98話
「コリーさん? 大丈夫ですか?」
意識が覚醒する。
コリーは過去に飛んでいた意識を、現在に引き戻した。
ここは、王都南にある絶壁の近くだ。
すぐそばには果ても底も見えない、深い断崖が口を空けている。
何度となく飛び降り自殺をした記憶が甦ってきた。
コリーは思い出す。
この断崖そばで、自分はすでにいくつもの修業を終えている。
軽い気持ちで始めた修業ではなかった。
でも、覚悟以上のものを常に要求され続けた。
飛び降り自殺とか。
豆とか。
あとは、ここではない場所でも、ダンジョンに何日もこもらされたりした。
アレクサンダーとかいう化け物に一撃を与える、なんていう試練まであったのだ。
記憶はぼんやり現在へとつながる。
コリーは頭を軽く振った。
目の前には、アレクがいる。
どうやら立ったまま過去夢を見ていたようだった。
「……なんか、長い夢を見てたッス」
「立ったまま眠るというのは、なかなか器用ですね。俺も習得まで数週間かかりましたよ。いつの間に修業を?」
「いえ、気絶してたんス。極限状況で心が折れかけていたんスよ。死の淵に立った人が、一瞬にして過去を振り返ると言われてるじゃないッスか。それッスよ」
「走馬燈ですね。……しかし妙ですね」
「なにがッスか。アタシはなんにも妙なこと言ってないッスよ」
「いえ、生き返ったあとで走馬燈を見るというのも、面白いなと思いまして。死ぬ前ならわかるんですが」
「面白くはないッスよ……人が、っていうかアタシが死んでるんスよ?」
「でも、生き返ったでしょう?」
「……まあ、それがアレクさんの修業ッスからね」
コリーは、アレクのそばで浮かぶ球体をチラリと見た。
ほのかに発光する、人間の頭部大の球体。
『セーブポイント』と呼ばれる謎の存在だ。
セーブポイント、の設置。
とかいう面妖な技術をこの宿屋店主は持っていた。
セーブする。
死ぬ。
セーブした場所で生き返る。
そんな外法だ。
ロードすると元気な状態でセーブ地点に戻る。
装備や状態は持ち越しだ。
壊れた装備は、戻らない。
その代わり、獲得した経験や、アイテムなんかも、持ったままだ。
経験、すなわち記憶と強さ持ち越し。
お陰ですべての修業は死亡前提。
どんなつらい目に遭わされても『でも生き返ったでしょう?』で済まされる。
……もし、修業を始める前に修行内容を知っていたら。
『必ず聖剣を修理する』という目的意識は持っていても修業をためらったかもしれない。
いや、これは本当に修業なのだろうか。
もっと違う呼び名があるような気が、コリーにはしていた。
たとえば拷問とか。
アレクは笑っている。
そうして、首をかしげた。
「修業を再開できそうでしょうか?」
「……申し訳ないんスけど、記憶が定かじゃないッス」
「おや、おかしいな? ロードに伴う記憶障害などというのは、経験したことがないのですけれど……」
「ロードに伴うというか、修業の衝撃に伴うという感じッスけど」
「今回の修業に衝撃はさほどありませんよ」
「アレクさんの修業に衝撃がない? ハハッ、冗談はよしてほしいッス」
「しかし、今回は別に、崖から落ちたり豆を食べたり、ダンジョンで大量のモンスターと休み無しで戦ったり、腹部を貫通してみたりというようなことはやっていませんので」
「アタシがしてきた大変な修業を簡単にまとめないでもらえないッスか」
「しかし情感たっぷりに並べようが簡単に並べようが、事実は変わりませんので……」
「……さっきも言ったッスけど、記憶が定かじゃないんスよ。それに、衝撃がない修業とか想像がつかないッス。今回、アタシはなにをさせられてたんスか?」
「二秒に一度、絶対に死なない攻撃を受けていただけですよ」
「絶対に死なない攻撃?」
「別な言い方をしますと、絶対に瀕死になる攻撃です」
「その事実だけで充分に衝撃的なんスけど」
絶対に瀕死になる攻撃ってなんだ。
ある意味死ぬよりつらいんじゃないか。
アレクの修業はこのように、『いっそ殺してくれ』というケースが珍しくない。
死よりもなお恐ろしい修業。
それを課す立場にある男性は、朗らかに笑っている。
「あなたの修業は第二段階に入っています」
「……そういやそんな気もするッス」
「なので修業の際、仮想敵が俺になります」
「…………そういや、そんな気も、するッス」
「記憶に混乱があるようなのでもう一度説明させていただきますが、今回の修業は『耐える』訓練です」
