97話
そのぼやけた景色を、空中からながめていた。
不思議な光景だとコリーは思う。
視界に映るのは、どうにも王都の裏路地らしき風景。
建物と建物のあいだの狭い路地を一人の少女が進んでいる。
ドワーフの少女だ。
種族的には犬ともウサギともつかない、垂れた長い耳が特徴だろうか。
他に特徴と言えるのは、体型だ。
よく、『人間やエルフを縦につぶしたよう』と言われる。
つまり、小さくて丸い。
裏路地をおっかなびっくり進んでいく少女も、ドワーフのご多分にもれず小さく丸い。
手足はどことなくぽよぽよしている。
顎のラインや目、鼻なんかも、なんとなく丸い。
背は低いのに、胸が大きい。
ただし、腰はくびれていると、コリーは思いたい。
だからこそ、胸に布を巻いただけ、そのうえに丈夫なオーバーオールを羽織っただけ、という体のラインが出やすい格好だってできている。
……そうだ、コリーは、今、俯瞰した景色に映る少女を知っている。
自分だ。
長い茶髪をみつあみにしているところとか。
歩くたび腰の後ろでガチャガチャ音を鳴らす、道具満載のポーチとか。
あとは、冒険者を始めてからずっと使っている、肘まで覆う大きな籠手だとか。
見れば見るほど、路地を歩く少女は自分自身に他ならない。
思えば、景色というか、これから起こる事態も、記憶にあった。
過去を夢で見ている。
状況を把握して、コリーは視界の中の自分を追った。
夢の中のコリーは、どこかを目指して、きょろきょろしながら歩いていた。
そしてようやく、目的の建物を見つけたらしい。
『銀の狐亭』。
大通りからしばらく入ったところにある、さびれた建物。
過去夢の中のコリーは、建物を見て困惑したような顔になっていた。
予想と違ったのだ。
そもそも、コリーがこんな奥まった場所にある宿屋を目指したのは、『ある噂』を追ってきたからだった。
いわく、『その宿屋には聖剣がある』らしい。
あとから知ったことだと『泊まると死なない』という噂もあったらしい。
でも、この当時のコリーは、聖剣だけを追い求めてここに来た。
だから、宿屋のあんまりにオンボロなのを見て、違和感を覚えのだ。
『聖剣』とは、『五百年前に人間の国を作った勇者が持っていた剣』のことだ。
つまり骨董品であり、コレクターアイテムである。
だいたい建国にたずさわったような過去の偉人の所持品は、マニアのあいだでは高値で取り引きされるものだった。
所持者はそれなりの身分と金銭を持っていると予想できた。
だというのに、このボロ宿。
噂は、あくまで噂か。
この時のコリーは、そんな落胆を覚えていた。
しかしここまで来たのだ。
駄目でもともと。
当たって砕けよう。
そう思い、宿屋に踏み入る。
内部に入れば、まずは受付カウンターが目に入った。
そこには一人の男性がいる。
ぼやけた男性だった。
これが過去を夢で見た景色だからというばかりが、原因ではないだろう。
とにかく記憶に残らない顔立ちなのだ。
印象が薄いというか。
気配が乏しい、というか。
顔を見る。
目を閉じ、少し別なことを考える。
するともう思い出せない。
そんな、ありとあらゆるものが不詳の男性。
彼が。
笑顔で口を開く。
「いらっしゃいませ。ようこそ『銀の狐亭』へ」
声だけは不思議と耳に残る。
けれど、文言はあまりに普通で、これもすぐに忘れてしまいそうなものだった。
「どうされました? 宿泊でしょうか?」
男性がやや不審そうに首をかしげた。
コリーはハッとする。
「い、いえ、その、すいませんッス。アタシは、ドワーフのコリーっていうもんなんスけど」
「はい」
「……実は、刀剣鍛冶をやってたんスよ。それで、その……ある噂を耳にしまして」
「刀剣鍛冶の方が、ウチの噂を耳に?」
「そうッス」
