96話
「紙の書き心地はどうだった?」
寝室。
大きなベッドがあるだけの粗末な部屋で、ヨミは双子の娘を寝かしつけていた。
時刻はとっくに夜も遅い。
宿泊客も寝静まり、あとはわずかな、家族の時間だ。
部屋に入ってきたアレクは、エプロンを外しながらそんな質問をした。
ヨミは少し悩む。
それから。
「少し、読んでほしいものがあるかも」
暇を見つけてはゆっくりと書いてきた回想録を、彼に見せることにした。
分厚い紙束だ。
受け取ったアレクは首をかしげたが、紙をめくる。
そして、笑った。
「……こんなの書いてたのか」
「うん。忘れないうちにと思ってね」
「忘れるんだったら、それはそれでいいことだと思うけど…………うおおお……」
「どうしたの?」
「昔の自分が山盛りで書かれていて、すごくむずがゆい」
「あはは」
ヨミは笑う。
アレクはもだえながらも、回想録を読み進めていった。
そして、読み終えると、大きく息をついて一言。
「……若かった」
「あはは。そうだねえ。ぼくも若かったかも? っていうか、子供だったかも」
「……そのあたりはやぶ蛇になりそうだし置いておいて……おおむね、俺の記憶とも齟齬はないと思う。まあ、『そんなこと言ったかな』とか『そんなこと言ってないだろ』っていう言葉も大量にあったりするんだけど」
「言ってたよ」
「……まあ、押し問答になりそうだし」
アレクは笑う。
ヨミも笑った。
それから、少し真面目な顔になって、たずねる。
「……アレクはさ、どうして『はいいろ』を継ごうと思ったの?」
「いや、あの空気で逃亡はないって」
「そうじゃなくって……うまく言えないけど、もっと根本っていうか」
「修業を続けた理由のことかな?」
「そうかも?」
「……理由の一つは昔も言ったように、スキルがあるなら習得したいと思った。あと、まだ言ってない理由としては……」
「理由としては?」
「……俺は当時、なんにも具体的な夢がなかったんだ。なにをしたいかもわからず、できることなんか、なにもなかった。だから……うん、たぶんだけど、『はいいろ』のおっさんの語る夢に魅せられたのかもしれない。『狐』みたいにさ」
「……」
「まあ、『はいいろ』を継ごうと思ったきっかけはそんな感じだけど、今はこの名前にも色々なものが重なった。『はいいろ』の夢はもう、おっさんだけの夢じゃなくて、俺の夢にもなってる。……いつまでも借り物の夢で生きていけるほど、若くもないしな」
「そうだね」
「なあ。……俺はお前の両親を殺した」
「……どうしたの? いきなり」
「『はいいろ』は直接的に、『狐』は間接的に、殺した。『輝き』は生きてるっぽいけど、当時はそばにいながらみすみす逮捕させたっていう自責の念はあった」
「それは、気にしないでいいよ。仕方がなかったんだと、思うし」
「違うんだ。実際に、自分を責めてるっていうのも、あるとは思う。でも、その自責の念だって今の俺を創り上げてるものの一つで……継いだ名前に重なった、俺なりの要素の一つだ」
「……」
「だから、お前も、俺が気に病んでるっていうふうに、気に病まないでくれってこと。……いいじゃないか。責任ぐらい感じさせてくれよ。お前から奪ったものも、お前に与えたものも、お前から与えられたものも、全部、今の俺を創り上げてる大事なひとひらなんだから」
「……うん」
「さあ、そろそろ俺たちも眠ろう。……明日もある」
アレクがベッドに入る。
ヨミも、眠ろうと思ったが……
ふと、魔が差した。
いつもは二人の娘を挟んで眠る。
でも、今日は、アレクの横にもぐりこむ。
彼が、おどろいた顔をした。
「どうした?」
「……昔を思い出したからね」
「回想録にあった時期は、一緒のベッドで寝てはいなかったような」
「うん。でもさ。……まあ、なんか、いいじゃない」
「……まあ、いいけどさ」
アレクがため息をついた。
ヨミは笑って毛布を深くかぶる。
寝て起きれば、また新しい現実が始まる。
大好きな、現実。
平和な、日常。
今も昔も。
きっと、彼と過ごすこの現実こそが、夢のようなものなのだろうと、ヨミは思った。




