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6話

「感想? そうだな……私は、炒った豆を決して許さない。やつらは口の中の水分を奪っていくのだ。奪われた口の中の水分たちのためにも、私は炒った豆に復讐を誓う」



 修行を終えて、ロレッタは復讐心を覚えた。

 瞳はいくらか濁っている。

 死ねば自動でロードされて、色々となかったことにはなるものの、記憶は残るので心の傷はなかったことにはならないのだ。



 だから。

 ロレッタは懇願した。



「お願いだ。休ませてくれ。これ以上の修行は、もう、無理だ。明日がんばる。明日から、きちんとがんばるから、今日はもう、休ませてください」



 必死だった。

 アレクは笑って、承諾する。

 鬼畜宿屋店主が神に見えた瞬間だった。




 というわけで、宿屋『銀の狐亭』の客室である。

 二階にある部屋のうち、もっとも奧の角部屋だ。

 荷物を置きに一度入ったが、あらためて部屋を見回す。



 ベッドと化粧台の置いてあるだけの、簡素な部屋だ。

 建物自体は石造りだが、内部は木材で補強してあり、暖かみがある。

 どうやら壁にはクローゼットが埋めこんであるらしい。


 珍しい形式だな、とロレッタは思った。

 特に、クローゼットを壁に埋めこむという工法は見たことがない。


 入口から部屋をながめる。

 隣でアレクが、説明を続けた。



「トイレは一階、食堂スペースにあります。風呂は決まった時間、裏庭に設置される仕組みです」

「……トイレに、風呂? ここは貴族の屋敷かなにかか? 普通の民家には存在しない高級設備ばかりだな」

「いや、そのへんはちゃんとしてないと俺がイヤなんで……なので、工務店に色々無理言って造ってもらいました。この埋めこみ式クローゼットも、俺の発注なんですよ」

「ふむ……ずいぶんと不思議な発想をするものだな。まあ、あなたなら当然か」

「いえいえ、俺のいた世界のものを、そのまま持ってきてるだけですよ。俺が前にいた世界の人なら、きっと誰でも考えつきます」

「あなたのいた世界の人は、みな、あなたと同じような思考をするのか……」



 神話において罪人が落とされるとされる場所ですら、そこまでひどい世界ではないだろう。

 なるほど彼は獄卒のたぐいであったかと、ロレッタは妙に納得した。



「トイレはですね、くみ取り式しかないかと思ったんですけど、制覇したダンジョンのスライムが排泄物を食べるみたいなんで、そいつでどうにかしてます。食べて大きくなったスライムは分解して畑にまくと、いい野菜が育ちますしね」

