87話
「はい決めた。俺様、お前さんを化け物にします。はい決定」
昼間に酒場跡で食事をとっている時でした。
合計で二週間ほどアレクに修業をつけたある日、『はいいろ』は、またしても唐突にそんなことを言います。
同じテーブルにいるのは、アレクと、私だけです。
周囲にいるクランメンバーは、遠巻きにこちらを見ているだけでした。
同じテーブルに三人しかいないのには、理由があります。
勘違いを恐れずに言えば、『はいいろ』とアレクがとっくに化け物だったからでした。
というのも、この時、アレクはすでに『はいいろ』の修業に慣れ始めていた様子でした。
ダンジョン攻略なんかは何度やっても駄目だったらしいのですが、『はいいろ』の修業にはとても早く順応していたように思います。
後に彼に聞いてみたところ、『それまでは必死じゃなかった』ということだそうです。
現在、宿屋でつけている修業で必死さを大事にするのは、このあたりに理由があるのかもしれません。
ともあれ、この当時のアレクは頭角を現し始めていました。
すでに充分化け物と呼べる領域に、片足を踏み入れていたような気がします。
だというのに、さらに化け物にする。
『はいいろ』の言葉に、私は首をかしげました。
一方で、アレクは慣れた様子です。
おかしそうに笑いながら、余裕のある態度で質問をしていました。
「化け物にするって? また修業をつらくするのか?」
「そりゃあだんだん難易度を上げてはいくけど、それだけじゃねえ。お前さんの成長速度が俺様の予想を超えてるし、どんなに難易度上げても日に五十回も死ねば順応するだろ?」
「まあ。だんだん、コツがわかってきた。死ぬ気でやれば、そのぶんスキル習得も早いし、ステータスも上がりやすい。自分を生きた人間じゃなくて、ゲームのキャラだと思えば余裕だってわかったよ」
「はっはっは。愉快だねえ、お前さんは。キスしてやろうか?」
「殺すぞ」
「おう、俺様もお前さんのこと大好きだぞ。んでだな、ここで非常に心苦しいお話なんだが、俺様ってば実は完璧じゃないんだわ」
「わかってるって。猥談はするし、軽いし、アホだし……」
「そうじゃねえ。完璧じゃないっていうのは、つまり師匠として不完全ってことだ」
「どういう意味だ?」
「俺様は生き物の殺し方しか知らねえ」
「……」
「でもな、殺すなんて手段は、とらないで済むならとらない方がいいんだ。まあ、普通のヤツはだいたい殺法だけでも一生かけて極めるんだが、天才師匠の俺様が命を大量消費できるお前さんを育てるとなると、ちょっと時間が余る」
「天才なのに完璧じゃないのか……」
「はっはあ。天才ってのは一点集中型だからな。というわけで、お前さんに新しく二人、師匠をつけようと思う」
「わかった。あんたに任せる。で、あんたじゃない師匠は俺になにを教えてくれるんだ?」
「泥棒と交渉」
「……泥棒はまあ、このクランならいそうなもんだけど。交渉っていうのは?」
「交渉っていうのは、あー、そのー、アレだ。人に腹を割らせて真実を話させる方法かな」
「いや、交渉っていう言葉の意味じゃなくて」
「いいかアレク。俺様は天才で、格好いい理想的な大人の男だ」
「解釈は個人の主観によります」
「……誰から見てもイケてる俺様でも、怖いものがある。それは、ガキの涙と、怒った女だ」
「はあ。それで?」
「俺様は女を怒らせたくない」
「…………本題に入れよ」
「はっはあ。つまりだな、お前さんに新しく紹介する師匠は二人とも女なんだが、交渉の方の師匠がちょっと怒ると長くて怖いから、俺様は、そいつのやってることを『交渉』としか表現できない。それ以外の表現をすると、そいつに説教される」
「あんたぐらいの年齢でも、説教が怖いのか」
「説教としか表現できない」
「……つまり、説教ではない?」
「いや、説教だ。でも、説教としか表現できないんだ」
「……はあ、なんだかよくわからないけど、わかったよ。それで? その新しい二人の師匠はいつ紹介してくれるんだ?」
「一人はすでにそこにいるから、今紹介する」
「そこ?」
「お前さんの真後ろだ」
この時のアレクの表情を、私はよく覚えています。
それは、現在、うちの宿に泊まっているお客さんが背後にいるアレクに気付いた時と同じ、ひどくおどろいた顔でした。
私も、当時、その人の登場にはいつもびっくりさせられていたので、気持ちがわかります。
その人は私と同じ、狐獣人でした。
毛並みも私と同じく、金色です。
背が高くグラマラスで、いつも黒い、体にぴったりした服を着ていました。
たぶん、私の三人の親の中で、子供時代の私に一番大きな影響を与えた人だと思います。
気配もなく、無音、無表情でたたずむその人は、アレクをじっと見ていました。
この時、アレクは内心でかなり怖がっていたらしいです。
いきなり背後に立たれればそれはそうだろうと思ったのですが、アレクに曰く、『すごい美人でびっくりした。あんまり女性と会話とかしなかったし』ということらしかったです。
一方、私は彼女のことをよく知っていました。
だからこの時、アレクもびっくりしていたけれど、彼女もアレクに対してかなり怖がっていたのだろうと、私にはわかりました。
彼女は人見知りで口下手なのです。
それにとても不器用でした。
だから、黙りこむ彼女に代わり『はいいろ』がアレクに彼女を紹介したと記憶しています。
「こいつは『狐』だ」
「……見たまんまなのか。あんたと違って」
