59話
修行が終わったのは、夜だった。
『銀の狐亭』食堂。
トゥーラは光のない瞳で、やたらと姿勢良くカウンター席に座っていた。
他には――
カウンターの中にアレクがいるだけだ。
そこで、フライパン一杯のナニカを炒っていた。
トゥーラは人形のようにそこにある。
心音は正常で呼吸には乱れなく、体軸はぶれず芯を通したかのようだ。
一人の人、というよりは。
一つの岩、という趣だった。
「キョウカンドノ、ユウショクヲ、オネガイスルデ、アリマス」
声にも抑揚がない。
その様子は、人として大事なものが、なにか欠落しているようにも見える。
アレクは。
苦笑する。
「あの、トゥーラさん、修行は終わりましたよ」
「ユダンスルト、カベガ、オソッテ」
「宿の壁はお客様を襲いません」
「……ほ、本当に……? 本当に、壁は、襲わないのでありますか……? 小石を、蹴ってしまって、こするような音が、光る、目が、光、光、光が、光、ヒカリヒカリヒカリ」
「お疲れのようですね。夕食は元気の出るものを作りましょう。俺のおすすめは、ブラジル風豆のスープと――」
「他のメニューをお願いするであります!」
「……そうですか? 得意なんだけどなあ、豆のスープ」
ちょっと残念そうに言いながら、アレクが調理にとりかかる。
彼の思惑はともかく、トゥーラは人らしい精神を取り戻す。
ホッと胸をなで下ろした。
大丈夫。
まだ心は壊れていない。
トゥーラは胸をおさえて息をつく。
ああ、でも。
いずれ、こんなことを考えることさえ――
「ところで、どうですか?」
トゥーラが暗い気持ちでいると。
アレクが、唐突にたずねてきた。
首をかしげる。
「どうというのは、なんでありましょうか?」
「修行の成果ですよ。俺はステータスを閲覧できるのでわかりますが、みなさん、実感を求めておいでですからね。今日の修行の成果は、実感しやすい方だと思うのですが、いかがでしょうか?」
「……たしかに、始めの方と終わりの方では、まったく違った感じだったのであります。最初はダンジョンの中央までさえ進めなかったのでありますが、終わりごろは、進むだけなら余裕だったように思うのであります。帰り道は難易度が跳ね上がっていたのでありますが……」
「しかし、あなたは達成した」
「……コツをつかんだような気がするのであります」
「そう思っていただけているならば、よかった。いよいよ明日は実際にモンスターに攻撃――」
言いかけたところで。
宿のドアがノックされた。
「……ノックするということは、郵便ですかね。ちょっと失礼」
アレクが会話を打ち切って、宿屋入口へ向かった。
それにしても……
ノックされることは想定外だったけれど、人が来ることは想定内みたいな口ぶりだった。
だが、アレクの発言なので、なにも不思議なことはない。
彼に対する妙な信頼感が自分の中に根付いているのをトゥーラは感じた。
しばし、ドアの方でやりとりが聞こえる。
そうして、アレクが戻ってきた。
彼は封筒を手にしていた。
……封蝋が、王家のものだ。
封筒にはキスマーク。
トゥーラは。
席から立ち上がり、姿勢を正す。
「その手紙、もしかして女王陛下からでありますか!?」
「はい、そうですね。昨日お知らせしたあなたの修行の様子に対する反応でしょうか? 開けてみましょう」
「お、お願いするであります!」
アレクが軽く指で封蝋を弾く。
すると、封筒を閉じていた蝋が割れた。
中から便箋を取りだし、目を通す。
そして。
「……」
珍しく。
彼は、表情をこわばらせた。
しかしそれも一瞬だ。
いつもの笑顔に戻って、口を開く。
「トゥーラさん、お知らせがあります」
「な、なんでありましょうか……?」
「ルクレチア様宛に、殺害予告が届いたようです」
「…………はい?」
殺害予告?
それは、殺すという意思表示のことだろうか?
