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セーブ&ロードのできる宿屋さん ~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~  作者: 稲荷竜
六章 ヨミの回想録作成

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88話

『狐』の修業は、私のいる場所でも行われていました。

 やっていること自体は、非常に単純だったのだと思います。


 足音を立てずに歩く。

 そういうのが、『狐』がアレクに課した初期の修業でした。


 言葉にしてしまえば単純で、簡単そうなのですが、後にアレクに聞けば、どうやらこの修業が一番気が狂いそうだったということらしいのです。

 気持ちはわかります。

 この修業には『終わり』がないのです。

 酒場跡地での、『狐』とアレクの会話を思い出します。



「いいか。ボクの修業は、行動の時に音を立てない方法、あらゆる瞬間においても気配を消し続ける方法、人の視界に入っても意識に入らない方法。この三つだ。この三つさえ呼吸も同然にできるようになれば、どこに忍び込んでもばれない」

「言ってることはそりゃそうなんだけど、それができたら苦労しないって感じだな……」

「できるようになってもらう。まずは、足音を消す修業だ。気配には目をつむろう。とりあえず足音を消して歩いてみてくれ」

「それだけでいいのか?」

「そうだ」

「いつ始める?」

「今からだ」

「今日はずっとその訓練なのか?」

「いや」

「……? 決められた歩数を足音なしで歩けばいいのか?」

「いや」

「じゃあ、いつ終わるんだ?」



 アレクの不可解そうな顔をよく覚えています。

 そして、次に『狐』が言い放った不可解そのものの言葉も、私はよく覚えています。



「ずっとだ」

「……ずっと? ずっとって?」

「だから、ずっとだ。今日も、明日も、明後日も、その次の日も、食事中も、休憩中も、体を洗っている時も、どんな時も、ずっとだ」

「……いや、無理だろ」

「大丈夫だ。足音を立てたら、ボクが指摘する」

「なにも大丈夫じゃない……なにも大丈夫じゃない……」

「意識せずとも足音が消える程度にはなってもらう。それができるようになれば、次は気配を消す修業も行う」

「気配を消す修業をするまで、ずっと足音を消し続けるのか……」

「いや」

「……いや?」

「足音が立っているのに気配を消せるわけがないだろう」

「あんたの話はまったくもって正論なんだけど、正論だからどうしたって感じだ」

「普通にしてても足音が立たないようになったら、その次は、足音を消しつつ気配を消してもらう。そこまでで普通の人は三年かかる。言うなれば基礎訓練だ」

「基礎に三年とかスゲーな……いや、普通なのか?」

「普通だ。そして最後に、技術的に人の意識に入らないようにする方法を学んでもらう。これはやろうとした時だけできるようになればいい。普段から自然とできてしまうと、他者に認識されなくなるから」

「そりゃそうなんだろうが……」

「そうだ。そりゃそうなんだ。だから、やってもらう」

「まったく、あんたらの修業は腑に落ちないもんばっかりだな……」



 その時のアレクの動作は、なんでもないものだったと思います。

 肩をすくめて、半歩だけ足を開く。

 たぶん意識しての行動ではないでしょう。

 だというのに、『狐』が無表情のまま言ったことを、私は覚えています。



「アレク」

「なんです」

「足音」

「…………は?」

「今、動いた時に音がした。だからボクは指摘した」

「……え、歩いたっていうか、無意識に足を動かしただけなんスけど」

「そうか。でも足音はした。忍び込んだ先で足音を聞きつけられた時、『いや、これは何気ない動作だから聞かなかったことにしてくれ』なんていう言い訳はできない。だから、無意識の動作も、ボクは指摘する」

「……」

「また、足音」

「……いや、あの」

「足音」

「…………」

「修業始めのころは、ボクがずっとつきっきりで指摘する。ボクの姿が見えなくなっても、いつでも耳をそばだてていると思っていい。これでもボクは根気がある方だ。だから、アレクが足音を立てずに歩けるようになるまで、ずっと指摘を続ける」