「てっきり冒険者の方かと思いましたが」
「ああ、この籠手ッスね。……えっと、色々あって今は冒険者をやって生活してるッスから、その見立ても間違いじゃないんスけど……ここに来た理由は、刀剣鍛冶職人としての方なんスよ」
「なるほど。話をさえぎって申し訳ありません。それで、どのようなご用件でしょうか?」
「この宿にいらっしゃる『アレクサンダー』という方が聖剣を持っているという噂を聞いたんスよね。まあ、従業員なのか店主なのか、ただの常連さんなのかはわからないんスけど」
「へえ。それで?」
「……できれば、聖剣をひと目見せてもらえないかなあ、って……まずは、そんなお願いをしに来たんスけど……アレクサンダーさんはいらっしゃるッスかね?」
「申し遅れました。俺が、『銀の狐亭』店主のアレクサンダーです。アレクでもアレックスでもお好きなようにお呼びください」
「あなたがッスか!? あ、あの、それで、聖剣は……?」
「その前に、聖剣云々の噂はどこで耳にされたのでしょうか?」
「え? どこでって……うーんと……詳しい場所とかまでは定かじゃないッスけど、アタシ、ちょっと事情があって聖剣とか勇者とかについて調べてたんスよ。その途中で……あれ、いつ知ったんだろ……?」
「……なるほど。ところで、ご用件は『聖剣を見たい』だけでしょうか?」
「あ、いえ、その……と、とりあえず見せていただけたらなあ、って……本物かどうかも見るまではわかんないッスし」
「つまり見れば本物かどうかわかると?」
「はあ、わかると思うッスよ。聖剣についてはかなり調べてるッスから。それに、聞いたことないッスか? ドワーフはニオイで鉱物を判別できるんスよ。かいだことない素材でできた剣だったら、それは聖剣の可能性が高いと思うッス」
「なるほど。では、こちらが聖剣です」
ドン、とカウンターに置かれる剣。
……いや、剣と呼んでもいいのだろうか。
長さはナイフほど。
刃に比して無骨に見えるのは、もとの長さがかなりあったものが、折れてしまっているからだろう。
その証拠に、グリップは両手で握ることを想定された長さだ。
ガードだってナイフとは思えないほど立派なものがついている。
あきらかに折れている。
……だが、聖剣が損傷していること自体は、おどろかない。
むしろ。
折れた聖剣が存在するという話だったからこそ、コリーは聖剣を追い求めたのだから。
「……『なかご』、あらためてもいいッスか?」
「どうぞ」
許可を得た。
グリップから刃を抜き出す。
……鼻に近づけて刃をかげば、なんとも言えないかぐわしい香りがする。
ただ一枚の金属の板。
だというのに、複数の濃厚な鉱物が溶け合い、混ざり合い、調和している。
香りだけで十二分に芸術品の域に達していた。
古い技術ではあるが、これはこれでいいものだとコリーは思う。
しかも、実用品としても超一流だ。
その証拠に、かなり使い込まれたあとが見えるが、刃はまったくくたびれていない。
もし調べた伝承通りの素材でできているのならば、手入れができないはずなのだ。
だというのに、今なお打ちたてのような輝きを放っている。
極めつけに、抜き出した『なかご』には、文字が彫りこまれていた。
『ダヴィッドより。親友に捧ぐ』。
ダヴィッドとは、かつて聖剣の所持者である勇者とともに旅をしたドワーフの名前だ。
現在では鍛冶神と同一視され、すべての『金属を扱う職業』に崇められている。
どこからどう見ても、本物の聖剣。
……あまり『聖剣』について調べていない人は、そのように思うだろう。
ただ、コリーは。
「……申し訳ないッスけど、偽物ッスね、これ」
丁寧に刃をカウンターの上に置く。
アレクは秘蔵の……わりには簡単に出したが……聖剣を偽物扱いされて、笑っていた。