あまりにもあっさりと言うもので、聞き逃しそうになる。
アレクは。
変わらぬ調子で続ける。
「それでちょっとバタバタしていて、俺への手紙が遅れたようですね」
「……国家の一大事じゃないですか!」
「そうですね。でも、お静かに。他のお客様がお風呂にいらっしゃいますので、あまり大きな声ですと聞こえますよ」
「も、申し訳ないであります」
「さて、そこで、あなたがどうしたいか、俺はおたずねしたいのですが」
「ど、どうしたい、とは?」
「殺害が予告されているのは、明後日です。つまり、現在の予定ですと、あなたの修行は終わっていません」
「そうでありますな……」
「しかし、あなたはルクレチア様の身が危険にさらされるのであれば、守りたいんじゃありませんか?」
「それはもちろんであります」
大きな恩がある陛下を守りたくて、近衛兵を志したのだ。
なのに、陛下が危ない時に、修行なんてしていられない。
けれど。
アレクは言う。
「でも、あなたはまだ、他の近衛兵のみなさんに比べ、弱いですね」
「……」
「そこで、これから提示する二つの方法、どちらをとるかを選んでいただきたいのです」
「二つの方法、でありますか」
「一つ、このまま予定通り修行を続けて、一週間で近衛兵と同等レベルまで強くなる」
「……それでは、女王陛下をお守りすることは、できないのでは」
「そうですね。しかし、現状、あなたが行っても足手まといですので」
「…………」
悔しさのあまり、奥歯を噛みしめる。
足手まとい。
たしかに、そうなのだろう。
修行で強くはなったけれど――
それでも、まだ、近衛兵の方々にとどいている気はしない。
……当然だ。
他の近衛兵たちは、アレクの修行を終えている。
自分は未だ途中。
とどいているはずがない。
並んでいるはずがない。
そのどうしようもない事実が、悔しくてたまらない。
そんなトゥーラの意を汲んだように。
アレクが、言う。
「もう一つの方法」
「……」
「それは、本来あと五日かかる修行を、一日で終わらせる方法です」
「……そんなことが、可能なのでありますか?」
「無理をすれば」
今までの修行が『無理』じゃなかったかのような口ぶりだった。
いや、実際、アレクにとって『無理』はしていなかったのだろう。
彼は適切な難易度の修行をしていた、つもりなのだろう。
だから、今言った『無理』とは。
アレク視点でも、少々以上に無理のある修行を行なえば、という意味だろう。
どんな恐ろしいことをさせられるのか。
怖くて、怖くて、想像しようとしただけで体が震える。
でも。
トゥーラは言った。
「む、無理、を、します」
「……よろしいので?」
「ご恩を返すならば、今しか、ないのであります……だから、無理をして、強く、強くなって、女王陛下を、お守りしたいので、あります……!」
「わかりました。では、そのようにはからいます」
彼は笑顔で応じた。
どうしよう、優しい顔なのに不安でたまらない。
「ち、ちなみに、どのような修行を行なうかだけ、先に聞いてもよろしいでありますか?」
「ダンジョン制覇です」
あっさりと告げられる、その修行。
――ダンジョン制覇。
それは、ひとにぎりの冒険者のみが行なうことのできる偉業だ。
それを、冒険者経験のない、修行でしかダンジョンに入ったことのない自分が行なう。
……できるだろうか。
いや。
「やります。どんなダンジョンを制覇するのでありますか?」
「制覇していただくのは、レベル四十のダンジョンです。ダンジョンマスターは、レベル六十相当と考えられますので、制覇完了するころには、あなたは近衛兵のみなさんと並ぶ実力を持っていることでしょう。まあ、ステータスとレベルだけは、という感じになってしまいますが」
「……」
「昔ながらの不細工で非効率なダンジョン制覇になります。ようするに、普通に死に続け生き返り続け、攻略できるまで生死を繰り返すだけですね」
「今までの修行を乗り越えた自分であれば、可能であります」
「心強いお言葉です。では、明日、ダンジョンにお連れします。ですが、セーブポイントを出した時点で、俺は席を外させていただきます」
「なにか用事でありますか?」
「そうですね。……今回、女王陛下を狙う声明を出した集団のことを、独自に調査しようかと思いまして」
「教官どのも、女王陛下のために動いてくださるのでありますか」
「いえ、申し訳ないのですが、自分のためです」
「どういう意味で?」
「……いえ、ちょっと。犯行声明を出した組織……クランの名前が、気にくわないので」
「気にくわない?」
アレクがあまり使わないたぐいの言葉に思えた。
なにを考えているかわからない、感情の見えない男性というのが、トゥーラの思うアレクだ。
その彼が、『気にくわない』。
つまり、怒りの感情をあらわにしている。
おそるおそる。
トゥーラはたずねる。
「その組織の名前は?」
「『銀の狐団』です」
「…………それは、この宿の名前と同じようでありますが……?」
「ですので、やめていただきたいと思いましてね。営業妨害ですし――もしもウチのことを知っていてあえてこの名前を使っているのだとしたら、非常に遺憾ですから」
アレクは笑っていた。
けれど、なぜだろう。
トゥーラは、言い様のない寒気を覚えて、震えた。