「……」

「足音がするたびに、『足音』と注意する。ほら、また、無意識に半歩下がっただろう? 足音がした。無意識の動作こそ気をつけてくれ」

「無意識なのにどうやって気をつけるんだ」

「生きているあいだ、ずっと自分の動作に気を配ればいい」

「……」

「また半歩下がったな。足音が出ている。気をつけて」

「足音を立てない方法とかは……」

「逆に考えてほしい」

「なにを」

「足音を立てない方法は、たしかにボクの方が詳しいだろう。でも、足音を立てる方法は、アレクの方が詳しいはずだ。だって、自然と足音を立てているのだから」

「まあ、そう、そう……なのか?」

「そうだ。だから、アレクのよく知る『足音を立てる方法』を一つずつやらないようにしていくだけでいいんだ。簡単だろう」

「……」

「人から知識で教えられるよりも、自分で考えて編み出した方が、身につきやすい。それに考え方は人それぞれだ。だからボクは『教育』はしない。できるまでやらせる。それだけだ」

「……」

「また半歩下がったな。足音が出ている。少しは音に気をつけてみてくれ。いくらなんでも、足音が出すぎている」

「俺さ、『足音が出すぎている』なんて言われたの、前世と今世足しても初めてだよ。すごいねあんたたちの修業って……なんか、もう、なんか……ねえ?」

「足音」

「会話ぐらいしてください」

「してもいいが、ボクは会話が苦手だ。ああ、でも、君に聞きたいことは一つあったな」

「なんですか」

「ボクがいないあいだ、ヨミとなにかあったか?」



 意外な質問でした。

 アレクが不思議そうな顔をしていたのが印象に残っています。



「なにかあったかって、なにもないと思うけど……ああ、料理のレシピなんかは教えたりしてるかな」

「そうか足音」

「今俺、動いた!?」

「動いた。落ち着きのない男だな、君は」

「人って無意識にこんなに動くもんなんだな……」

「ところで、ヨミとなにかあったか?」

「いや、だから料理のレシピをだな」

「足音」

「話聞けよ!」

「聞きたいんだけれど、君が足音を立てるもので聞けない。どうした? 挙動不審というか、そわそわしているというか、落ち着きがないぞ。落ち着くのはそれほど難しくないだろう」

「あんたは本当に正しいことしか言わなさすぎてとりつく島もないな」

「とりつく島もない?」

「ああ、この世界にはないことわざなのか。意味は」

「足音」

「……あんたとの会話は本当に進まないな!」

「会話を進めたいのはボクも同じ気持ちだ。でも、君が足音を立てるから。そわそわするのはやめてほしいと言ったばかりなのに、どうしてやめてくれないんだ?」

「やめようと思っただけでやめられたら苦労はないと思います」

「いや、やめようとしている気配がない。とりあえず、全身にしっかり力をこめて、なんなら呼吸も止めて、しばらく自分を地面に突き立った一本の棒だと思うだけでいい。歩かなければ足音は立たない。常識だ」

「常識なんだけど、あんたに言われるとすごく反論したくなるな」

「ところでヨミとなにがあったかの話をしたい」

「……だから、俺のいた世界のレシピを教えてただけだよ」

「俺のいた世界?」

「……異世界の記憶をもって生まれ変わったんです」

「なるほど。落ち着きがないのはそういう理由か」

「どういう理由?」

「幻覚作用と依存性のある植物がある。常習者なのだろう? このクランでは珍しいというほどではない。更正のための修業もある」

「あんたも『はいいろ』も俺をおかしな人みたいに言うなよ!」

「でも、君の発言はおかしい。異世界? お伽噺か、あるいは伝承か。まあ、この世が乱れる時に異世界から現れる救世主がうんぬんかんぬんという話は聞いたことがあるけれど。そういう話は『輝き』が詳しいな」

