95話
「……ずるいなあの人は。最期の瞬間に、ボクをまったく割りこませてくれなかった」
父の亡骸を横たえて、いつも無表情な『狐』が、困ったような顔をしていました。
母の手にはナイフがあります。
父の加勢をするつもりがあったのかもしれません。
でも、それは、けっきょくできなかったようでした。
『狐』は、父を見たまま、私に語りかけます。
私と母の、最後の会話でした。
「……ヨミ、ボクは彼の亡骸を持って領主のもとへ行く。『はいいろ』『輝き』だけじゃなくて、ボクも創設メンバーだ。ボクの首もあった方が、より確実に君たちの無事が保証されるだろう」
「……ママ、いなくなるの?」
「そうしたい。……でも、ボクは君のお母さんの一人だから、君に聞きたいんだ」
「……?」
「母親としてじゃなく、妻として生きることを、許してくれるかい?」
妻として生きることは、父のあとを追って死ぬことです。
無意味な後追いではないのでしょう。
たしかに『狐』だってクランの創設メンバーであり、名の知れた犯罪者ですから。
『はいいろ』の悲願を達成するためには、『狐』の首があった方が確実というのは、たしかに言う通りなのかなとも、今は思います。
でも、当時の私は答えられませんでした。
母のお願いを、聞いてあげたい。
でも、このうえ母まで失うのは、耐えきれない。
わがままを言うか、良い子にするか、葛藤していたように記憶しています。
だから、アレクが、私に代わって、たずねてくれました。
彼もまた、父のそばにしゃがみこんで、言います。
「『はいいろ』の……先代『はいいろ』の遺言はどうするんだ? あんたは、『銀の狐団』の指導者になれって言われてたはずだ」
「……そうだね。わかってる。ボクは、夫の遺言通りにするのが、一番いいんだろう。そうするって信じて、夫は君に殺されたんだと思う」
「……」
「ボクは、この人の示したものに、夢を見てきた。……幼いころに、悪さをしてこの人に捕まって、それから、ずっと、この人の見ている光を追い続けてきたんだよ」
「……」
「ボクは優しくなんかない。身勝手なんだ。恋した人のために生きて、恋した人と、一緒に生きて……恋した人と、死にたい」
「そうか」
「アレクはわかってくれるの?」
「わからない。でも、俺が止めることじゃない。……止められる立場でもない」
「ううん。自分を責めないで。君は、ボクの夫の願いを叶えた。……ボクは、夫の願いを叶えられなかった。この人と一緒にいることがなによりも大事で、この人の願いは、それに比べれば大事にしていなかったように思うよ」
「……」
「この人もね、なにかをする時、ボクにほとんど説明をしない人だったんだ。ボクが言うこと聞くって思ってるんだろうね。……聞くけどさあ。でも、ボクにだって、聞けないこともあるんだよ。……死ぬのは、駄目だって、言ったのにね。なんで、勝手に決めちゃうんだろ」
私は、母のことが好きでした。
特に『狐』の方には、よく懐いていたし、影響だって、大きく受けていたと思います。
今も彼女は、私の中に、強く、色濃く息づいています。
だから、当時の私は、悲しそうな母に笑ってほしかったのです。
彼女のしようとしていることを、無意味だとか、愚かだとか言う人も、いると思います。
実際に、今も、私には理解できません。
でも、そういう想いもあるのだなとは、思います。
今考えれば、『狐』は冷静なようで、ずいぶんと情熱的な女性でした。
だから彼女の情熱を消してしまうことを、私は、嫌がったのだと思います。
「ママ」
「……なに?」
「いいよ。行っても」
「……」
「パパといっしょに、行っても、いいよ」
当時、私はすでに、泣いていたと思います。
だからあっさりと言葉は出てきませんでした。ひっかかりながら、たどたどしく、ゆっくり時間をかけて伝えたと記憶しています。
母は、笑いました。
あまり表情の動かない母の笑顔を見たのは、それが最後です。
幸せそうに、彼女は言います。
「ありがとう。……どうか君も、君の幸せを見つけて」
その言葉は、今の私の行動指針となっています。
こうして『輝く灰色の狐団』は完全に終わりました。
最後に、そこからの出来事を少しだけ記そうと思います。
○
私たちは今までいた地方都市郊外を離れ、王都を目指すことにしました。
今までは犯罪者クランという負い目があったので、なるべく権力のお膝元を離れていたのですが、これからは光のもとを歩けるようにするという決意もあり、一番の都市へ移動することになったのです。
でも、名前を変えたぐらいで完全に『輝く灰色の狐団』時代の悪名を消し去ることは不可能でした。
ギルドに監視されたり、クランを解体されかけたりもしました。
拉致された女王陛下、当時の姫殿下を助け出すなんていうこともありました。
そのあいだにもまだ働けないクランメンバーを養うため、戦える人でダンジョン制覇などを繰り返したりもしました。
また、クランメンバー自体も、全員が残ったわけではありません。
行き場のない人や、まだ子供だった者は残りました。
でも、『はいいろ』の武名や『狐』の伝説を頼ってクランに来た人たちや、更正するつもりのない人たちは、クランを離れていきました。
その結果、クランの規模は全盛期の半分以下になりました。
現在は全盛期の倍ほどというか、関連している人をすべてふくめると、私には管理しきれないほどいます。
未だに残る謎もあります。
『輝き』の意図などが、その最たるものです。
当時、『輝き』がいきなり逮捕、処刑されたのも、彼女の仕込みだったのでしょう。
彼女がなにを目指し、なにをしようとしているのかは、未だによくわかりません。
でも、着実に包囲網は狭まっているらしいので、近く見つかるでしょう。
ともあれ、『輝く灰色の狐団』にまつわる顛末は、以上です。
いつか私の記憶が風化した時、この回想録を読み返して、失った記憶を補完できればと思います。
その時には、今はまだ思い出すだけで泣いてしまいそうになることも、笑って受け止められるでしょうか。
このお話は、失敗のお話でした。
大変な苦労と、つらい決断の末に、なにも守れなかったお話です。
でも、この失敗を経て過ごす現在では、父の理念や、母の想いを守れているかなと、思っています。
私はこの話を誰かに聞かせることは、まだないと思います。
でも、本当は、誰かに話したくてたまらないのだとも、思います。
だから早く、この話が幸福な結末を迎えられるように。
アレクと私の努力がよき実りを迎えるように、文章の最後に祈りを捧げて、筆を置きます。




