第百二話 くまなく捜せ、第四階層!
「何よ、そのお漏らししたみたいな顔は」
「失礼な! 漏らしてはいないぞ、漏らしては!」
「や、そういう意味じゃなくて。どうしてそんなに青ざめた顔をしているかって聞いてるの!」
やけに動揺したディアナに向かって、ズズイッと前のめりになる。
端正な顔がますます強張った。
ついでに、冷汗まであふれ出してくる。
「ディアナ、もしかしてあんたって高いところが苦手?」
「そうではないぞ。高いところが苦手だったら、そもそもこの階層へ来るとき飛べなかっただろう」
「言われてみれば確かに。じゃあ、なんでよ?」
「凧に、ちょっとばかり嫌な思い出がな。実は子どもの頃、凧で飛んだことがあるのだが墜落してしまってな。あの時はもう、痛くて痛くて」
聖騎士だと言うのに、泣きべそをかきそうになるディアナ。
いつでも能天気なこいつが、ここまで弱気になるとは。
これはよっぽど大きなトラウマみたいね。
これでは乗せることなんてできやしないわ。
って、凧作りを推奨したのはディアナの方じゃない!
最初っから、私を飛ばす腹積もりだったって訳かッ!
「……すまんな、シース!」
「ったく、仕方がないわねえ! でも、もし私も凧が苦手だったらどうするつもりだったのよ?」
「この世界にシースが苦手な物なんてあるのか?」
そう言ったディアナの表情は、真面目も真面目、大真面目って感じだった。
さらに彼女の言葉に同調するように、腰の剣が震える。
精霊さん、あんたもか!
二人して、私がか弱い乙女だってことを忘れ過ぎよ!
「あのねえ……。私にだって、苦手なものの一つや二つはあるわよ!」
「何が苦手なんだ?」
「え? えーっと…………とにかく、あるのよ! だから、何でも私がやれる前提で話を進めないでほしいわ! したくないことだってあるんだしね!!」
「う、うむ! そうだな!」
いつになく強い口調の私に恐れをなしたのか、素早くうなずくディアナ。
本当に分かってるのかしらね……?
鳥頭の極みであるディアナに不安を抱きつつも、追及したらキリがないので、ひとまずは納得しておく。
「まあいいわ、乗るから手伝って!」
「おう、任せておけ!」
「やれやれ。ホントは、ディアナの頭を乗っけるつもりだったんだけどな。これじゃ、もう一回りは大きくしなきゃいけないじゃない!」
「む、これに人を乗せるのではないのか?」
「忘れたの? この階層は、たまに重力が増えるじゃない。その時に墜落しないように、凧は大きめに作っておかなきゃいけないの!」
「そういえばそうだったな、なるほど!」
ポンッと手を叩くと、うんうん頷くディアナ。
彼女にも手伝ってもらって、さらに凧を一回りほど大きくする。
骨の身体ならもうちょっと小さくても行けたんだけど、今は普通の人間と大して変わらない重さだからね。
骨組みもしっかりさせないといけないし、それを支えるための羽ももっといっぱい必要だ。
追加の材料を拾い集めながら、ゆっくりと時間をかけて工作を進めていく。
こうして出来上がった巨大凧を立ち上げると、私はすぐにその骨組みに足をかけた。
「よし、これならいけるわ!」
体重をかけてゆすっても、まったくビクともしない。
試しに軽くジャンプもしてみたが、壊れる気配はなかった。
これなら、重力が増しても潰れなさそうだ。
私は凧の正面から伸びる紐を、まとめてディアナの方へと投げてやる。
「さあ、引っ張って! 風に乗るまでは、あんたの力で持ち上げないといけないわよ!」
「ふ、デュラハンの力を舐めるな! とりゃァッ!!」
紐を手にすると、勢いよく走り始めるディアナ。
その手に引っぱられ、見る見るうちに凧が地面を離れていく。
さっすが、不死族の中でも屈指のパワーを誇るデュラハンッ!
人間なら十人がかりでも苦しいだろうところを、いともたやすく浮かせてしまう。
まさに圧倒的、馬や牛にも匹敵する――いや、それらを軽く上回るほどだ。
「すごいすごいッ! 高度が上がってきたわ!」
「どうだッ! オークキングと力比べしても勝てる私の力は!」
「見た目と違って凄いわねッ! これなら……!」
下を走るディアナが手のひらサイズになったところで、身体を少し傾ける。
すると凧は大きく弧を描きながら、溶岩の海へと滑って行った。
やっほー、気持ちいいッ!!