「へえ、偽物ですか。ちなみに、どのような根拠で?」
「……鋼があきらかに違うッス。鉱物の調合の技術は、間違いなく鍛冶神ダヴィッド級の技ッスけど、アタシの調べた『聖剣』は、単一の鉱物でできてるはずなんスよ」
「しかしダヴィッド作なのは確実でしょう。ということは、聖剣なのでは?」
「……鍛冶神ダヴィッドは、完成品には銘を記さなかったらしいんス。『完成度を見れば自分の作品だとわかるはずだ』という自信がそうさせたみたいッスね」
「つまり、この聖剣は、聖剣ではないと?」
「……まあ、その、聖剣ではないッスけど、いい物ではあるッスよ。ダヴィッド作には間違いないと思うから、なんていうか、えっと……歴史的な価値はあるかと……」
フォローする。
聖剣として見せた剣を、聖剣ではないと鑑定してしまった。
所持者であるアレクは当然、機嫌を悪くしただろうと思ったのだ。
しかし。
アレクは、笑っていた。
「なるほど。あなたの意見はわかりました」
「あ、あの、気を悪くしないでほしいッス……」
「いえ。ということで、こちらが本物の聖剣です」
ドン、とカウンターに置かれる二つ目の剣。
先ほど見せられたものと、まったく同じ形状をしている。
折れ方も、一緒だ。
だが。
一目でわかる。
ひと呼吸で、知識より感覚が理解した。
本物だ。
今回見せられた方が、間違いなく、伝承で言われる、伝説の聖剣だ。
コリーは興奮した面持ちでたずねる。
「あ、あの、これ、『なかご』をあらためてもいいッスか!?」
「どうぞ」
許可を得て、刃を外す。
手が震えてうまくできない。
それでもどうにか、『なかご』をあらためれば――
銘が、ない。
鍛冶神ダヴィッドは、完成品には銘を記さない。
「……う、うおおお……ほ、本物……本物じゃないッスか!?」
「五百年前の『勇者アレクサンダー』は豪腕の持ち主で、振るたびに剣を折っていたそうですね。なので、似たような長さの『折れた聖剣』が大量にあるのだと、俺にこの剣を渡した人は言っていました」
「な、なんで偽物なんか……」
「ああ、偽物を持っている理由ですか? 俺の師匠が死んだ時に、師匠の奥さんからいただきまして。言うなれば形見のようなものですね。まあ、師匠の奥さんも師匠なのでややこしいんですけれど」
「そうじゃなくって! なんで、偽物を最初に見せたんスか!?」
「失礼ながら、本当に偽物を偽物と見抜けるか確認をさせていただきました」
「意外としたたかッスね……」
「知識自体は本物のようですね。試すようなことをして申し訳ありません」
「い、いえ……」
「それで?」
「……それで?」
「聖剣を見るだけが目的ではないのでしょう?」
「あ、は、はい。そうッス……」
わずかにためらう。
この先を話してしまって、身の程知らずだとか、無礼だとか思われないだろうか。
でも、ここまで来たのだ。
言ってしまおうと、コリーは結論した。
「……せ、聖剣、折れてるじゃないッスか」
「そうですねえ。まあ、特に困ってはいませんが」
「こ、困ってなくてもやっぱり完全な状態がいいとは思わないッスか?」
「つまり?」
「その……アタシに、聖剣の修理を任せてみないッスか!?」
言った。
言ってしまった。
コリーはおそるおそるアレクをうかがう。
彼は変わらず、笑ったままだ。
「なるほど。それがあなたの目的ですか」
「……そうッス。ま、まだ若いッスけど、技術には自信があるッス! ドワーフの中でもかなりのもんッスよ! 賞ももらってるッス!」
「いいでしょう」
「……え? いいんスか!? 本当に!? こんな若造が聖剣修理させてほしいって言ってるんスよ? 普通ためらったり渋ったりするもんじゃないッスか?」
「あなたの刀剣鍛冶としての腕は、所持スキルを見ればわかりますし」
「え? どういう……」
