桜
どこで私の運命は変わってしまったのか。
生まれは東に位置するの彩の国の小さな里。
忍の一族に生まれた私は、忍の頭であった父に一人前の忍びとなる為日々鍛錬を重ねていた。
きっかけは一つの戦乱。
はるか西の国の侵攻により、私の国は戦の炎に包まれた。
父は主を守り死に、私の里も炎に包まれた。
私も里と共に死ぬのだ。
だがそれが私の運命なのだ。忍として生まれた定めなのだ。
我らは主無しでは生きていけぬ存在。生きる価値の無い存在なのだから。
そう思い、燃え盛る炎に包まれながら、そっと目を閉じた――――。
「……ら……くら…」
遠くで声がする。
私を呼んでいるのか?
重たい瞼をそっと開けると、暗闇の中に光が差し込んできた。
太陽のような暖かな光。
ここは…天国というやつなのだろうか?
「さくら!!!」
幼なさの残る声がハッキリと耳に届き、桜はハッと意識を覚醒した。
「も、ももも申し訳ありません!アーサー様。私、うたた寝しておりましたでしょうか?」
慌てて起き上がり、目の前の先ほどの声の主に問いかける。
「ああ。まぁ今日は天気も良く暖かいからな。眠りたくなる気も分からなくもない」
優しく笑みを浮かべ、彼は言う。そして少し眉根を寄せ、「だが」と付け加えた。
「うなされているようだったから、起こしたんだ。大丈夫か?」
心配そうな顔でこちらをまっすぐに見つめる。
そのまっすぐな瞳が、桜はいささか苦手だった。
「あ、いえ…大丈夫です。」
「夢見でも悪かったか?」
「…昔の、私がまだアーサー様より幼かった頃くらいの夢を見ておりました。」
目も前の少年は今年13歳になったばかりで、背丈もまだ桜より大分小さい。
最近始まったばかりという声変わりのせいで、いささか声が枯れている。
まだまだ幼さの方が勝る少年だった。
小さな私の主。
「そうか…。」
主は俯き気味に呟いた。
返す言葉が見つからないのだろう。
夢の中で父を殺し、故郷の里を、国を戦乱の炎に包んだ人物――――
それはまさしく彼の父親なのだから。
「ですが…。」
桜は言葉をつづけた。
俯いていた今日の青空と同じ色の瞳がこちらを見る。
「アーサー様が、連れ戻してくれました。」
小さな頭をそっと撫でた。その髪は太陽のようにキラキラと輝いている。
「暗闇と炎の中にいた私を暖かい光で照らしてくれました。ですから、もう大丈夫です。」
青い瞳がぱあっと明るくなり、キラキラと輝いた。
「ならば、花見の続きをしよう!折角、桜がお弁当を作ってくれたんだ!食べなくては勿体ないだろ!」
自分より年下だから余計そう感じるのかも知れないか、本当に純粋で素直な人だ。
桜は心の中でフッと笑いながら、小さな手に引かれ、咲き誇る大木の下へ戻った。
小高い丘の上に植えられた、自分と同じ名前の春に花を咲かせる木。
それは戦乱の中、自分を連れ帰り自分の息子の世話係兼警護役として雇った
小さな主の父が、自分の為に植えてくれた故郷の木だった。
「上月、ジョン王がお呼びだぜ。」
花見の後、城に戻り食べ終わった容器を洗っていると同僚のジャック・ブラウンが声をかけてきた。
桜は一応この国の軍に属していることになっている。
それ故に軍の一員としての仕事もあるのだ。
とはいえ忍の出身である彼女は銃火器に不慣れな為、偵察や特定の人物の暗殺等、忍元来の仕事が主であった。
「一度はお前も一緒に前線出ようぜー。一度現場を体験したら、こっちには戻ってこれなくなるらしいぜ。色んな意味で。」
「万年事務職のお前に言われても全く説得力がないが。」
「冗談だよ。俺は痛いのだけはゴメンだ。けど精鋭部隊の隊長が、お前の力があればもっと有利に他国攻略を進められるのにとよくぼやいてるらしいぜ。」
「…私は表舞台に出てはいけない人間だからな。」
「分かってるって。だから皆思っていても言わないんだよ。取り敢えず、用件は伝えたからな。」
笑いながらジャックはヒラヒラと手を振りどこかへ行った。
