7話
一階の食堂スペースには、この宿屋で過ごす者全員がそろっているようだった。
もともと広くない食堂の多くない座席は、半分以上埋まってしまっている。
アレクの妻だという女性は、食堂のカウンタースペース内にいた。
小さくてかわいらしい獣人だ。
とがった三角の耳が、頭部にある。
ふさふさした、長く太い尻尾も見えた。
毛並みは黄金で、ランプの光を反射してうっすら輝いている。
『銀の狐亭』というのは、この奥さんからとった名前なのだろう。
……しかし毛並みは金色であって銀色ではない。
また他にも店名の由来があるのかもしれなかった。
ロレッタは、カウンター席に座って、奥さんをまじまじと見る。
……そもそもアレクの年齢が不詳なところはあるのだが。
年の差があるように見えた。
ロレッタはアレクにたずねる。
「失礼ながら、奥様はずいぶんとお若く見えるが……」
「ああ、それは……」
アレクが口ごもる。
珍しい対応に見えた。
代わって口を開いたのは、カウンター内で料理をしていた、奧さんの方だった。
「新しいお客さんだよね? お名前は?」
「あ、ああ。私はロレッタという。しばらくこちらで世話になろうと思っている。よろしく頼む」
「そう? ぼくはね、ヨミだよ。獣人のヨミ。よろしくね」
「こちらこそよろしく」
ものすごく普通の自己紹介だった。
ひょっとしたら、ヨミは常識人なのかもしれないとロレッタは思い始める。
だが、まだ油断はしない。
「……申し訳ないが、どうにも、アレクさんとあなたの年齢差が気になってしまって。あなたはまだまだ若いだろう? というか、幼くすら、見える。お二人が結婚なさっているということに違和感を覚えてしまってな」
「ああ、それはね、ぼくが押し切ったんだよ」
「はい?」
「十年前、まだ子供だったころに、アレクに拾われてね。ずっと一緒に冒険者やってたんだ。アレクはぼくを妹として育ててたみたいなんだけど、押し切って、嫁入りしたんだよ」
「気は確かか?」
「お、おお……今度のお客さんはけっこう言う人だね……」
ヨミが苦笑する。
ロレッタは咳払いした。
「失礼。だが、どうにも……修行を受けてな。会話の端々で、彼は、少し、なんというか、うむ、えー……柔らかく言うと、頭がイカれているように思えてしまって」
「がんばって控えめな表現を探した努力は、認めるよ……」
ヨミは笑う。
現状、常識的な感性を持っている人に見えた。
「あなたも彼の思考方式に魔術的ななにかを感じているのか? であれば、なぜ、結婚などという荒行をしてしまったのだ? あなたならば、もっと明るい未来もあったのではないか?」
「お客さん、よく失礼だって言われない?」
「私の家は昔から礼儀作法にうるさくてな。失礼だと言われたことは、今までにない」
「そ、そっかあ……おおらかなおうちだったんだね」
「礼儀作法にうるさいと、たった今言ったばかりなのだが……」
「うん。そっちはそれでいいよ。話を戻すと、ほら、うちの旦那はこんな人だから、放っておけないっていうか。ぼくが支えてあげないと孤立しそうだったし」
「ああ、なるほどな……たしかに、そういう見方もあるかもしれない」
「ぼくがついてなきゃね」
嬉しそうに笑う。
彼女は確かに、脅されても、洗脳されてもおらず、幸福なのかもしれないと、ロレッタには思えた。
同時に、アレクを散々に言ってしまったなと反省する。
多少自殺を強要されたり、豆の食べ過ぎによる窒息死を強要されたりもしたが、それだけで人格を判断するのは、早まったかもしれない。
そもそも、それらはすべて修行なのだ。
思考方式が特殊なところはあるが、すべて、こちらを鍛えるためにやってくれたことである。
ロレッタは先ほどまでの言動を恥じた。
そして謝ろうとしたのだが……
ちょうどいいタイミングで、ヨミがたずねてきた。
「ところでロレッタさん、お食事は?」
