第十四話 逃亡中!
ゴブリンは鼻が利く。
どうやら目の前にいるこいつは、さっき私が焼いて食べたゴブリン肉の匂いを辿ってきたようだ。
スケルトンの身体になったせいか、五感が若干鈍っているせいで気づかなかったけど、ゴブリン肉の匂いは結構強かったらしい。
炎を使うからと、念のために空けておいた空気穴が完全に裏目に出てしまった。
焼き肉の匂いがそこから周囲に漏れて、私の存在に気づかせてしまったようだ。
……とにかく、このゴブリンを仕留めなくては!
私の情報を集落まで持ち帰られてはいかにもマズイ!
普段は好き好き勝手に生活しているゴブリンたちだけど、群れへの大きな脅威に対しては徒党を組んで立ち向かう。
もしこいつが私のことを脅威だと知らせたら、最悪の場合、集落のゴブリンが総出で襲い掛かってくるかもしれない。
そうなってしまったら、流石に今の私でも厳しかった。
何せ、人口だけは決して馬鹿に出来ない連中なのだ。
ゴブリンの集団が村を潰したなんて話は、実にありふれている。
急いで身を起こすと、すかさず剣を手にして穴に突っ込む。
当たった!
けど、傷が浅い!
眼を突かれたゴブリンは聞き苦しい絶叫を上げながらも、よろよろとその場から離れていく。
このままじゃ逃げられちゃう!
すぐさま立ち上がって後を追いかけようとするが、よろめいて倒れてしまった。
クッ、魔力切れが相当に効いてるわね……ッ!
剣を杖の代わりにして立ち上がったけど、これじゃゴブリンには追いつけない。
――こんな状況で群れに襲われたら、死ぬッ……!
久々に感じた死の気配。
ええい、こうなったら逃げるしかない!
とにかく、魔力切れ状態が回復するまでの間だけでも身を隠さなくては。
ここに居ては危険だ、一刻も早く脱出しないと。
布袋に最低限の荷物を詰め込むと、それ以外の全てを放棄して出発する。
――少しでも早く、一歩でも遠くへ!
部屋に私が居ないと気付けば、ゴブリンたちはすぐに私を捜すはずだ。
奴らは鼻が利くから、周辺に隠れていてもきっと見つかってしまう。
幸いなことに、ここしばらくの経験でゴブリンの生活範囲は大体把握している。
そこからできる限り遠ざかるようにしていけば、そう簡単には見つからないはずだ。
モンスターの少ない道を選んで、ひたすらに歩く。
普段ならそれほど重くは感じないはずの布袋が、さながら鉄塊のようだ。
一歩踏み出すたびに、足が床にめり込む錯覚すら覚えてしまう。
……惨めだ。
ゴブリンに住処を追いやられて、とぼとぼと歩く自分がひたすらに情けない。
気分は敗残兵って言ったところか。
必ず、捲土重来は果たすつもりだけどね!
よろよろと進んでいくうちに、通路から大空洞へと到達する。
ここをもう少し行けば、ゴブリンの生活圏内を抜けられる。
あとは、適当な岩陰で小休止でも取ろう。
とにかく今は魔力を回復させることが最優先だ。
もしこんな状態でモンスターとばったり出会ったら、間違いなく死ぬからね。
どこか安全そうな場所はないかと、探すことしばし。
大空洞を今まで来たことがないところまで歩いてきた私は、ようやく安全そうな場所を見つけた。
岩壁の一部に巨大な亀裂が走り、その下がちょっとした洞窟となっていたのだ。
やれやれ、これで一息つける。
洞窟の中に入ると、そのまま壁にもたれるようにして腰を下ろした。
だがここで――
「……ッ!」
闇の底から、何かが飛来する。
速い、かわせないッ!!
眼にも止まらぬ速さで飛んできたそれに、全く対応することができない。
たちまち、全身が気味の悪い暖かさに包まれる。
これは肉だ、間違いない!
巨大な肉の塊が、私の身体を器用に巻き取っている!
しかもその表面は粘液に覆われていて、いやーな感触だ。
「カハッ!」
眼いっぱい力を入れるが、全く歯が立たない。
すぐさま剣で切ろうともしてみるが、ゴムのような感触が返ってきてダメだった。
表面を覆う粘液と肉の持つ柔軟性が、完全に刃を弾いてしまう。
――私は、私はこんな訳の分からんもんに殺されるのか!?
――しかも、ゴブリンから逃げている途中に!?
徐々に強くなる締め付けに、心がひんやりとした。
このままでは、骨格が砕けてしまうのも時間の問題だ。
もはや、これまでか……!?
どれだけもがいてもビクともしない肉の拘束に、諦めすら頭をよぎってしまう。
けれどその直後、急に肉が解けて引っ込んでいった。
やがて闇の奥から、のっしのっしといつぞやの巨大トカゲが姿を現す。
「……カカカ」
なるほど、この洞窟はこいつの住処だったってわけか。
で、侵入者を食べようとしたけれど骨だけしかなかったからやめたと。
私はその場にへたり込むと、ほっと胸をなでおろす。
まったく、びっくりさせられた。
けど、このトカゲが住み着いていて良かったかもしれない。
こいつの住処ならゴブリンは絶対に来ないし、他のモンスターだってそうそう中には入らないだろう。
そういう意味では、とても安全な場所だ。
気まぐれな家主が突然、骨食主義に変貌したりしなければね。
しょうがない、他に当てもないし今日のところはここで休もう。
唾が全身にくっついて気持ち悪いけど、今は我慢するしかないわね。
ちゃんとした住処の確保と体の掃除は、魔力切れが回復してからだ。
――ゴブリンどもめ、今に駆逐してやる!
私は決意も新たにすると、ひとまず布袋から『魔物大百科』を取り出すのだった――。
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