第百八話 もう一人、封じられし存在
「よし、付いてきてるわね……!」
「ウオオオンッ!!」
咆哮を上げながら、逃げた私たちを追いかけてくる獣の群れ。
雪煙を巻き上げて迫ってくるその様子は、さながら津波か何かのようだ。
追いつかれれば、私たちなんてあっという間に飲み込んでしまうであろうその勢いに、隣を走るディアナの唇がみるみる青くなっていく。
「シース、こんなの何とかなるのか?」
「ええ、ちょっと危険だけどね!」
そう言うとすぐに、私はディアナの手を引っ張って近くにあった大岩の陰へと飛び込んだ。
そして掌にたっぷりと魔力を集めて――
「地に縛られし翼、紅をもってこれを穿つ。ファイアーランスッ!!」
岩陰から飛び出した炎の槍が、高く軌道を描く。
獣たちの波を軽々と飛び越えたそれは、遥か斜面の上方へとぶつかった。
途端に込められていた魔力が炸裂して、ドンと雷でも落ちたような轟音が響く。
やがてそこを起点として白い波紋が広がり、その一部が波頭となって下り始めた。
白い波は瞬く間に勢力を増して、やがて斜面全体を飲み込むかのような雪崩へと成長していく。
「よしッ! ディアナ、岩に捕まって! 放すんじゃないわよ!」
「あ、ああ!」
まだ理解が追い付いていないのか、キョトンとした顔をしながらも岩に捕まるディアナ。
すぐに地鳴りのような音が近づいてきて、私たちの脇を白い濁流が通り過ぎていく。
その流れの中に、のたうち回る獣たちの姿が見えた。
ふ、ざまあみなさい!
私たちを狙うからこういうことになるのよ!!
って、わッ!?
「ヤバい、岩が揺れてる!」
「まずいな……岩が雪崩の勢いに流されそうだぞ!」
「ち、支えるしかないわね! 踏ん張るわよ!」
「ああ!」
岩に背中を当てると、背筋でどうにか踏ん張ろうとする。
ぐう……重いッ!!
今の私は相当な力持ちのはずだけど、それでも押しつぶされてしまいそうだ。
隣に立つディアナの口からも、歯ぎしりの音が聞こえる。
『シース、僕を突っ張り棒にするのですよ!』
「そんなことして、折れちゃうんじゃない!?」
『大丈夫です! オリハルコンは早々簡単には壊れないのですよッ!』
「分かったわッ!」
自信ありげな精霊さんの言葉に従って、剣を岩の下に入れる。
すると揺れが止まり、手にかかっていた力が一気に軽くなった。
ふう……!
何とか一息つけたわね。
背中で必死に岩を押していたディアナも、そのままゆるゆると腰を下ろす。
「何とかなったな」
「ええ。ナイスよ、精霊さん!」
『いやいや。僕のおかげというよりは、この剣のおかげなのですー』
どこか照れくさそうな念を返してくる精霊さん。
だがここで、ピシッと嫌な音が聞こえる。
慌てて音がした方を見やれば、剣の下の地面に亀裂が走っていた。
ヤバ……ッ!
剣じゃなくて、地面の方が重さに耐えられなかったかッ!!
すぐに二人して岩を押すが、時すでに遅し。
見る見るうちに亀裂は拡大し、私たちの足元まで蜘蛛の巣のようなヒビが入った状態となる。
そして――
「キャッ!」
「うおッ!? シースッ!!」
「ディアナッ!! 精霊さんッ!!」
『わわッ!! 大変なのですよー!』
足元の斜面が崩れると同時に、かろうじて拮抗していたバランスが崩れた。
私とディアナ、そして精霊さんは岩ごと雪崩に飲み込まれてしまう。
瞬く間に視界が白一色に染まり、ボウボウと耳元で轟音が猛った。
圧倒的な暴力で埋め尽くされる感覚。
やがてそれらが認識の限界を超えると、私の意識はどこかへ飛んで行った――。
「うう、寒いッ!!」
雪の中からガバッと起き上がる。
何とか、雪の底には埋もれずに済んだようね。
ああ、でも寒いッ!
吹き抜ける風の冷たさに、たちまち全身が凍り付く。
どうやら、奥に来れば来るほど寒くなる地形みたいね……。
入口に立った時よりもさらに厳しくなった寒さに、いよいよ死んでしまいそうだ。
まあ、不死族の身体だから寒かろうが暑かろうがホントは平気なんだろうけどさ。
「ディアナー! 精霊さーんッ!」
「おーい、ここだ!」
「あッ!」
少し離れたところで、鎧の足だけが雪の上に突き出している。
存在をアピールするべく、ひょこひょこと足先を揺らすその様子はちょっぴり健気だ。
どうやらここに流されてくるまでの間に、ひっくり返ってしまったらしい。
雪を掻き分けて近づくと、すぐさま足を掴んで雪から引きずり出す。
「んしょっと!!」
「ふう、何とか出られたな……」
「この山のおかげで、大して流されずに済んだってところかしらね」
雪を払いながら、背後に聳える山を見やる。
もはや山というより壁とでも称するべきそれは、下からだと全体像が分からないほどだった。
その表面は透き通った氷に覆われていて、大きな鏡のようでもある。
綺麗だけど、見るからに極寒の地って感じでキツイわね……!