「『耐える』? 修業で耐えないのって逆になんだよって感じッスけど……」
「正確に申し上げるのであれば、『継続戦闘能力を鍛える修業』ですね。ほら、あなたは拳闘士でしょう?」
「そうッスね」
コリーは両腕にはめた籠手を見る。
拳闘士。
ようするに、拳で戦う冒険者だ。
コリーが拳闘士を選んだのは、刃のある武器や、鎚で戦うのに抵抗があったからだ。
刀剣鍛冶が本業のつもりでいる。
もちろん剣や槍、斧なんかを打つ理由が『戦いに使うから』というのは、わかっている。
しかし自分的には『商品』なので、それを振り回すのにちょっと違和感があったのだ。
アレクが話を続ける。
なにがそんなに楽しいのか知らないが、笑ったまま。
「拳闘士はご存じの通り、間合いが短いですね。モンスターと至近距離で殴り合うというのが主な役割です。パーティー戦においては『盾』の役割を持つヘイト職ですね」
「そうッスね」
「『盾』には二種類あります。普通に攻撃をくらいながら耐える『盾』と、『回避盾』です」
「あの、盾が回避したら意味ないッス。後ろの人に攻撃が通るッス」
「まあ個人戦においても、あなたは素早い動作でモンスターの攻撃を回避し、隙を見て連続攻撃を叩きこむという、スピードファイターではないですよね」
「……そうッスね。殴られても耐えて、耐えながら強い一撃を与えるっていう、どんくさいタイプッスね」
「まあ、隣の芝は青いと言いますからね。スピードファイターの人なんかは、あなたみたいなタイプをうらやましがったりしているようですよ。……とまあ、話を戻しますと、そこで、今回やっているのが耐える修業ですよ」
「なるほど。『耐える』っていうのはそういう意味ッスね。物理的にっていうか……」
「はい。ドワーフの方は耐久力の伸びがいいので、パワーファイターに適していると言えます。……ですが、耐久力が伸びるとはいえ、攻撃を受ければダメージは蓄積されますね」
「……アレクさんに言われると『いやアンタは蓄積されないじゃん』と言いたくなるッス」
「そうですね。しかしあなたは、どちらかと言えばダメージが蓄積されるタイプだ」
「ダメージが蓄積されないタイプをさも二大派閥の一翼みたいに言わないでくれないッスか。そのタイプはアレクさん以下『銀の狐亭』の従業員だけッス」
「そこで、蓄積されたダメージとどう向き合うか、そういう訓練をしておりました」
「……なるほど」
「なのでこれから、二秒に一度、瀕死になっていただきます」
「言ってることはわかるけど、なにを言ってるかわからないっていうのが、いかにもアレクさんらしいッスよね」
これから二秒に一度瀕死になってもらいます。
正気を疑う発言だった。
忌憚なく述べさせていただくのであれば、発言者の頭はおかしい気がする。
その頭のアレクな人が笑う。
それから、修行内容の説明を続けた。
「俺からの攻撃は、『HP最大値の九割を必ず削る魔法』です」
「それを使うアレクさんの正気が九割ほど削れてる感じがするんスけど……えっ、なんスかその魔法? 色々と意味がわからないッスよ」
「『必ず瀕死にする魔法』ですね。修業のために開発しました。同じシリーズでは、他に『半殺し』『六割殺し』『七割殺し』『八割殺し』があります。『全殺し』はただいま絶賛開発中です」
「補足でよりいっそう意味不明にするのが、アレクさんの悪い癖ッスね」
「二秒に一度、あなたに『九割殺し』の魔法をかけます」
「……二回目で確実に死ぬ計算ッスね」
「そうですね」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………いや、それ修業になってないじゃないッスか!」
「普通にくらえばそうですね。けれど、おっしゃる通り、それでは修業になりません。ですからあなたには、二秒で体力を全快にしてもらいます」
「はあ、つまり?」
「瀕死の状態から二秒で元気になってください」
「ご自分の言葉に不自然さとかは感じたりされないんスか?」
「感じません」
「ほら、たとえば、モンスターにやられて瀕死の重傷を負って、歩くこともしゃべることもできない人がいるとするじゃないッスか」
「はい」
「その人が、二秒後に何事もなく立ち上がったりしたら、それはもう、異常事態どころの騒ぎじゃないんスけど。ホラーッスよね?」
「……ホラーですか?」
「そこで不可解そうな顔をされるのが、アタシにとって一番ホラーッス」
「いえ、でも、考えてみてくださいよ」