「ん? あ、ああ……そういえば、空腹を感じてはいるな。精神的にはお腹いっぱいだが……」
「じゃあなにか食べる? 苦手なものとかは?」
「好き嫌いはない――ああいや、なかったが、つい先ほど、炒った豆だけは嫌いになった」
「ちょっとアレク! またあの修行やったの!?」
ヨミがおどろく。
アレクは首をかしげた。
「そりゃあ、やるよ。だってアレが、一番効率よくHP伸びるし……」
「もー、あれはひどい拷問だからやめた方がいいって言ったじゃん」
「いや、豆はな、タンパク質豊富で、カロリーが低くて、イソフラボンだって入ってるし、安いし水をよく吸うから簡単に腹いっぱいになるし、呼吸器もすぐふさがるし……」
「食材を選ぶ基準がおかしいんだってば。普通は『呼吸器がすぐふさがる』なんて理由でご飯を選ばないんだからね?」
「でもな、植物性タンパク質のお陰か、HPの伸びが……」
「その修行に耐えられたお客さん、十人に一人ぐらいの割合じゃない……やめた方がいいよ、絶対……女王陛下の警護役にその修行つけてあげたら、豆を見るたび泣きながら『殺してくれ』って言うようになったし、危ないってばあ」
「でも修行を引き受けた以上は、こっちもプロだし、なるべく効率よくステータスを伸ばして差し上げたいじゃないか」
「プロなんだから心に傷を残さない修行にしようよ」
「うーん……そんなに駄目かなあ、あの修行」
「アレクは人の心がわからないからねえ」
和やかで楽しげな会話だった。
内容が物騒このうえなかったが、この夫妻にとってはいつものやりとりなのだろう。
話の中に精神を破壊された登場人物がいたことを、ロレッタは気にしないようにした。
と、夫妻の話から意識を逸らせば――
ロレッタは周囲から温かい視線が注がれていることに気付く。
見れば、他に四人いるお客さんたちが、全員、同情するような視線を向けてくれていた。
きっと彼女たちもあの豆修行をくぐり抜けたのだろう。
そう考えると、初対面の彼女たちが、まったく初対面には思えなかった。
同じ修羅場をくぐった戦友のように思える。
ふと、周囲を見ていて、ロレッタは疑問を覚えた。
その疑問を、話が通じそうなヨミへとぶつけることにする。
「ヨミさん、この宿屋には女性しか泊まっていないのか?」
「うん、そうだね。男は、アレクだけだよ」
「なぜだ?」
「あー……うーんと」
口ごもる。
言いにくいことなのだろうか。
ヨミが黙っていると。
アレクが、答えを引き継いだ。
「そこの、エルフのお客さんがいるでしょう?」
「……うむ」
ロレッタは視線を向ける。
耳の長い、金髪の、気弱そうな女性だ。
彼女は目が合うとペコリと頭を下げて、うつむいてしまった。
ロレッタは視線をアレクに戻す。
「それで、彼女がどうかしたか?」
「とても美人ですよね。それで、彼女のあとに来た男のお客さんが、ちょっと、風呂をのぞこうとしたもので……」
「ああ、なるほど。それ以来、客を女性だけにしているのか?」
「いいえ、そんなことはないんですが。ちょっと、軽く、軽くね? そののぞきをしたお客を叩きのめしたら、それから男性客がぱったり来なくなってしまいましてね……」
「…………あなたの『軽く』は、きっと、軽くない」
「セーブはさせたから死んでないし、結果的にケガもなかったんだけどなあ」
アレクが頭を掻く。
ヨミが苦笑して、言った。
「こらこら。食事時に凄惨な話をしないの」
凄惨な話だったのか。
危うく聞きかけたロレッタは身震いした。
豆修行を凄惨だと思っていない夫妻の『凄惨な話』とか、聞きたくもない。
「アレク、お風呂よろしく。ぼくはお食事作っちゃうからね」
「わかった。がんばれよ」
「アレクもね」
夫妻はアイコンタクトをして、それぞれの作業に向かう。
その後。
出てきた食事に、豆類は一切使われていなかった。