冷え冷えとした氷の輝きに、背筋がゾクゾクッとする。
「……そういえば、精霊さんは大丈夫だろうか?」
「いけない、まだ見つけてないわ!」
「捜そう、恐らくそう離れてはいないはずだ!」
「ええ!」
二人で手分けして、周辺の探索を開始する。
しかし、これがなかなか見つからない。
剣は金属のかたまりだから、雪崩に巻き込まれた時に下の方へ落ちていっちゃったのかも知れないわね……。
これはまた、厄介なことになったわ。
「うーん、こうなったらこのあたりを溶かすしかないかしら?」
「また炎魔法を使うのか?」
「ええ」
「それでもし、また雪崩が起きたらどうするんだ。それにあの壁がもし崩れたりしたら……」
壁を見上げ、目を細めるディアナ。
確かに、あれが崩れたらさっきの雪崩なんて比べ物にならないことが起きるわね……。
私たち二人とも、二度と雪の中から出られなくなるに違いない。
不死族の寿命は半永久的だから、雪の中で永遠に――ん?
「ねえ、あそこ! あの剣、精霊さんじゃない!?」
「むむ……そうだな! 間違いないッ!」
壁の上方に、剣が刺さっていた。
あの持ち手の形は、精霊さんの入っている剣だ。
いつも見ているから、見間違えるはずもない。
さらにその下には、剣からすっぽ抜けた鞘が落ちていた。
どうりで、雪の上を捜しても見つからないわけだわ。
雪崩の中を転がる岩とかに、あんなとこまでブッ飛ばされちゃったみたいね。
「精霊さーんッ!」
『……ぬ? シース、何でそんなに下に居るのです? ……わッ! 何でこんなところに居るのです!?』
「それはこっちの方が聞きたいぐらいよ! 大方、雪崩で下って来た時に吹っ飛ばされたんでしょ」
『すぐに下ろして欲しいのですよー! 高いところは苦手なのですー!』
「あら、そうだったっけ? まあいいわ、ちょっと待ってて!」
懐からナイフを取り出すと、それを氷に突き立てる。
さすがは、ミスリル製のナイフ!
硬い氷にもさっくりと刃が食い込んだ。
今までもいろいろお世話になってきたけど、ほんとに良いナイフだ。
それを使って、特に捉まるところのない氷壁を何とかよじ登っていく。
「よし! あとは……」
『シース、早くするのですー!』
「分かってるから、そんなに慌てないの!」
剣の持ち手を握ると、大根を引っこ抜くような要領で引っ張る。
高いとはいえたかが知れているし、下はたっぷりと降り積もった柔らかな雪。
頑丈な魔族の身体なら、落ちたところで痛くもないだろう。
バランスなんて気にせず、思いっ切り足に力を入れる。
しかし、よっぽど勢いよく刺さったのかなかなか剣は抜けない。
「んぐぐ……ッ!」
「シース、私が代わろうか?」
「大丈夫、あともうちょっとで抜けそうだから……!」
『頑張るのですー!』
「ええい、とりゃあァッ!!」
叫ぶと同時に、あらん限りの力を込める。
深々と突き刺さっていた剣が、ようやくズルズルと音を立てながら抜け始めた。
あと少し!
剣身を軽く左右に揺らしながら、少しずつ引っ張る。
だがここで、壁の一部が揺れ始めてしまった。
「まずッ!!」
「逃げろッ!!」
『ひいッ!?』
壁の揺れはひどくなり、氷の塊が落ち始めた。
崩れるッ!
その場にいた私たちは、全員、氷壁の大崩落を覚悟した。
私はすぐさま壁を蹴とばすと、可能な限り遠くまでジャンプする。
そして何とか着地をすると、雪にまみれながら走った。
その後を、すぐにディアナも追いかけてくる。
「……ここまで来れば、安心か?」
「そうね……。って、あれ? 壁、崩れてない?」
「む、どうやらどこかで止まったようだな」
『命拾いしたのですー』
恐れていた壁の崩落は、どうやら一部の範囲で収まったようだった。
私たちはゆっくりゆっくりと壁に近づき、安全を確認しようとする。
するとここで、壁にぽっかりと空いた洞穴が見えた。
もともと氷に覆われていたものが、今回の崩落で露わとなったらしい。
恐る恐る近づいてみれば、洞穴の壁は石組で明らかに人工物だった。
「誰かが作ったもののようだな」
「ええ。でも、この風化具合だとかなり古いみたいね。石の角が丸くなってる」
「入ってみるか? 何か、この階層を攻略するための手がかりがあるかもしれん」
「そうね、今までのパターンからすると何かありそうだわ」
暗がりの中へ足を踏み入れる。
明かりなど全く用意されていない洞窟の中は、数歩も進めばほぼ完全な闇だった。
不死族の眼をもってしても、かなり視界が悪い。
冷たい壁に手をやりながら慎重に歩みを進める。
時の流れが、やけにゆっくりに感じられた。
氷を踏みしめるザクザクという音だけが、耳に残る。
「あれは……?」
「どうやら、天井に穴が開いているようだな。……む?」
「何かしら、あれ!」
光に照らしだされた、巨大な氷の柱。
石英の結晶にも似たその中に、何か人型のものが見えた。
その正体を確かめようと、自然と私たちは走り出す。
やがてその目に映ったのは――予想だにしない存在だった。
「これは……勇者殿ではないか!」
『フェイル、フェイルなのですよッ!! 信じられないのです!』
「そ、そんな…………ありえない。どうして……」
雷に打たれたような衝撃。
頭の中が真っ白になるとは、まさにこのことだろうか。
意識が飛びかかって、まともにしゃべることすらできない。
どうして……何が起きたって言うのよ!
ただひたすらに、どうしてどうしてと言葉が巡る。
悪い冗談かしらね……これは。
そうとしか思えない、いや思いたくない。
だって、氷の中に封じられていたのは――
「なんで私がッ!! ここにいるのよッ!!!!」
いよいよ、シースの謎が明らかになっていきます!
ご期待ください!