今は昼休憩の時間だから、きっと他の隊の女性軍人にちょっかいを出しに行っているのだろう。
チャラチャラしている奴だが、その気さくさは嫌いではなかった。
「上月桜、参りました。」
王座の前に膝まづき、目の前の男が口を開くのを待つ。
アーサー・グレイの父親であり、この炎の国を統べる王。ジョン・グレイ王。
豊かな口髭を蓄えた口元を摩りながら、王は口を開いた。
「うむ。今日はお前に一つ頼みごとが合ってな。北部のノースタウンに行って欲しい。どうもここ最近、不穏な動きがあるようでな。
そこへ赴き、真偽を調査して貰いたい。話が真であるならば計画の中心人物を処分してくれ。」
「承知いたしました。」
「宜しく頼むぞ。あと…これは余談になるが。」
ジョン王はチラリと桜を見た。
「お前、ここへ来て何年になる?」
「は…もう7,8年くらいでしょうか。」
「今年で何歳だ?」
「もうすぐ18歳になります。」
ジョン王は「そうか。下がって良いぞ。」と言いつけ、満足げに頷いた。
質問の意図は全く分からなかったが、下がれと言われた以上下がるしかない。
若干モヤモヤしながら、渡された任務の書類を手に自室へ戻った。
任務は明日から、予定としては一週間。順調にいけばの話だが。
そういえば今夜はアーサーと散歩に行く約束をしていた。
約束をしたのは自分からだ。
花見の時は夢の話をして嫌な思いをさせてしまったと思う。
何故あのようなことを、彼に言ってしまったのか。彼自身には関係のない事だったのに。
時々桜は、そのように自分の中の黒い感情を誰かにぶつけてしまうところがあった。自覚はしているのだけれど。
楽しい時間を過ごすことができたが、帰るときの彼の瞳が少し悲しげだったことに気付き、胸が痛んだ。やはり気にしているのだ。純粋で、素直な方だから。
「桜、遅いぞ!」
明日の支度をし、アーサーの部屋へ迎いに上がる。ドアをノックする前に、ガチャリとドアが開き、中から丸い頬を不機嫌気味に少し膨らませた主が顔を出した。
「申し訳ございません。いささか準備に手間取りまして。」
「まあ、良い。今日はどこに行くんだ?」
「昼間訪れた桜の木の丘です。」
青い瞳がフッと揺らいだ。
昼間のことを思い出したのか。
「今宵は満月です。月と夜桜というのも乙ですよ。」
気付かぬふりをして二コリと笑って言った。我ながらズルイと思う。
アーサーは少し戸惑いながらも素直に頷き、コートを羽織り、「行くぞ」と桜を促した。
春とはいえ、夜はまだ冷える。
忍装束の上にポンチョを被り、主の少し後ろを歩く。
時々、こうして夜に散歩をしお互い色々なことを話す。まあ、主に話すのはアーサーだが。
長年の付き合いで、彼は昼間より夜の方が饒舌に話すことが分かった。
だから、ふと気になることがあった時はこうして夜の散歩に誘う。
「おぉ、本当に今日は満月だな。桜はどうして月の形が分かるんだ?」
「月の満ち欠けは、規則性があるんですよ。満月の日というのはずっと前から決まっているんです。アーサー様もいずれ勉学で習うでしょう。」
「桜はいろいろ知っているな!俺も桜みたいな物知りになれるだろうか。」
ロクに学も受けていない自分を「物知り」という主に、つい吹き出してしまう。
自分が知っている知識は、全て忍びの仕事上必要なことばかりだ。
彼の持っている、又はこれから必要となってくるであろう知識とは恐らく種類が異なるだろう。
「私レベルで止まってしまわれては困りますよ。アーサー様は、いずれこの炎の国を統べる立場なんですから。」
そう告げると、少し手前を歩いていた小さな身体がピタと止まった。
不安げに揺れる青い瞳がこちらを向く。
「王になったら…俺も父上のように、人々の命を奪いながら生きていかなくてはいけないのだろうか。」
その言葉に、眼差しに、自分の心臓がドクンと脈打つのを感じた。
「父上は国の発展の為、他国を我が国に引き入れようと日々戦を行っている。だが、それは正しい事なのだろうか?
