第九十一話 勝利を!
「いッ!?」
書き出された文字に、思わず変な声が出る。
腰の精霊さんもこれにはビビったようで、剣が激しく震えた。
これは――ディアナの首が、ベルゼブブに取り込まれたということか!?
予想外すぎる事態に、唇を噛む。
『シース、どうするのです!? これはまずいのですよ』
「静かに! こういう時は、とにかく動揺したら負けよ! 何でもいいから、落ち着かなきゃ……!」
剣の柄を抑えると、大きく息を吐く。
吸って、吐いて、吸って、吐いて……。
恐怖に縮みあがってしまった心を、少しずつほぐしていく。
相手は恐らく、伝説の魔族ベルゼブブだ。
わずかでも心の隙を見せれば、そこを徹底的にいたぶってくることだろう。
ここはとにかく冷静に。
逆に相手をビビらせるぐらいのつもりでやらないと――取り込まれる!
薄っぺらな胸元を抑えると、私は可能な限り低い声で問いかける。
「……あなた、ディアナじゃないわね? ベルゼブブさんかしら?」
「いかにも我が名はベルゼブブ、この階層の支配者なり」
「やっぱりね……。あんた、ディアナにいったい何をしたの?」
「首に魔法をかけ、一時的に操っている。安心せよ、元には戻せる」
「戻せる? その言い方だと、あんたの意志がない限りは戻らないってことよね?」
そう切り返すと、ディアナの指が止まった。
そして驚いたように身じろぎすると、すぐさまサラサラッと指を走らせる。
「その通りだ。なかなか鋭いじゃないか」
「あんたに褒められてもうれしくないわ。それで、私たちに何をして欲しいわけ? わざわざこうやってコンタクトを取ってくるってことは、何かしら伝えたい要求があるんでしょ?」
「話が早いな。我はこの階層の守護者として、そなたらにこれ以上先へ進んでもらうわけにはいかない。先へ進まぬと約束するならば、この娘を解放しよう」
思いもよらぬベルゼブブの言葉に、眉を顰める。
そんなこと、わざわざ改めて要求してこなくてもいいだろう。
明らかに怪しい、何かある。
「分かったわ。でも、仮に約束するとしてどうすればいいの? まさか、口だけってことはないわよね? そんなのじゃ、約束が果たされるのかお互いに心配だわ」
「良かろう。ならば、魂の契約書を交わそうではないか。明日の同じ時間、一番高い火山の麓にて待つ」
「了解したわ」
私がそう返すと、ディアナの身体がとてんッと倒れた。
連絡はこれでおわり、ということのようだ。
何とか、一番大変なところは乗り切ったわね……。
私もまた、ディアナの身体に続いてよろよろと後ろに倒れる。
『シース、あんなの絶対に罠なのですよ! 契約すると言っておびき寄せて、シースを殺そうとするに決まっているのです!』
「そうね、その可能性は高いわ。でも――」
私は言葉尻を濁すと、地面に「これから言うことは嘘」と走り書きをした。
そしてばれないように、ディアナの胴体を横目で見やる。
恐らく、あれは魔法を解いたように見せかけているだけだろう。
だから彼女の前で、本当のことを言うわけにはいかない。
「わざわざ契約しようって言ってくるってことは、何かしら私たちを始末できない事情があるんだと思うわ。ここは食べ物もおいしいし、ディアナが戻ってくるなら先に進めなくてもいいかなって」
『な、なるほどなのですー! さすがシースなのですよー!』
「無理に抵抗して死ぬのも馬鹿らしいしね。世の中、賢く生きなきゃ」
そう言ってひとさし指を立てると、それと同時にもう片方の手で「反応がわざとらしい!」と書く。
あんなに震えた声を出してたんじゃ、たとえ念話と言えどもすぐにばれちゃうわ!
すると精霊さんは、反省したように剣を揺らす。
「いずれにしても、すべては明日よ。今日のところは、腹ごしらえでもして休みましょ」
『分かったのですー』
「よし、そうと決まれば狩りね! 久々に大猿でも食べようかしら」
そう言って、意気揚々と洞窟を後にする。
やがて結界の縁へと差し掛かったところで、精霊さんがほっとしたような様子で言う。
『ここまで来れば、聞かれてないはずなのですよ。それで、本当のところはどうするつもりなのです?』
「決まってるじゃない。奴と戦うわ。私の仲間に手を出すなんて、タダじゃすまさないわよッ!!」
『で、でもどうやって? 相手は、得体の知れない能力を持つ伝説の魔族なのですよ!?』
「さっき言ったじゃない。わざわざ契約を持ちかけてくるってことは、私たちには奴を警戒させる何かがあるのよ。ディアナを抑えた以上、この場所についても大体の見当がついてると思うわ。もし簡単につぶせるなら、契約なんてまどろっこしいことせずに乗り込んでくるはず」
『なるほどー。でも、その何かって何なのです? そこが分からないと、流石に戦いようがないのですよ』
「それについては、だいたいの見当がついているわ」
私はそう言うと、笑いながら髪を掻き上げた。
そして毛を一本引き抜くと、高々と掲げて見せる。
一見して弱々しく細い毛であったが、どこか怪しい光を宿していた。
「たぶん、この髪の毛が原因だと思う。この間、私の髪で造った網を使ったでしょ? それで、ベルゼブブは私が吸魔鬼だってことを知った」
『シースが吸魔鬼だと、いったい何がまずいのです?』
「たぶん、あいつは魔法を多用して戦うタイプなのよ。だから、魔法の一切合切を無効化する吸魔鬼とは相性が悪い。そう考えて戦わなかったんだと思うわ」
『おお、説得力あるのですよ! それなら勝てるかもしれないのですー!』
「そうね、でも相手は伝説の魔族よ。まったく油断できないわ。でも――」
言葉をいったん打ち切ると、天を仰いだ。
そして、拳を高々と突き上げて言う。
「勝つッ!!!!」
万感の思いを込めた叫びが、第四階層の空に溶けていった――。
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