73話
「遺書ですか? 大げさだなあ……」
遺書をしたためた翌朝。
ソフィは、修業直前に、どうにか遺書を渡すことができた。
本当は昨夜のうちに渡したかったのだけれど、アレクが宿内にいなかったのだ。
この宿屋主人は、深夜にふらりとどこかに消えて朝まで戻ってこないことがよくあった。
いつ寝ているのか。
そういえば彼がなにかを食べているシーンも見たことがない。
風呂は男性客がいない時間帯にも『男性の時間』があるし、入っているのだろうけれど。
一ヶ月以上世話になっていても、まだまだよくわからない人だとソフィには思えた。
今は、王都の北側を歩いて、『目的地』に向かっている最中だった。
王都北側には険しい山脈地帯が広がっている。
傾斜のきつい山道や、足の踏み場もない崖を、すいすいと彼は歩く。
ソフィもかなり健脚だと自負しているが、彼の域にはとどかない。
足音もないし、やっぱり宿泊客のあいだで噂になっている通り、浮遊移動しているのかも。
ソフィは。
山道を先に行く、アレクに問いかける。
「つ、次の修業場所は、どういうところなんです?」
息も絶え絶えだ。
対してアレクは、軽く微笑みなんか浮かべて、普段と変わらない調子で応えた。
「もうすぐ見えますよ。さ、こちらへ」
必死に向かっています。
ソフィは息を荒げながら山をのぼりきる。
すると、目指しているらしい場所が、見えてきた。
それは山中に突如出現した、石製の箱だ。
あまりに大きい。
山の中腹を貫き、埋まっている。
壁面には、なにを表わしているのかはわからないが、精緻なレリーフが彫りこまれていた。
よくよく目をこらせば、炎のようなものをはき出すモンスターと、槍を持った人が戦っている構図のようにも見える。
どこまでも人工的な。
しかし、誰もあの箱ができた当初のことなど知らない。
その名は――
「『人食い迷宮』と呼ばれるダンジョンです」
「……ひ、人食い、迷宮……」
「ひょっとしてご存じでしたか? ソフィさんは博識ですからね」
どうやら、これまで重ねてきた強がりの結果。
アレクの中では、そういうことになってしまっているようだった。
知らないことを知らないと素直に言える人になりたいと、ソフィは切に願う。
「知っているです。知っているですが、い、一応、説明してほしいです」
物心ついた時からずっと強がっていたせいで、なかなか癖は抜けてくれない。
お陰でアレクの中でどんどん自分がすごい人にされていくのを感じる。
あるいは、全部わかったうえで、付き合ってくれているだけかもしれないけれど。
アレクは笑う。
内心は読めない。
「では、僭越ながら。あのダンジョンは、外観からはわかりにくいですが、内部が石壁で仕切られた迷宮になっています。モンスター自体はそう強くないのですが、内部構造の複雑さからダンジョンレベルは六十に指定されていますね」
「……」
「モンスターだけでしたら、三十程度でしょうか。……まあ、だから、中流冒険者が一山あてるために挑み、その半数が遭難し帰ってこないという事態になりました」
「…………」
「今は制覇され、遭難者の捜索が行われていますが……それでも、未発見の方は多くいます」
「な、なぜです?」
「ダンジョンの壁面、床面の一部を破壊してみてわかったことですが、このダンジョンは、ダンジョン自体がモンスターなのです」
「……はあ」
「遭難者の多くは、迷った末、ダンジョン内の罠にかかり息絶えたものと推測されています」
「…………ふ、普通の罠は、ダンジョンマスターが死んでも起動するですが」
「はい。ですがここは、ダンジョンマスターが死んで、罠が起動しなくなった。それゆえ、落とし穴などの位置がわからなくなり、ご遺体はダンジョンの床下や壁面に埋まったままになっている、ということですね」
「………………」
「俺も協力してなるべく多くの遭難者を発見できるよう尽力しましたが……死体の気配はわかりませんし、なにせ広大なダンジョンです。床や壁を少しずつ壊してまわるのも、現実的ではありません」
「アレクさんなら、一気に吹き飛ばせそうです」
「それをしてしまうと、壁や床内部のご遺体も一緒に吹き飛んでしまいますからね。本末転倒になってしまいますねえ」
「…………」
「なので、多くのご遺体が、壁の中、あるいは、床の中で、未だ埋葬の時を待っているということですね」