何の罪のない人々から、その人自身の命や大切な人たちを奪って…そこに残るのは恨みと悲しみだけではないか。そんな感情の上に成り立つ国など…。」
無垢な瞳は桜の目をまっすぐに見つめる。
ああ、苦手な眼差しだ…。本当になんて純粋な優しい心を持った方なのだろうか。
「ジョン王には、ジョン王の"正義"がございます。」
ゆっくり歩を進め、立ち止まっているアーサー様をスッと追い越しながら語りかけた。
そのまっすぐな瞳を見たくないから。
「人それぞれに、各々の"正義"がございます。皆、それを胸に生きている。ジョン王にとっての"正義"は自国の繁栄なのです。その為に突き進まれている。
誰かが得をするということは、どこかで誰かが損をしているのです。皆が幸せな世など所詮夢物語です。」
桜の木の下までたどり着き、歩みを止める。視線は前を向いたまま。
「アーサー様の正義は何ですか?」
後をノロノロとついてきていたアーサー様も歩みを止めた。
沈黙が流れる。
ゆっくりと振り返り、少年の顔を見る。
顔は下を向き、その瞳を泳がせ思考しているようだった。
「…分からない……。」
しばらくの沈黙の後、ひどく情けない声で呟く。
「そうですか。」淡々と返答した。
「…だけど!
だけども、父上の正義は違う!と俺は思うんだ。じゃあ何が正しいのか?俺はどうしたいのか?それはまだ分からないが…。」
「もっともっと色々なことを学んで、自分の正義が何なのか見極める。」
それは先ほどの情けなさは全く無い、とても力強い声だった。
「それは…良い心がけですね。家庭教師が聞いたら泣いて喜びますよ。」
「ですから数学の授業を抜け出すのはやめましょうね。」と加えて言うと、バツが悪そうに「うぅ…」と唸った。
「よ、夜桜は確かに綺麗だな。成程、これが"乙"というものなんだな。」
「話変えないで下さいよ。」
満月に照らされた桜は昼間の姿よりも幻想的で美しい。
美しさの中に、どこか怪しさも纏っている薄紅色が、風にそよぎサラサラと流れる。
彼の太陽のような輝く髪の毛には少々合わない気がする。
あなたに夜はやはり似合わないな…私は心の中で苦笑いした。
「そうそう、アーサー様。私明日からお仕事で一週間程留守になりますので。」
「そうか…気をつけて来いよ。」
不安げな瞳で彼は頷く。
どこに行くのか、何故行くのかを聞いても桜は答えない、答えられないことを知っているので深くは聞いてこない。
どのようなことをしているのかは分かっているようだが。
「桜。」
「何でしょう?」
「お前の"正義"は何だ?」
風がザァっと吹く。月明かりに照らされた薄紅色が舞う。
「秘密です。」
「な、何だそれは!」
「単に考えていないだけじゃないのか!?」とプンプンしながら彼は掴みかかろうとしたが、
笑いながらそれをかわした。
「あははは…あ、そうそうアーサー様、良い豆知識を一つ教えましょう。」
桜は自らの背にそびえ立つ桜の木の下を指差した。
「桜の木の下って、死体が埋まってるって言う噂があるんですよ。その養分を吸って、桜は綺麗に咲き誇るんです。」
臆病な主は顔をサーっと青くする。このような怖い話は苦手なのだ。
「そ、そんな知識はいらん!!帰るぞ!!お前も明日は早いんだろ!!」
そう言って慌てて木の下を離れた。
予想通りの行動に自然と笑みがこぼれる。本当に単純だ。
二人は丘を後にした。
アーサーを部屋まで送り届け、自室に戻ろうとした時、アーサーはスッと桜の腕を掴んだ。
「今日はありがとな。」
「いえいえ。誘ったのは私ですから。」
「俺が、昼間のことを気にしてると思って誘ってくれたんだろう。」
この人は変な所で勘が良い。
桜が答えないでいると、掴んでいた腕をそっと離し
「明日から…気をつけていって来い。それと、生きて帰って来い。」
向けられた瞳は不安な色を浮かべていた。
まだ幼い細い肩にポンと手を置き、桜は二コリと笑った。
「承知いたしました。」
あの夜は話さなかった。
私の正義、それは"アーサー様を守り抜くこと"。
その為なら、どんな犠牲も厭わない。
枯れ木の桜には誰も目を留めない。
人から存在を認識されなくなったら、それは無いものと同じだ。
己を主張する為、桜は木の下の屍から養分を吸い咲き誇る。
私は己の正義を突き通す為、主の行く手を阻む恐れのある者は始末してきた。
そして正義を貫く己に存在意義を感じていた。
私は多くの屍の上に生きている。
桜と私、なんら違いは無い。
自嘲気味に笑みを浮かべ、桜は自室へ戻った。
丘の上では、薄紅色の花弁が相も変わらず舞っていた。