「その救世主っていうか、勇者がどうやら俺っぽい」

「そうなのか。ところで足――」

「足音ですね! ごめんなさい!」

「そうだ。でも、謝らなくていい。謝罪の言葉より成果で示してくれ」

「努力する……」

「まったく、君との会話は本当に進まないな……」

「俺が悪いんだろうか……?」

「足音さえ立てなければ話ができるのに」

「あんたとの会話の難易度が高すぎる」

「まあ、とにかく、とにかくだ。ボクから見て、ヨミがやけに君に懐いているように見えた。だから少し気になったんだ。この子はボクと同じで人見知りするから」

「人見知りするのか……? 俺、こいつと初めて会話した時、マウントポジションとられてたんだけど……人見知りする子がいきなりマウントポジションとるかな……?」

「人見知りとマウントポジションは関係ないだろう」

「いや、関係ある気がするんだけど、たしかにうまくは言えない……」



 アレクの、奥歯になにかが挟まったような顔が印象深かったのを覚えています。

 その表情は、現在、宿屋のお客さんがアレクと会話をする時と同じような顔でした。



「しかし……ふむ、ちょっと聞きたいんだが、君、子供は好きか?」

「はあ? 好きか嫌いかの二択だったら、好き、なのかな……? ぶっちゃけどっちでもないっていうか、子供の個性によるっていうか、生意気なガキは好きじゃないけど」

「ヨミは好きか?」

「二択だったら、まあ、好きかな。無口で無表情で無愛想だけど、うるさくないし。あと、料理をがんばる姿は見てて微笑ましいっていうか」

「なるほど」

「どういう意図のアンケートなんだ?」

「今の質問で君の危険度を測った」

「俺の危険度?」

「そうだ。もし『子供は好きか』という質問に『大好きだ。見ていると興奮する』と迷いなく答えるようだったら、今すぐここで殺そうと思っていた」

「そんな重要な質問をされてたのか!?」

「ボクは親の一人として、ヨミを変な男から守らないといけない」

「いや、さすがに心配しすぎだろ……」

「しかし世の中には幼い子供でないと興奮できない変質者もいる。そういうヤツにボクも昔からまれて、それからというもの、男のふりをして生きてきた」

「あんたの一人称はそのせいか」

「そうだ。今ではもう癖になっているだけだけれど。そういった経緯で、君がヨミに妙な気を起こさないか不安だった」

「いや、まあ、親としては疑う気持ちもごもっともなのかもしれないけど、さすがに心配しすぎだと言わざるをえないぞ。だいたい、俺もヨミも男なんだし……」

「うん?」

「なんだ?」

「いや、好都合だからいい。それよりアレク、足音」

「なにが好都合なのか教えてくれよ。気になって仕方ない」

「それより、修業を真面目にやれ。少し気を抜くとすぐに落ち着きをなくす。ここを憲兵大隊長の邸宅だと思うんだ。迂闊に物音を立てればすぐに警備兵が飛んでくるし、捕まればまず殺されるぞ」

「そんな危険地帯に行くことなんて一生ねーよ!」

「一生ないかもしれないから、いい。修業は本番よりきつくないと意味がない。本番では緊張や思わぬ事態の発生などで充分な力を発揮できないことも多い。だからこそ修業で過酷な状況に慣れておけば、だいたいのことには余裕で対応できる」

「言ってることは正しいよ! 正しいけどさあ!」

「正しいなら、問題ないな」

「……」

「実践をしてくれ。ボクはずっと、君の足音を聞いているぞ。どんな時も、君が足音を立てたらそのつど『足音』と指摘をする足音」

「言い切ってからでもよくないですか!? 語尾みたいになってるんですが!」

「言い切らせてくれないか。君はさっきから半歩ずつボクから遠ざかっているのはなぜだ。いや、遠ざかるのはいいけれど足音は消してくれ」

「だからどうやって消すんだよ!」

「もう少し必死に足音を消そうと試みてくれ。話はそれからだ。ところで、『はいいろ』の修業足音の時間ではないか?」

「言葉の中に指摘を混ぜないでください。聞き逃しかけました。あー、でも、そうか。別におっさんの修業がなくなるわけじゃないもんな」

「そうだな。師匠が増えるというのは、修業が増えるということだ。はっきり言うけれど、ボクの修業はともかくとして、『はいいろ』と『輝き』にまで修業をつけてもらおうっていうのは正気じゃない」