「………………」
「それが、これから修業に使う『人食い迷宮』というダンジョンですね。ご質問は?」
「あの、修業前にする話じゃないです」
「しかしダンジョンに入る前にダンジョンのご紹介をしないで、いつするのですか」
「し、死体が、数多くあるとか! そういう話は! いけないと思うのです!」
「なぜ?」
「なぜ!? そ、そんな、脅すような……」
「やだなあ。死体は襲ってきませんよ。ダンジョンも制覇済みと申し上げたでしょう? それに罠がもう起動しないという情報も差し上げた。俺がこの話で提供したかったのは、修業中、罠やモンスターに対し警戒する必要はないという、安心感ですよ」
安心感のある微笑みを浮かべて言う。
ソフィの胸には不安しか残らなかった。
「で、でも、そんな……そんな話をされて、不安でないわけが……!」
「ソフィさんでも不安になられるんですね」
「……はい?」
「普段でしたら、『大したことないです』と冷静におっしゃられるのに」
「…………」
「でも、別に、怖いのでしたら、そうおっしゃっていただいてかまいませんよ。丁寧に、ご説明して、少しでも恐怖を和らげるため、尽力をさせていただきますからね」
「………………」
「恐怖とは、『知らないこと』です。つまり、よく知れば恐怖はやわらぎます。さて、なにから補足させていただきましょうか。修業をつける身として、利用するダンジョンの情報はつぶさに仕入れていますからね」
「え、えっと」
「反面教師的な話ですが、ダンジョンに挑んだ冒険者パーティーが、どのように分断され罠に落ちていったかなど、いかがですか? 迷宮で迷わないために役立つと思いますよ」
「あの」
「それとも、『人食い迷宮』で三日間さまよった人の話など、いかがでしょうか? 体力も気力も限界の中、それでもあきらめずに出口を目指し続けたのに三日もかかった話から、迷宮でやってはいけない行動が学べますよ。まあ、これも反面教師ですが」
「……」
「今はもうモンスターこそ出ませんが、これからの修業に役立つかもしれないので、『袋小路でモンスターと遭遇した仲間を遠くから見るしかできなかった話』などもありますが――」
「大したことないですね!」
「おや?」
「全然、大したことないです! 怖い? 馬鹿にしないでください! 大丈夫です。わたしにかかればこんなダンジョン、へっちゃらです!」
ガクガク震え、目の端に涙を浮かべながら、ソフィは強がった。
ここで正直になってしまったら、次々怖い話をされそうに思ったのだ。
強がってしまうのは、自分の性格もあるけれど……
強がるしかない状況になってしまうのは、たぶんにアレクのせいだと思う。
彼は笑う。
悪意などない、無垢な顔で。
「では、修業の説明に入らせていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ! どうぞ! 平気です! 全然、平気、平気ですから……」
「武者震いなさってますね」
「そうですね!」
「では、説明させていただきますが、これからあなたにやっていただきたいのは、『かくれんぼ』です」
「『かくれんぼ』?」
「ご存じありませんか? この世界でも普通に行われる、子供の遊びだと思ったのですが」
「も、もちろん、知っているですが……」
これは強がりではなく、本当のことだった。
知っているどころか、子供のころは、その遊びばかりしていた。
「……森育ちのエルフで『かくれんぼ』をしたことのない子など、存在しません。エルフの森はこうして人間の王都に下ってみれば、なにもない田舎だったように思いますが……隠れる場所だけはたくさんあったのです。だから、エルフのあいだでは一般的な遊びです」
「ならよかった」
「でも、その『かくれんぼ』を、今、修業で行うですか?」
「はい。あなたぐらいのレベルになってしまうと、もう王都近隣のダンジョンでは修業にならないことも多いですから」
「……ごめんなさい、話がつながらないです」
「はい?」
「修業で『かくれんぼ』をする理由が、わたしのレベルだと王都近隣のダンジョンでは修業にならないから、です?」
「はい。より正しく申し上げますと、王都近隣のダンジョンに出るモンスターが相手では、修業にならないから、ですね」
「はあ、つまり?」