「アタシは充分に考えて発言してると思うんスけど」
「修業で瀕死の重傷を負って、歩くこともしゃべることもできないコリーさんがいるとするじゃないですか」
「仮定するまでもなく、幾度となくあったッスよね、そんなこと」
「で、死ぬじゃないですか」
「そうッスね」
「次の瞬間には元気でしょう?」
「…………そうッスね。セーブしてたんでしょうね、たぶん」
「それとだいたい同じですよ。ロードで回復するぶんのHPを、自力で、魔力を用いて回復すればいいだけの話です。いつもやっていることとなにも変わりません」
「いや、その、うまく言えないけど、変わるッスよ! 大違いッスよ! 感覚的にはまったく違うことッスよ!」
「感覚というのは、不確かなものです」
「そうッスけど!」
「俺の世界には『案ずるよりも産むが易し』ということわざがあります。つまり、いざ実際にやってみたら、心配するほどのことではなかったという物事は、意外に多いということです」
「いや、だいたい心配通りの事態になるッスよ! 『レベル八十のダンジョンかあ。普通に考えたらいけないだろうけど、やってみたら意外とできるかも?』とか言って二度と帰ってこない冒険者とかたくさんいるんスよ!?」
「でも、今のあなたは、レベル八十のダンジョンなら普通に簡単ですよ」
「……」
「目標レベルは百七十です。そして、今、あなたは百三十です。まあ、俺の計測ですが」
「…………そういや、そうッスね」
「最初は『レベル百七十のダンジョン!? 絶対無理ッスよ!』とか言っていたあなたが、休み休みゆっくり修業して、ここまで来ました」
「……ものまね、お上手ッスね」
「不可能と思っていることでも、やってみれば、意外とできそうでしょう?」
「…………」
だんだん、そんな気がしてきた。
いや、むしろ、今までだいたい無茶なことしか言われていないのだ。
今回無茶なことを言われたからといって、それはいつものことなのである。
アレクの修業は毎回こうだ。
そして、毎回、修行開始前にさんざんごねているけれど、結果としてのりこえている。
ならば今回もできるのではないだろうか?
コリーは次第にそんな気分になってきた。
――ああ、でも。
だったらなんで自分は、立ったまま過去のことを夢に見るほど追い詰められたのだろう?
……記憶は定かではない。
異常な恐怖だけが、重苦しいかたまりとなって胸中に存在する。
でも、アレクは笑う。
こちらを信じて疑わないような笑顔で。
「修業、再開しますか?」
「……その前に、いいッスか」
「なんでしょう? 疑問には可能な限りお答えしますよ」
「いえ、疑問っていうか、さっきから言ってるんスけど、アタシ、記憶がいまいち定かじゃないんスよね」
「はあ」
「それで、その……セーブした記憶もないんスよ。こうして生きてるし、すぐそこにセーブポイントがあるってことは、たしかにしたんだとは思うんスけど」
「なるほど」
「だからッスね、念のため……もう一度、セーブさせてもらってもいいッスか?」
覚悟を決めたうえでの、『これから死ぬぞ』という悲痛な宣告。
セーブをするということは死ぬということ。
アレクの修業を受ける人ならば、誰でも当たり前にわかっていることだ。
その覚悟を。
彼は、笑って受け止める。
「結構。どうぞ、セーブをしてください」
「『セーブする』ッス。……じゃあ、修業ッスね」
「はい。ああ、それと、今回の修業の終了条件ですが」
「そういやそれももう一回教えてもらえるッスか」
「五回、俺の攻撃に耐えてください」
「……五回ッスか。わかったッス。そんぐらいならぎりぎり、魔力も足りるッスね。ほんとにギリギリッスけど……」
「そのあとで」
「…………あと?」
「はい。そのあとで、俺にダメージを与えてください」
「……」
「耐えるだけでは事態は好転しませんからね。耐えたうえで状況を打開しないといけません」
「…………」
「回復にすべての魔力を費やさず、反撃の魔力も残してくださいね」
「………………」
「最後の反撃で俺に有効打を与えられなかった場合、シームレスで最初からやり直します。そうなったら高い確率で死亡するでしょう。なので必死にお願いしますね。では、始めましょうか」
「いやその、やっぱりちょっと待っ――」
「攻撃します」
笑顔で言う。
言葉と同時に、攻撃が来る。
本当に容赦なく。
わずかの『待った』すらなしで。
アレクの修業は始まった。




