94話
後に振り返って、アレクは、この時に逃亡するという選択肢もあったと言っています。
『はいいろ』の襲撃はたしかに唐突でした。
でも、その当時のアレクでも、逃げに徹すれば、逃亡できないというほどではなかったようなのです。
それでも逃げなかったのは、彼に曰く『逃げちゃいけないと思った』からだそうです。
ここでアレクが逃げた場合のことを、少し想像してみます。
きっと、『はいいろ』は死ぬのをあきらめて逃亡生活に移行するでしょう。
でも『輝く灰色の狐団』あらため、『銀の狐団』には、きっと、わだかまりが残ったように思います。
アレクが勝つか、『はいいろ』が勝つかで、行く末が決まる。
直前の会話にてそのような演出をしていた『はいいろ』は、きっと、ここまで考えたうえで勝負をしかけたのでしょう。
だから、勝負は始まりました。
剣と剣が打ち合うすさまじい音が響きます。
二人は剣を合わせながら、酒場跡を縦横無尽に動き回っていました。
テーブルを蹴散らし、椅子を蹴り倒し、酒瓶をつかんで投げ、皿を料理ごと相手にぶつけたりもしています。
クランメンバーたちは、巻きこまれるのを恐れて逃げ回り、最終的には酒場跡の壁沿いに落ち着きました。
出て行く人は、誰もいませんでした。
「なんで殺し合う! あんたが死んで、なんの得があるんだ!」
アレクは大声でたずねました。
彼が防戦一方だったのは、きっと、どうにかして『はいいろ』を説得しようとしていたからだと思います。
一方で、『はいいろ』は受け手が一つでも間違えば死ぬような攻撃を、繰り出し続けていたように思います。
行動で殺意を明らかにしながらも、『はいいろ』はアレクの質問には答えていました。
「俺様の命で、お前さんらの未来が買えるのさ!」
「もっとうまいやり方だってあるはずだ! 誰も死なないような方法も、きっと……!」
「あるかもなあ!」
「どうして探そうとしない!? 俺からは、あんたが死にたがってるようにしか見えない!」
「はっはあ! 最初、俺様に手も足も出なかったボウズが、言うようになったねえ!」
「茶化すな!」
「探そうとしなかったと、思うか?」
短い剣で、つばぜり合いが始まります。
『はいいろ』は、笑っていました。
「本当に、探そうとしなかったと思うか? いつだって探したさ。まっとうじゃないこいつらをどうにかしてまっとうにしようってな。だから、冒険者として生きていけるやつは、そうさせてる。ガキには盗みや殺しより先に家事を覚えさせてる。少しずつでも、まっとうになっていけるように、光のもとで全員が歩けるように、手は尽くし続けてきた」
「じゃあ、なんで途中でやめる」
「始まり方を間違えたのさ」
「……」
「クランの創設者が、犯罪者だったのがいけなかった。俺様が暗殺者だったのが、悪かった。どんなに誰かを助けようとしても、どれほど光を目指しても、俺様は人殺し以外の方法を選ぶことができねえ」
「でも、生きてれば、やり直せる」
「違うな。人は、やり直せない」
「……」
「お前さんにはわからない感覚かもしれねえが、人は、やり直せない。生き方は、生まれた時に決まる。スラムで生まれて盗むしか生き方を知らないやつは、他の生き方ができない。物心ついた時には知らない山中にいて、暗殺者として育てられたやつは、暗殺者としてしか生きられない」
「……でも」
「俺様は、俺様の家族のために、知らないやつらの家族を殺しすぎた」
「……家族が大事なら、なんで続けた。あんたなら、暗殺以外の道も選べた」
「お前さんはどうにも能力の話に偏りがちだなあ。人を殺す強さはモンスターを倒すのにも使えるとか、気配を殺す術は要人警護にも使えるとか、おおかたそんな考えだろ?」
「そうだ。暗殺者をする必要はない。あんたは、冒険者としてもやっていける」
「で、俺様の罪は誰が償う?」
「……」
「身につけた能力は使い方を選べるだろう。未来も自分で選べるさ。いや、選べなきゃならねえんだ。でも、過去だけは変えられない。失敗も、罪も、積もり続けて、もう俺様の一部だ」
「…………」
「わかるな? 俺様の罪を、お前さんらに償わせるわけにはいかねえのさ。今日、暗殺者をやめたって昨日までの俺様は暗殺者だ。そして、俺様がいる限り、お前さんらは暗殺者の手下の犯罪者と、その予備軍だ。俺様がお前さんらを照らす光を、邪魔してる」
「……」
「暗殺以外の生き方を知ってりゃよかったんだがなあ。……もっと早くに、気付ければよかったんだがなあ。やれやれ、まったく、世の中はままならないねえ」
そこからの出来事を、私は一生忘れないでしょう。
『はいいろ』は、アレクから大きく距離をとりました。
アレクほどではありませんが、彼に戦闘のてほどきを受けていた私は、わかります。
きっと、次の一撃で、死ぬか、殺すか、決着をつける気なのだと。
アレクも、わかっていたのだと思います。
だから彼は必死に叫びました。
「いつか、いつかきっと、あんたが死ななくて済む方法が見つかるはずだ! だから、まだあきらめるな! 終わるにはまだ早い!」
「いつかってのは、いつだ?」
「……それは……でも……!」
「状況は、今、差し迫ってる。努力を怠ったつもりはねえが、ちょっとばかし足りなかったようだな。まあ、今はこれが限界ってことで、お前さんも腹くくれよ」
「でも……!」
「もし、誰かが死ななきゃ誰かが幸せにならない世の中が嫌なら、お前さんが変えろ」
「……」
「名を継いでくれ。志を継いでくれ。お前さんは、俺様にない視点を持ってる。だから、俺様みたいに食い詰めたガキどもを引き取るだけじゃなく、もっと有益に食い詰めるガキ自体をなくすことができるかもしれねえ」
「……」
「生まれた環境で生き方が決まる、俺みたいなやつを一人でも減らしてやってくれ。……お前さんが無理だったら、お前さんの弟子が、それでも無理なら、そのまた弟子が、少しずつでも世の中をよくしてくれりゃあ、いずれ、みんな幸せになる」
「…………俺には、荷が重い」
「ああ、重い荷だ。背負い続けてきたが、そろそろ、俺様も歳とったしな」
「……」
「受け取っちゃくれねえか。この荷物をさ」
「……っ!」
アレクが思いきり歯をくいしばったのが、わかりました。
剣をかまえる動作は、きっと、覚悟を決めたということでしょう。
あるいは、その時の『はいいろ』が、あんまりにも年齢相応に歳をとって見えたから、楽にしてやりたいと思ってくれたのかもしれません。
決着はすぐにつきました。
アレクと『はいいろ』が交錯して、そして、『はいいろ』の首から、血が噴き出しました。
それでも父は、倒れません。
私は、父のそばによりました。
もう『はいいろ』でもなんでもない、父のそばに。
父はやっぱり笑っていて、私を見下ろしていました。
その手が私の頭をなでるのを、されるがままに、私は黙って、父を見上げています。
「……まったく、ひどい人生だった。俺様は、子供の泣き顔と、女の怒った顔がなにより苦手だっつーのに」
「……」
「最期の最後で、両方合わせたもん見せやがって。ああ、まったく――人殺しの末路が、こんなに幸福でいいのかね」
笑ったまま、そして、立ったまま、父は息を引き取りました。
アレクは、父の亡骸をじっと見ていました。
なにも言わないまま、ただ、真剣に、ずっと、ながめ続けていました。