「あなたには、俺と二人で、『かくれんぼ』をしていただきます」
「…………」
「つまり、モンスターの相手など、もうあなたには役不足なので、ここからは俺があなたの敵役ということですね」
「………………」
「質問はございますか?」
「え? 質問……質問って……どうして運命はわたしに試練ばかり課すのだろうとか、そういう質問でも受け付けてくれるのです?」
「その質問は運命におたずねください。他には?」
「……ど、どっちが、『モンスターさん』です?」
「ああ失礼。鬼……ではなくモンスターさん役がどちらか申し上げていませんでしたね。それはもちろん、あなたです」
「あなたを差し置いてわたしがモンスターです?」
「そうですね。俺を差し置いて……えっと、差し置いて、とは?」
「い、いえ、なんでもないです。えっと、つまり、『人食い迷宮』内部で、隠れたあなたを見つけることが、修業? です?」
「そうですね。ローカルルールの可能性もあるので補足しますと、見つけた相手にはしっかりタッチしてください」
「本気で逃げるあなたにタッチ、ですか? それはなんというか、非常にメルヘンです」
「いえ、まったくメルヘンではないです」
「わたしだって、不可能なことと可能なことぐらい、わかります。馬鹿にしてます?」
「していません。今のあなたのステータスで、たしかに本気で逃げる俺にタッチすることは不可能ですので、きちんとこちらの動きに制限をかけます」
「その場からまったく動かない、など?」
「それでは修業になりませんので、動きます。ただし、『走らない』『気配を消さない』『足音を消さない』『歩く以外の回避動作もしない』『魔法を使わない』という制限です」
普通に考えて、勝負になりようがない制限だった。
でも相手がアレクなので、普通に考えてはいけないと、ソフィは思い知っている。
「すごい速度で歩いたりするです?」
「それも、しません。そして、そちら側のタッチ方法ですが」
「タッチ方法? 軽く手で触れるだけではないんです?」
「はい。あなたがタッチの際に使うのは、弓矢になります」
「は?」
「俺を発見したら、矢を放ってタッチしてください」
「タッチという言葉の意味がわからなくなってくるのです」
「『タッチ』とは『優しく触れる』という意味です」
「矢で優しく触れるというのは、なんと言いますか、かなりファンキーです」
「ああ、きちんと魔力をこめた矢を放ってくださいね。タッチは、俺にダメージが通って初めて認められます」
「ダメージが通るタッチですか……アレクさんの修業らしくなってきたですね」
「どういう意味ですか?」
「そうですね、宿のみんなが使う『アレクさんらしい』という言葉は、『尋常ではない』『常識に照らし合わせてはいけない』『ありのままを他人に話しても冗談だと思われる』『哲学的である』というような意味です」
「……なんだかよくわかりません。ロレッタさんもたまに哲学はしていらっしゃいますが」
「修行内容は以上です?」
「ああ、はい。そうですね。他にはダンジョンの半ばまで行ってから開始すること、セーブポイントは内部で出すことなどでしょうか」
「セーブするですか? わたしの攻撃でアレクさんが死ぬことは、万に一つもないと思うんですけど」
「そうですね。俺も一応セーブしますが、その可能性は低いと思っていますよ」
「ではどうしてセーブを?」
「俺が反撃したらあなたが死にますから」
「え?」
「俺が反撃したらあなたが死に――」
「聞こえているです。そうではないです。反撃? えっ、反撃? かくれんぼで、モンスターさんに見つかった子が反撃するとか聞いたことないんですけど。ずいぶんバイオレンスなローカルルールです」
「そこは修業ですから。命の危険がないと、死力を振り絞らないでしょう?」
「まあ」
「死力を振り絞らないと、能力の伸びが悪いんですよね」
「……はあ」
「なので、あなたは『外したら死ぬ』覚悟で、全力で俺に『タッチ』してください」
「…………」
「他にご質問は?」
「…………時間制限はあるですか? お夕飯までに帰りたいです」
「俺の概算だと、明後日の夕飯には間に合います。他には?」
「………………ないです」
「結構。では、始めましょう」
彼は笑う。
ソフィは恐怖のあまり、浅い呼吸を何度も繰り返した。




