焔
「畜生…。」
ゼエゼエと荒い息を吐きながら、暗闇の中を這うように歩く。
腕からは血がダラダラと流れ、他の部位も深くは無いが小さな傷がいくつもついていた。
額も切ってしまっているらしい。流れる血液が視界の邪魔をする。
迂闊だった。
ノースタウンへの偵察は、王の読み通りであった。
彼らは20人程度の集団で、どうやら反乱を計画していたらしい。
理由は他国出兵の為に命を落とした仲間達の弔いだとか。
これ以上国民を殺すな!ということらしい。
(アホらしい…。)
屋根裏から、冷めた気持ちでその若者達を眺めていた。
今お前達が身につけている立派な装束、テーブルに並べられた豪華な食事はその出兵により攻略された、他国の国民達が汗水垂らして働き生産した物だ。
そのようなことを言うのであれば、まず己たちの周りの環境を改めろ。
ジョン王の統べる炎の国は、戦には強いが自国自身はあまり豊かな国ではない。
貧しき国であるが故に、外へ求めたのだろう。国民に豊かな生活を与える為に。
そんなことをぼんやり考えていたせいで、背後に忍びよる仲間の一人に気付かなかったのだ。
本当は一人ずつ暗殺していくつもりだった。
ところが他の仲間に気づかれ、軍団の前に引きずり出されたが為に、全員を一気に相手しなくてはならなくなったのだ。
自分の不足が招いた事態ではあるが、さすがに武器を持った20数人対1人は厳しかった。
日頃から対象を処分する際は暗殺に絞っている為、大人数を相手にできる武器を持っていない。
右手に握りしめた苦無でこの場を切り抜けねばならない。
全方位から襲いかかってくる輩をかわしつつ、一人ずつ確実に急所を突き命を絶つ。
前方から木製の椅子を持った男が襲いかかってくると同時に、背後に他の男の気配を感じた。
椅子を脚で蹴り飛ばし、ついでに手に持つ苦無で男の首筋を断つ。
太ももに携帯していたもう一つの苦無を左手に取り、振り向きざまに背後の男の心臓を突いた。
背後の男はナイフを持っていたらしく、刃が桜の腕を切りつけた。
鋭い痛みが走ったが、ひるんではいられない。一息つく間も無く、襲いかかる輩を撥ね退け、倒し続けた。
なんとか「不穏分子の処分」という目的は達せたが、無傷ではいかなかった。
終わった頃には自身の身体のいたるところから血が流れ、足元がふらついた。
携帯していた即効性のある傷薬を塗り、軽く布で止血をし帰路についた。
ここでゆっくり身体を労わるのは危険だ。早く城に戻ろう。
力はあまりないが、走りには自信がある。
木々の間を身軽に飛び移り、城を目指す。
だが、戻っている最中、激しく動いたせいか傷口が開き血がダラダラと流れ初めた。
その為身体を上手く動かすことができず、いつもの倍近く移動に時間がかかってしまった。
城に辿り着いた頃には、視界もひどく揺れ、何かに掴まりながら歩くので精いっぱいだった。
「生きて帰って来い。」
小さな主はハッキリとそう言った。
約束を破ってはいけない。
私は、アーサー様に使える忍なのだ。
荒い息を吐きながら、城の廊下をズルズルと歩く。
部屋に戻れば、しっかりとした傷の手当てができる。
だが、城に辿り着いた安心感からか、意識がグラグラと揺らぐ。
身体に力が入らない。
視界が暗くなっていくのを感じた。
まだ…まだ、死ねないのに…。
フッと暗闇に光が差した気がした。
暖かい、太陽のような光…そして…。
「……!!」
誰かの声がした、気がした。
「桜よ。御苦労であった。傷は癒えたか?」
王座に座るジョン王の前に、桜は跪いていた。
「その件は…ご迷惑をおかけいたしました…。」
「まあ、次回以降同じ失敗をしなければ良い話じゃ。とにかくお前が無事で良かった。今の我が国にはお前の力が必要じゃからの。
まだ体調も全快とまではいっていないようであるし、しばらく養生せい。」
「ありがとうございます。」
あの夜、城に辿り着き意識を失った桜は三日間程こん睡状態に陥っていた。
その間にあらかた治療は済まされていたようで、目が覚めた頃には傷もいくらか塞がっていた。
そしてそれから一週間程、「絶対安静」と医者に言われた為、寝床から外の街並みを眺める日々が続き、今日ようやく外出許可が出たのである。
