを言ってくれるじゃないの……ッ!」
天を仰ぐ。
たちまち、空を覆い尽くす無数の黒い影が目に飛び込んできた。
蝿が羽ばたくとき独特の低音が、嫌に耳についた。
この馬鹿みたいな数の群れを、すべて倒さない限り死なない……?
あまりのことに、一瞬だけど気が遠くなった。
「我の偉大さがようやく分かったか?」
「はんッ! たかが蝿が何匹いたところで、大勢は変わりゃしないわよッ!!」
「その強がり、どこまで持つかな?」
「そっちこそ、私をあんまり舐めない方が良いわよ」
私がそう言った途端、身体が急に重くなった。
こんな時に限って、重力が増えた……ッ!?
突然のことに戸惑っていると、ベルゼブブが笑う。
「これは重畳。動けぬうちに、潰してくれようぞ」
「くッ!!」
次第に距離を詰めてくるベルゼブブ。
次第に大きくなる姿に、私はすかさず魔石を取り出して口に放り込もうとした。
だがそこで、その手が急に止められる。
慌てて視線を下げれば、地面の下から手が生えていた。
「しまったッ!?」
「これは没収させてもらう」
「待ちなさいッ! ちィッ!!」
奪い取られた魔石は、そのままベルゼブブの方へと投げられた。
それを受け取った奴は、笑いながら手で弄ぶ。
「危ない危ない。またパワーアップされては、厄介なところだった」
「あんたねえ、いろいろ卑怯よッ!! まともに戦いなさいッ!!」
「卑怯で上等だ。正々堂々など虫唾が走る」
私の非難に対して、むしろうれしそうな顔をするベルゼブブ。
こいつときたら、まったく筋金入りだ……ッ!!
こんな奴が相手では、いよいよ勝てないかもしれない。
今まで頑張ってきたけど、流石のシース・アルバランもこれまでか……!
そう思った時、不意に背中側から声がかかる。
「シース、諦めるなッ! 何とかする方法はあるぞッ!!」
「え?」
慌てて振り向くと、背負っていたディアナの首が目を見開いていた。
どうやらベルゼブブの術が解けて、いつの間にか意識を回復していたらしい。
「何とかと言ったって、この状況よ!? 適当言わないで!」
「適当など言ってはいない! 思いついたんだ、この状況を何とかする方法を! たった一つだけッ!!」
そう言ったディアナの眼は真剣そのもので、一分もお遊びなどには見えなかった――。
次回、いったいどうやってシースはベルゼブブと戦うのか。
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