「……その、肥料に使うとは聞くが、実際に口にするものがそうしてできていると解説するのは、やめてもらいたいな」

「ああ、すみません。けっこう苦労したあたりなんで、つい、自慢したくて」

「そういうことであれば仕方ないが……しかし、制覇したダンジョンなのだろう? ということはそのスライムはもう増えず、いつか尽きると思うが」



 制覇とは、ダンジョンマスターを倒すことだ。

 そして、ダンジョンマスターを倒されたダンジョンは、モンスターが生まれなくなる。

 なので至極まっとうな疑問なのだが。

 アレクはあっさりと言う。



「実は制覇したことにしてもらって、今はスライム工場にしてます」

「…………あなたが今話していることは、重大な冒険者ギルド規定違反だぞ」



 クエストを受けて、達成していないのに、達成したと報告してはいけません。

 場合によっては冒険者の資格を取り上げられ、さらに場合によっては法律で裁かれ、投獄されることもある。



「というか、制覇の賞金は高い。普通は、調査団が本当に制覇したのか確認するはずだが?」

「そのあたりはギルド長と話がついているので……女王様も、下水問題、特に、においのあたりを解決できそうな発見だって言って、今、研究してくれてるみたいですし」

「どうしてだろう、先ほどまで大言壮語にしか聞こえなかった、あなたの謎コネクションの話が今では真実に聞こえる」



 この人ならなにがあっても不思議じゃないという、気がしていた。

 信頼とは少し違うだろうが。

 修行の過程で洗脳されたのかもしれないと、ロレッタは危機感を覚えた。


 アレクは。

 嬉しそうだった。



「ようやく信じてもらえそうで安心しました。俺は本当、嘘は全然言わないんですけど、お客様に全然信じてもらえなくって、いっつも苦労してるんですよね」

「……酒場の酔漢でさえ語るのをためらうような話ばかりだからな」

「普通、ダンジョンを五つも制覇するころには、女王様と知り合いになってると思うけどなあ」

「そうなのだろうが、まず、ダンジョンを五つ制覇というあたりが前人未踏で、普通ではない」

「そうですかね? でも、普通は――」

「悪いが、あなたと『普通』について語り合う気はない」



 修行ですり減った心が折れかねない予感があった。

 それとも、この『普通談義』こそが精神修行なのだろうか。

 ロレッタは身構える。

 けれど、アレクはがっくりと肩を落として、素直に話をやめた。



「……じゃあ、最後に、風呂の説明を」

「ありがたい。実は、私は風呂が好きなのだ。しかし家を飛び出してからというもの、風呂のある宿に泊まるなどという贅沢はできず……家には風呂があったので、他の家屋にもあるものと思っていた私には、ずいぶんな衝撃だった」

「わかりますよ。俺もこの世界に来て、風呂文化が貴族にしかないっていうのが一番衝撃的でしたから。俺のいた世界だと、普通に一家に一風呂あったのに。……あれ、ってことはお客さん、貴族なんですか?」

「……まあ、その。色々あって、今はただの冒険者だ」

「そうですか。詮索はしませんけど、隠してるなら気をつけてくださいね」

「気遣い、感謝する」

「……とにかく、風呂は、時間制です。女性の時間、男性の時間、清掃の時間が定まっています」

「なるほど。しかし、先ほど中庭であなたに殺された時、風呂らしきものはなかったように思えたのだが」

「ああ、俺が魔法で作るんですよ」

「……風呂を作る魔法など、聞いたことがないのだが」

「石壁を作る魔法を、五つ同時に発動しまして……」

「待て待て待て」

「はい?」

「その、説明が入口からおかしいのは、あなたの会話術かなにかか? 魔法を五つ同時に発動? 一人が同時に使用できる魔法は、一つまでだろう。大魔術師と呼ばれる存在で、ようやく、二つ同時発動ができる程度だ」

「いやでも、五つ同時に発動ぐらいはできないと、詰まるダンジョンがありまして。必要だったんですよ」

「必要だからといって世界を揺るがしかねない技術を開発しないでいただけないか。世の中には必要とわかっていてもできないことばかりで嘆いている人がたくさんいるのだぞ」

「世界を揺るがしかねないねえ。魔法を同時に使えたぐらいで世界は揺らがないと思いますが……方法を知りたいなら方法を教えますけど、お客さんは魔法使いっぽくないから習得できるかな?」

「あなたは冒険者時代なんだったのだ? 私の剣を止めた手腕から、てっきり、戦士系かと思っていたのだが」

「勇者です」

「は?」

「いえ、ですから、勇者です。剣も魔法も遠距離も罠も、全部に適性があるんです。伸びは遅かったですけど、死んで生き返って数をこなせば、まったく気にならないっていうか」

「なんだそれは……勇者? 勇者というのは、この世が乱れる時に異世界より現れる伝説の人物のことであって、職業ではないぞ?」

「職業的には冒険者だったんですかね? 万能冒険者」

「……ああ、わかったぞ」

「わかっていただけましたか」

「あなたの発言は、適度に理解しないよう努力することが大事だ。すべてをきちんと理解しようとすると、私の中の常識が揺らぐ」

「勇者ってそんなおかしいかなあ……電源入れてスタートボタン押して、名前入力したら誰でも勇者だと思うんだけど……」

「理解しない。理解しないぞ」



 ロレッタは耳をふさいだ。

 アレクは不満そうな顔をする。



「……まあとにかく、石壁を五つ作って、箱を作ります。そこに水を注いで、火の魔法でお湯を沸かします。そのあいだ、石壁と温度はずっと維持します。それで風呂の完成です」

