76話
「アレク様がしばらく外出されるらしいですわね。詳しい事情は存じ上げませんけれど。わたくし従業員ですので、そのあいだのお風呂番を頼まれましたわ」
夜。
『銀の狐亭』で食事を済ませたあと、ソフィはお風呂にいた。
この宿の風呂は素晴らしい。
というか、風呂があるのがこの宿ぐらいで、素晴らしい。
のぞかれた心の傷はまだ、あるけれど。
あれからはアレクやヨミがかなり気を配ってくれているようだし。
もうソフィも安心して湯船に浸かることができるようになっていた。
今日のお風呂番は、モリーンだ。
純白の肌に、純白の髪。
左右で色の違う瞳。
最近は彼女もお風呂の維持に慣れてきていて、湯船に浸かり、雑談をしながらもよどみなく風呂の温度調整ができるようになっていた。
ソフィは同じ湯船につかる、モリーンを見る。
いつ見ても、美しい少女だ。
自分もよく美しいと褒められはするものの、それはこの歪に大きな胸のせいで、いやらしい意味のこもった賞賛をされるだけだ。
対してモリーンの美貌は、芸術品のような。
性的なにおいのない、純粋な美しさだとソフィには思えた。
「……モリーンさんはすっかり宿屋業務に慣れているですね」
「そうですかしら? わたくし、やっぱりドジばかりで……このあいだなんて、お風呂を沸かしたつもりが湯船の方を沸かしてしまい、アレク様に『溶岩風呂とは新しいですね』などと笑われてしまい……」
「です。入っていたのがヨミさんでなければ大惨事です」
「ひょっとしたら、アレク様よりも謎が多いのが奥様ですかしら?」
「……です」
ヨミは、アレクの修業で疲れた心を癒やしてくれる、この宿の良心だ。
でも、よく考えれば、ソフィは彼女のことをあまり知らない。
ああ見えてこの宿のどの宿泊客より年上らしい、としか。
年上、といえば。
「……そういえば、ロレッタさんは成人したばかりだったですね」
「はい。そのようでございますね。わたくし、てっきり年上とばかり……やはり人間の方の年齢はよくわからないですわ。成長がお早いですからね」
「魔族の方も成長は人間とそれほど変わらないはずです?」
「そうですわね。ただやっぱり、人間の方と比べて、ちょっと遅いかなというようには、思いますわ。もちろん、ドライアドの方ほどではありませんが……」
「ホーさんです?」
「はい。あの方、宿泊客の中では一番年上なのでしょう? わたくし、おどろいてしまって」
「です。でも、ドライアドは単純に成長が遅い種族です。たしか精神の成長も人間の三分の一の速度だったはずです。まあ、大人になっても体はそこまで大きくならないですけど」
「エルフの方はどのような?」
「二十歳までは人間と同じです。でも、そこからは老いないです」
「……不思議ですわねえ」
「いちおう、年齢が三百年を超えたエルフは老化が始まるらしいです。でも、森にいた最長老でも二百歳後半です。平均寿命が百八十年ぐらいですから、エルフの老化は伝説です」
「獣人族の方もずっとお若いまま、などは……」
「ないです。成長速度は人間と同じはずです」
「でも、ヨミさんは非常にお若く見えますわよね」
「ご両親がお若く見える方だったのかもです。子は親に似るものです」
「よ、ヨミさんの、ご両親、でございますか……」
「なにかあるのです?」
「……い、いえ、なんでも、なんでも……アンロージー様からはなにも聞いていませんわ」
モリーンが震えながら、湯船に口までつかる。
なにかを知っているのかもしれない。
でも、この宿には『思い出すのも怖い話』が多すぎる。
なので、他の宿泊客が口ごもった話をしつこく聞かないというマナーがあった。
ソフィは。
話題を変える。
「そういえば、アレクさんがいない時の宿屋など、どんな様子です?」
「それはソフィさんの方がお詳しいのではないでしょうか……?」
「でもわたしは、従業員ではないです」
「なるほど。けれど、アレク様がいらっしゃらない時の宿屋も、特に変わりないですわね。まあ修業も宿のお仕事の一環ですので、修業がない時など休んでいらっしゃるのかも……あれ、でも修業がない時っていつ? あの方、食事も睡眠もとっていらっしゃらない?」
「……」
「このあいだは木の根を食べていましたけれど、でもあれは食べ物ではありませんし……魔力を回復するには睡眠が必要で……魔力が、どんどん、なくなって、息が、できなく……」
「モリーンさん、お風呂がブクブクし始めてるですが」
「えっ? あっ!? も、申し訳ございません! わたくし、つい、あの時の恐怖が……」
「いいのです。つらいことは、思い出さなくても、いいのです」
「……こうして苦労を分かち合ってくれる方がいらっしゃるのは、とても嬉しいことですわ」
ほろりとモリーンが涙をこぼす。
よほどつらい思い出なのだろう。
ソフィは彼女の頭を撫でた。
実は、ソフィは、エルフとしては若輩どころか生まれたてに分類される。
なので、モリーンとは年齢が近い。
若干ソフィが上、という程度か。
……昔、妹がいたことも影響しているのだろう。
だから年齢の近い、年下の少女が悲しんだりつらがっていたりしていると、つい、頭を撫でたり、抱きしめたり、してしまう。
「ちょ、ちょ、ソフィさん、あんまり抱きしめないでいただけます!? 苦しいですわ!」
「あ、申し訳ないです」
つい力がこもってしまっていたことに気付いた。
抱きしめていた腕から力を抜く。
これ以上いても、やや空気がきまずい。
ソフィは風呂から出ることにした。
「モリーンさん、わたしはこれで、失礼するです」
「は、はい……あの、こんなこと言ってしまっていいのかわかりませんけれど……」
「なんです?」
「いえその、初めてあなた様に抱きしめられましたが……このあいだアレク様に試させていただいた『ウォーターベッド』というものを思い出しましたわ」
「……?」
「い、いえ! なんでもございません! わたくしはお風呂番を続けますので! どうぞお部屋でごゆっくり!」
妙な笑顔を浮かべて、彼女が手を振る。
ソフィは首をかしげながら風呂をあがることにした。
『ウォーターベッド』。
あとでアレクに、それがなんなのか聞いてみようと、思いながら。