「俺様はほら、襲名しただけだから。俺様が自分で名乗るなら『純白』とかになるのか? いやでも『はいいろ』も結構気に入ってるんだぞ。昼と夜のあいだ、光と影のあいだ、みたいで格好いいだろ? 俺様だからなに名乗っても格好いいけど」
「……で、この人は?」
「いや、『狐』」
「名前はわかったよ。なにを教えてくれる、どんな人なんだ?」
「こいつは泥棒の師匠だ。で、ヨミの母親かもしれない」
「……かもしれない?」
「こいつと、もう一人の師匠どっちかがヨミの母親なんだけど実母がどっちか教えてくれねーでやんの。ある日二人とも姿を消してー、で、一年ぐらいして戻ってきたと思ったら赤ん坊連れてるし」
「……そもそもヨミは本当にあんたの子なのか?」
「『輝き』はともかくコイツは嘘つける性格じゃないしなあ。あと、たとえ嘘でも認知するのが男気ってもんだろ?」
「いや、一人の女性を大事にするのが男気だろ……。ヨミの母親がどっちかわからないってことは、どっちの子供だとしても思い当たる節があったってことだろ? だから報復にどっちの子かわからないようにされたんじゃないのか?」
「馬鹿野郎。赤ん坊は畑から生えるんだぞ。そして俺様は土の探求者だ。種をまいていい作物を育てるのがお仕事。わかる?」
「わかってたまるか。メルヘンな話を大人の汚さで脚色するなよ。もう本当にあんたは死んだ方がいいんじゃないかな……」
「はっはあ。お前さんの発言は愉快で新鮮なおどろきに満ちてるねえ。というわけで『狐』、こいつに泥棒の技術を仕込んでやってくれ。頼むぞ」
『はいいろ』にそう言われても、『狐』は反応を見せませんでした。
無表情な人でしたが、突然の事態に混乱していたのだと思います。
この時、『狐』に助けを求める視線を向けられたことを、鮮明に覚えています。
私は日常会話で『はいいろ』や『輝き』にはほとんど味方しませんでしたが、『狐』にだけはよく味方していたような気がします。
もっとも、私だって口が達者な方ではありません。
「この人は、アレク」
私が出せた助け船は、それだけで精一杯でした。
でも、『狐』はうなずきます。
本当はもっと色々思うところがあったのでしょうけれど、覚悟を決めたようでした。
「……アレク。ボクは『狐』という、一応、このクランの創設メンバーの一人だ」
「お、おう……なんかまとも……よ、よろしくお願いします……」
「突然師匠になれと言われておどろいているが、つまり、君は泥棒希望の新規入団者ということでいいのかな? 普通はいきなり泥棒をやりたいと言われても断るんだけれど、『はいいろ』の紹介ならまあ……」
「いや、そういうんじゃなくてですね……なんか流れで『はいいろ』のおっさんに後継者にされたんだけど、物足りないからあと二人師匠を追加するって」
「…………」
「『狐』さん?」
「……状況がわからないので、あとで『はいいろ』を締め上げる。とにかく……修業をつけるのはいい。ただし、ボクの修業は厳しい。命を落とすかもしれない。それでも大丈夫か?」
「命ならいくらでも落とせますから、大丈夫っす」
「……どういう意味だ?」
「セーブ&ロードっていう能力がありまして……」
「…………『はいいろ』、あとで説明」
この時に『はいいろ』が浮かべた、やけに面倒くさそうな顔に、とてもむかついたのを覚えています。
事態の当事者ではない私をこれだけ苛立たせるその表情は、見事としか言い様がありませんでした。
こういう対応をするから、いまいち尊敬されないのだと思いました。
反対に、『狐』の対応は大人のものでした。
単に、『はいいろ』との付き合いが長いから、父の扱いに慣れていたのかもしれません。
声音を優しくして『はいいろ』に語りかけ情報を引き出そうとする術などは、アレクがあんまりにもかたくなな時に使用させてもらっています。
「……『はいいろ』。あなたの命令なら、ボクは従おう。でも、事情ぐらいは説明してもらえないか?」
「んー…………いや、その、なんだ。俺様の殺法とお前さんの隠密技術と『輝き』の交渉術があれば、誰が聞いても恐れおののく化け物ができあがると思わないか?」
「……やりたい理由はわからないけど、やりたいことはわかった。だから、それでいい」
「そうかそうか! お前さんは理解が早くて助かるな!」
「だけど『輝き』を師匠にするのは反対だ。精神がもつとは思えない」
「コイツなら大丈夫さ。なあ」
なあ、と言われても、当時のアレクは『輝き』が誰か知らないので、答えようがありませんでした。
だから安請け合いしてしまいます。
「そうだな。『はいいろ』のおっさんの修業を乗り越えたんだ。今さらそれより怖いもんなんてないさ」
迂闊でした。
彼も『はいいろ』の修業を乗り越えたことで油断していたのでしょう。
ですがこの油断で彼を責めるべきではないと、私は思います。
『はいいろ』の修業は、その影響だけ見ても、かなり凄惨なものだと想像できます。
それ以上があると想像するのは、おそらく人の想像力では不可能でしょう。
でも、アレクは『狐』と『輝き』、双方の修業を受けることにしてしまったのです。
もしも現在のアレクが、お客さんの言うように若干おかしくなってしまっているとしたならば、きっと理由は、『狐』と『輝き』の修業のせいでしょう。
というか、私の親たちは三人とも、おおよそ人を育てるのに向いていなかったと思います。
『はいいろ』には常識がありません。
『輝き』には慈悲がありません。
そして、『狐』には限度がありません。
当時の私は、そのことをアレクに教えてあげるべきだったのです。
でも、そんな後悔は実に今さらで、アレクが修業を受けることにしてしまった過去は、変わらないのです。