「ですが問題がありますね」
「……あ、修理代金はご心配なく。アタシがしたくて修理させてもらうんスから」
「そうではなく、素材は?」
「へ?」
「折れた聖剣を修理するんですよね。しかし、折れた刃を持っているわけではありません。そうなると、本来あるはずの部分を付け足すために、聖剣と同じ鉱物が必要になりますよね」
「……そうッスね」
「その鉱物はあるのですか? と俺はおたずねしているわけなのですが」
「いやあ、それは、そのお……今は、ないんスけど……あ、でも場所はわかってるッスよ! 調査は万全ッス!」
「なるほど。とってくることはできそうですか?」
「………………恥ずかしながら、昔、行ったことがあるんスよ」
「ほう」
「その鉱物……『いと貴き鋼』のあるダンジョンに入ったところッスね、その……どう言ったらいいかわからないんスけど、三歩で死にかけたんスよね……」
「なるほど」
「…………あの、折れた刃の方をお持ちの方とか、お知り合いにいらっしゃらないッスか?」
「どうでしょうねえ。持っていそうな知り合いはいるんですが、目下捜索中です」
「そうッスか……」
「ということで、俺から提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんスか?」
「あなたは冒険者だ。そして、『いと貴き鋼』が眠っているのは、ダンジョンだ。ならば、あなたが強くなって『いと貴き鋼』を採掘すればいい。違いますか?」
「あの、三歩で死にかけたという話を、たった今したばっかりなんスけど」
「昔のあなたは三歩で死にかけた。しかし、訓練をすれば四歩、五歩と進めるようになっていくかもしれませんよ?」
「ダンジョンの奧にあるっぽいんスよね、『いと貴き鋼』は。四歩とか五歩とかじゃ到達できないっぽいんスけど……」
「まあ、そうですね。三歩で死にかけるようなダンジョンの奧までたどりつくには、途方もない努力が必要になるかと思います」
「そうッスよね」
「ですが、俺に任せてくだされば、あなたをそのレベルまで強くすることは可能です。この宿は冒険者の方に修業をつけてもいますからね」
「…………とても信じられないんスけど」
「断言します。可能です。それなりに時間はいただきますがね」
「そりゃあ、数年とか数十年かければ不可能とまでは言わないッスけど……いや不可能じゃないッスかね」
「所要時間は数ヶ月ですね」
「はあ!? いやいやいや……」
「……まあ、信じていただくのはあとに回すとして、あなたの方は、どうでしょうか? つらく苦しい修業をしてでも、『いと貴き鋼』を回収し聖剣を修理するほどの理由はあるのでしょうか?」
「……」
「あるならば、俺が全力であなたをサポートしますよ。この『銀の狐亭』は、冒険者の支援を目的とした宿屋ですからね」
実際にどうなるかは、まず置いておいて。
つらく苦しい修業をしててでも聖剣を打ち直したいかどうか。
その問いに対する答えは、決まっていた。
「……理由は、あるッス。アタシは、なんとしても、聖剣を修理したいんス」
「結構。ならば修業をつけて差し上げましょう。ウチの修業はちょっと画期的ですよ。まずはそうですね、『セーブ』というものをしていただくのですが……」
――意識がぼやける。
いや、現在に引き戻されていく。
そうだ、こんな風に、修行生活は始まってしまったのだ。
この過去が、現在へ続いていく。
……もし、過去を変えることができたならば。
自分はアレクの修業を断って聖剣修理をあきらめただろうか?
アレクの修業の尋常ならざるつらさを知った今から考えても――
まあ、せいぜい、修業を断るか受けるかは、半々ぐらいだろう。
コリーはそう思いながら、消えていく過去の景色に別れを告げた。