「ところで、お前は今日が何の日か分かるか?」
王は髭を摩りながら問う。
「は…。何の日…といいますと…。」
こちらを見る目がスッと細められる。
「今日はお前の誕生日じゃ。」
ノースタウンから戻って以来、ずっと床に伏せていた為、日にちの感覚が全くなくなっていた。
何より、目の前に鎮座する男が、自分の誕生日等を覚えていたことに対して驚いた。
忍なんて道具なのだから誕生日などあってないようなものだ。
アーサーが誕生日にプレゼントを貰っていたり、ケーキや豪華な食事を貰っていたり
色んな人々に「おめでとう」と言われているのを見たことは何度もあるが、自分には関係のない事だと思っていた。
「はあ…。そういえばそうでありますが…それが…?」
「そこでじゃ!」
王はフフンと鼻を鳴らし、、膝を手でパンっと叩いた。
「ワシからお前に、贈りたいものがある。」
「オクリタイモノ…?」
オクリタイモノとは何だろう。新たな任務の総称だろうか。
自分とはあまりに縁のない言葉に、それが"贈りたいもの"という意味であるとすぐに理解できなかった。
「それは…一体何でしょうか。」
「これじゃ。受け取ってくれ。」
王が手にしたのは一枚の紙。
昇給とか、そういう類のものだろうか。
おずおずとその紙を手に取り、二つ折りにされていたそれを開いた。
「焔…?」
紙には一文字、「焔」と書かれていた。
訳が分らず、瞳をパチクリさせながら王を見る。
「お前の名じゃ。」
「名前?」
「お前の国では、18歳になると大人になったことを祝い名を変えると聞いていたのだが…。」
それは忘れかけていた故郷の慣わし。
正確には名を変えるのは男のみなのだが。
何よりも生まれて初めて貰った「誕生日プレゼント」に胸が熱いような、歯がゆいような、複雑な気持ちになった。
「お前を初めて見た時、その瞳に炎が宿っておるのを見た。」
王は懐かしむように目を細める。
それは7,8年ほど前、父親が死に故郷の里が焼き払われた時。
炎に囲まれ、自分も死ぬのだと、目を閉じた。
だが、そんな自分を拾い、自身の配下に置いたのがジョン王だった。
そして父と戦い、打ち破ったのは自分だと彼は桜に告げた。
何故、敵国の身分が高いわけでもない忍の、しかも自分が殺めた男の娘を傍に置こうとするのか。
理解ができず、桜は王に尋ねた。
そして返ってきた答えは、
あの男と同じ瞳を持っているから。
まだ幼かった少女には、言葉の真意を理解することはできなかった。
だが、この男は自分の父親のことを"ただの忍"でなく"一人の人間"として見ており
かつ高く評価をしてくれているのだ、そう感じ取ることはできた。
父親を失い、悲しい気持ちが無いわけではない。
物心ついたころから母親はおらず、父親が唯一の家族であった。
だが、忍という職業上、父は桜が幼い頃から「自分はいつ死ぬか分からない。常に覚悟をしておくように」と育てられた。
「忍の仕事は主の命を守ること。その為に命を落とせるのであれば本望である」と。
あの戦で、父は命を落としたが、主は父が時間を稼いだおかげで命からがら逃げることができたらしい。
父は仕事を全うしたのだ。悲しみより誇りに想う気持ちの方が強かった。
自分の父親を殺めた相手に雇われることに抵抗はあったが、
それ以上にジョン・グレイという男に興味があった。
桜の父が仕えていた主は他にも数人の忍を雇っていた。
父は、その他の忍の中でも特に優秀であり、主より絶大な信頼を得ていたそうだ。
そんな誇り高い父親を打ち負かした人物。いかほどの力を持つ者なのか。
この目でそれを確かめたいと思い、桜はジョン王に雇われることを承諾した。
「これからもその名に恥じぬよう、その瞳に宿る炎を燃やし続けてくれ。お前のお父上と同じような立派な忍になるとわしは見込んでおるからな。」
「はい。陛下より頂きましたこの名に負けぬよう、これからも精進して参ります。」
桜は片膝を地面に就き、深く頭を下げ、そう告げた後、サッと視線を王へ向けた。
「上月焔、本日より改めて宜しくお願い致します。」
その瞳には、赤々とした炎が宿っていた。