「いや、今のところ、『はいいろ』の修業よりあんたの修業の方が気が狂いそうだ。早くもあんたの言葉の中に『足音』っていう幻聴が聞こえ始めてる」

「いい傾向だ。そうして足音が出るたびに、ボクの声の幻を聞いてくれ」

「悪の組織に人体改造されるヒーローは、ひょっとしたらこんな気分なのかもしれない」

「それで、今日の修業などは? あの人はボクになにも言わないからな」

「ええとたしか……外で待ち合わせだったかな。今日はダンジョンマスターに挑む日だとか。ダンジョンレベルは三十とか言われたけど、どうなることやら」

「そうか。では、ボクもついて行こう」

「なんで?」

「しばらくはつきっきりで指摘をすると言っただろう?」

「は?」



 この時にアレクが浮かべた表情もまた、印象深いものでした。

 なにを言っているんだこいつ、という顔です。

 きっと、アレクの中では、『はいいろ』の修行中、『狐』の修業は休憩だというような思いこみがあったのでしょう。


 でも、私は『狐』の性格を知っていました。

 彼女が『ずっとやる』と言ったら、それは本当に『ずっと』なのです。

 だからこの時、私と『狐』は、アレクの言葉の方に首をかしげました。



「……まったく、なにを言っているのだか。いいか。どんな時も、足音を消すことを心がけるんだ。それは、食事中も、休憩中も、入浴中も、睡眠中も変わらない」

「睡眠中はさすがにかんべんしてください」

「そして、『はいいろ』の修行中も足音を消す修業は続く」

「……いや、あの、今日、俺、ダンジョンマスターにね、挑むって。ダンジョンマスターってご存じですか? すっごい強いらしいんですよ」

「そうだな」

「普通に戦ってもきつい相手に、足音に気を配りながら戦って勝てますか?」

「でも、君は何度も死ねると自分で言っていたじゃないか」

「……」

「何度も死ねない子だって、修業をするんだ。だから、君は大丈夫。よく知らないけど『はいいろ』が大丈夫と言ったんだから、もし駄目でも大丈夫なんだろう」

「あんたたち、俺の命を軽く扱いすぎじゃない?」

「命に軽重はない。みんな等しい重さだ。そして、ボクも、『はいいろ』も、他のメンバーも命懸けで生きている。君も、命懸けで生きる。なにも変わらない」

「変わるって!」

「君は普段、命懸けで生きていないのか?」

「いや、まあ、最近はかなり命懸けで生きてるけども……!」

「そうか。じゃあ、変わらないじゃないか」

「……」

「行けるな?」

「死後の世界に?」

「君も案外信心深いな。死後の世界? 宗教家のよく口にする『すべてが平等となる魂たちの故郷』のことか?」

「あ、いや、この世界の宗教は正直よくわかんないんですが」

「そうなのか。じゃあ、行けるな?」

「『じゃあ』ってなんだ。どこから接続されてるんだ。言葉の接続元が行方不明だよ」

「アレク。ボクはこう見えて気が短い」

「あんたさっき『根気強い』って言ってたよ!」

「根気強い時もあるけれど、今は気が短い時だ」

「ただの気分屋じゃねーか!」

「行こうか。『はいいろ』が待ってる。あの人はあんまり待たせると、どこか行ってしまう」

「…………わかった。覚悟を決めて、行くよ」

「アレク」

「なんだ」

「足音」

「覚悟を決めたそばからくじけさせるようなこと言うな!」



 傍目に見ていて、アレクと『狐』のやりとりは非常に楽しそうだったのが、記憶に残っています。

 特に『狐』が初対面の男性に対して心を開いている様子だったのが、珍しいなと、当時の私は感じていました。

 アレク本人は『たまったもんじゃなかった。今でも、足音、っていう幻聴が聞こえる』と笑っていましたけれど、横で見ているぶんにはとても楽しそうでした。


 こうしてアレクは、『はいいろ』と『狐』の修業を受けることになったのです。

 ちなみに、ここからの七日間は、アレクにとって『死んだ方がマシな日々』だったと、後に述懐しています。

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