本当に自分の翼で飛んでいるみたいだわッ!
やがて上昇気流に乗ると、ますます高度が上がっていく。
風が熱すぎるのが難点だけど、こりゃいいわッ!
「どうだ、シース! 遠くまで見えるか!」
「ええ、もうばっちりよッ!!」
風の中で目を見開けば、たちまち紅い世界が広がる。
波打つ溶岩の海。
そこから突き出し、天高く聳える活火山。
延々と連なる岩と炎が、圧倒的な迫力で視界を占拠している。
えーっと、この中で出口っぽい場所はっと……。
吹き上げる風に目を細めながらも周囲を見渡すが、なかなかそれらしき場所は見当たらない。
「ディアナ、もうちょっと糸を伸ばせる?」
「ああ、大丈夫だ!」
「じゃあ、もうちょっとッ!!」
求めに応じて、巻いてあった糸を伸ばしていくディアナ。
高い高いッ!!
地上の岩や魔物がみるみる小さくなっていく。
溶岩から離れたせいか、次第に熱気も収まって何ともいい気分だ。
このまま風に乗って、しばらく奥へと向かって移動していく。
「シース、聞こえるか?」
「何とか!」
「出入口らしきものは見えるか?」
「まだね。このまま飛んでいくわ」
高度を下げて、溶岩の上を滑っていく。
おっと、危ない!
溶岩の波頭が、危うく紐に触りそうになった。
気を付けていかないとね……!
慎重に凧を進めながら、とにかく遠くを目指す。
「ん?」
やがて視界の先に、小さな火山島が見えて来た。
溶岩の海に、ひょっこりと噴火口の部分だけが飛び出ている。
ん?
この火山、他の奴とは違って炎を噴き出していないわね?
何か……怪しいッ!
「ディアナーー! あの火山に行くわ、もうちょっと紐を伸ばして!」
「ダメだ、もう紐がない!」
「なんですって!」
仕方ない、高度を上げて覗き込んでみよう。
凧を前に倒して、上昇気流を最大限に受けられるようにする。
だがここで、いきなり――
「ぐッ!?」
「マズイ、重力が……ッ!!」
急激に重くなっていく身体。
骨組みが軋みを上げ、高度が下がり始めてしまう。
予想以上の重力増加だわ……!
目いっぱいに風を受けても、持ち上がらないッ!
そこそこ余裕をもって作ったはずの凧だったけど、このままじゃ持たないわね……ッ!
次第に迫ってくる熱気に、身体が強張る。
火の粉が頬をかすめた。
溶岩に飲み込まれちゃうッ!!
「仕方がないわッ! ディアナ、紐を切って!」
「紐を!?」
「ええ! 何とかあの火山まで滑空するわッ!!」
「そんなことをしたら、戻れなくなるぞ!!」
「今死んだら元も子もないわッ!!」
私が力の限り叫ぶと、ディアナはこちらを見て苦々しい顔をした。
その目には、困惑の色がはっきりと見て取れる。
荒れ狂う溶岩の海を見て、紐を切っていいものかどうか決めかねているようだ。
だが、そこはさすがに騎士というべきか。
私がもう一度叫ぶ前に、せいやッと紐を叩き切る。
「ありがとうッ!」
紐が切り離された途端、バランスを大きく崩す凧。
それをどうにか立て直すと、方向転換して火山の方へと滑空していく。
あちッ!!
火花が顔に当たり、危うく髪が燃えそうになった。
く、紐なしだとコントロールが難しいわねッ!!
迫りくる波の合間を、どうにかこうにかすり抜けていく。
あちゃ、あちゃちゃッ!!
身体のあちこちに火花が当たるが、もう気にして居られない!
早く、とにかく早くッ!!
火山までたどり着かないとッ!!!!
いよいよ近づいてきた溶岩の熱気で、足が燃えそうになってきたッ!!
「ふうッ!! はあ、はあッ……!」
火山の斜面に向かって、突っ込むようにして着陸する。
やれやれ、危うく死ぬかと思ったわ!
腰をポンポンと叩きながら、ゆっくり起き上がる。
「さあってと。まずはこの斜面を登らないといけないわね」
私は大きく息を吐くと、高く聳え立つ急斜面――というより、もはや絶壁――をゆっくり見上げたのだった。
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