「最大で六つの魔法を同時に発動しているように聞こえるし、魔法をずっと維持するとかいう難行をさらりと行なっているあたりもとても色々言いたいのだけれど、私はあなたの話を理解しないことにしたから、わかったとだけ言おう」

「まあ、風呂の時間は食堂の方も忙しいので、魔法で風呂を維持しながら料理もしてますけど」

「食堂から裏庭は見えるのか?」

「見えませんけど? おいそれとのぞけないようには、なってますよ」

「見ずに魔法を維持しているのか?」

「そうですけど?」

「……わかった。なるほどな。うむ。風呂は嬉しいな」



 ロレッタは考えることをやめた。

 アレクはうなずく。



「風呂を作ってすぐは女性の時間ですから、よろしければどうぞ」

「ああ、ありがたい。修行でくたくただ。久々の湯船に心が踊るよ」

「あ、そうだ。大変申し訳ないのですが、時間によっては、従業員もご一緒させていただくことがあるかもしれません……もちろん、女性ですが」

「それはかまわない。女性同士ならば、問題はない」

「ご協力ありがとうございます」

「ちなみに、残りの従業員は今、どこに?」

「俺以外に三人いるんですが、今日はたまたま、他のお客さんのクエストに同行してて」

「そういうこともやっているのか」

「はい。奴隷が二人に、妻が一人、みんな、それなりの実力者ですよ」

「……うん?」

「はい?」

「どうにもこの宿屋に来てから、耳が聞くことを拒みがちだな……大変申し訳ないのだが、今、あなたが妻帯者であるかのような話が耳に届いた気がする。おそらく空耳だと思うのだけれど、できればもう一度、はっきり言ってくれるか?」

「妻はいますけど」

「あなたの人格でか!?」

「今まで修行の時でさえ声を荒げなかったお客さんが、ついに声を荒げるほどのことですかね、それ。いますよ。妻。冒険者やって長いですし。相性のいい相手もいたっていうか……」

「……ああ、なるほど。相性がいい相手なのだな。安心した。あなたの人格でまともな人が妻になれるのかと、ついおどろいてしまったのだ。申し訳ない」

「いえ、申し訳ないポイントは別なところにあると思いますが」

「それで、あなたの細君はどのような常識欠落者……んん、失礼。どのような性格なのだ?」

「妻は常識人ですよ」

「細君は誘拐して知り合ったのか? それとも、あなたの目からは常識人に見えるとかいう、そういう話か?」

「……あの、お客さんは、みなさん、そんなに俺にまともな妻がいるの意外なんですか? このやりとり、いつもやってるんですけど」

「そうだな……意外というか、憲兵に連絡するべきかどうかを判断するためにも、興味はある」

「なぜ憲兵に」

「犯罪の気配を感じるからだが」

「それよりも妻の気配の方が近いですよ」



 ロレッタは言われて、感覚を研ぎ澄ます。

 ……だが、わからない。

 気配感知は苦手ではないはずだが。



 そうこうしていると――

 階下で、ドアが開く音。

 そして「ただいま」という、複数の、女性の声。



「妻が帰ってきたみたいですね」



 アレクはそう言って、きびすを返す。

 ロレッタは腰の剣の鞘を握り、慎重にアレクのあとを追う。


 完全な臨戦態勢。

 泊まることになった宿屋の主人の妻に会いに行く態度ではないが――

 仕方ないだろう。


 なにせ、この主人の妻なのだ。

 警戒しない方が、ロレッタ的にはどうかしていた。

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