55話
『銀の狐亭』一階食堂。
トゥーラは大きなカウンターと数個のテーブル席があるその場所に来た。
昨日は姿が見えなかった、宿泊客とおぼしき人たちも、いた。
赤毛の身なりのいい女性。
魔術師であろう魔族の少女。
それから……褐色肌の、異様に幼く見える女の子。
そういう種族もいた気がするが、トゥーラの記憶に種族名まではない。
あとはエルフに、ドワーフ。
さらに、ウェイトレス役をやっている二人の獣人少女。
カウンターの向こう、調理スペースにいる獣人の少女。
「……女性が多い宿でありますね」
カウンター席に着きながら、トゥーラがつぶやく。
アレクは苦笑して答えた。
「以前、のぞきを働いた男性客がいらっしゃいましてね」
「なんと……それから教官どのは男性を受け入れないようにしたのでありますか?」
「いえ、少し反省を促したのです」
「はあ」
「そうしたら、その方、どうにも有名な冒険者だったらしく」
「なるほど」
「その方の変わりっぷりが評判になりまして」
「……なるほど?」
「それから、男性客が来なくなりました」
「………………ええっと、その『変わりっぷり』というのは、反省し、心を入れ替えたということでありますか?」
「そうですね」
「つまり、のぞきをするような男が、まっとうな男になったということでありますか?」
「そうですね」
「善人になったことが評判になって、どうして男性客が減るのでありますか?」
「それがわからないんですよねえ」
「その『のぞき男』が腹いせに、この宿の悪評を流したわけではなく?」
「ははは。悪評を流せる精神状態であることを、『反省した』とは言いませんよ」
「………………」
なんとなくわかってしまった気がした。
本当になんとなくで、言葉で表わすのは難しいのだけれど。
トゥーラは思う。
この人、絶対にヤバイ。
「さて修行についてですが」
この流れでそう切り出されると、トゥーラとしては逃げたくなる。
けれど逃げるわけにはいかない。
もうすぐ念願の近衛兵になれるのだ。
ここでつまずいたら、ここに至るまでにした努力がすべて無駄になる。
トゥーラは姿勢を正した。
そして。
「ご教授願うのであります」
「どうにも昨日は知っている前提で修行内容を話してしまいましたが……実は、セーブポイントというものがあるのです」
「……せーぶぽいんと?」
「はい。これです」
アレクが片手を突き出す。
すると、手のひらの向いた方向に、ほのかに発光する球体が出現した。
「……これが、『セーブポイント』でありますか?」
「そうですね。これに向けて『セーブ』を宣言していただくことで、死んでも大丈夫になります」
「は?」
「とは言っても、この世界の人にはよくわからないと思うので、実際にお見せしますね」
「じ、実際に? 『死んでも大丈夫』を実際に?」
「はい。おーい、ブラン、おいで」
呼びかける。
すると、双子とおぼしきウェイトレスのうち一人が、駆け寄ってきた。
白い毛並みの、猫獣人だ。
まだ幼い子供のようだがなにをさせるつもりなのだろう。
トゥーラは不安になる。
駆け寄ってきたブランが、無表情のまま首をかしげる。
「……パパ、なんですか?」
「ちょっと『セーブ&ロード』をお客様にお見せするから、アレやってくれないか?」
「…………私、あんまりあれ好きじゃないです」
「そこを頼むよ」
「…………パパの言うことなら」
「いい子だ。……では、トゥーラさん、これから実例をお見せしますね。『セーブする』」
アレクは笑顔のまま宣言する。
と、ブランがカウンターの内側へ行き。
右拳を、大きく振りかぶる。
そしてしばらく拳の先に魔力を溜めてから。
「…………えーい」
気の抜けるような、静かな声で。
思い切り、アレクの腹部を拳でぶち抜いた。
「………………………………………………えっ…………えっ……!?」
トゥーラはなにが起きたのか、数秒、理解できなかった。
腹部に拳大の穴が空いたアレクは、笑顔のまま、口から血を吐きつつ、硬直して。
そして、当たり前のように、後ろに倒れた。
「えっ、教官どの、死……?」
腹部に拳大の穴。
普通、死ぬ。
この事態には、周囲の宿泊客もざわついていた。
テーブル席で仲よさそうにしていた客たちが、口々におどろきの声をあげている。
「アレクさんに攻撃が通るだと……!? どういう腕力だ……!?」
「強い強いとは聞いてましたけれど、ブランちゃんは本当に強いのですわね……」
「はー、さすが宿屋で二番目に強いっつー話だな。……どんな修行してきたんだよ。想像もしたくねーわ」
……おどろきのポイントがずれている気がした。
宿泊客は、もっと宿屋主人の死におどろくべきだとトゥーラには思えてならない。
そんなことを話していると――
セーブポイントが、光量を増す。
そして、ひときわ強く、ピカッと光ったかと思うと。
ほんの一瞬で。
アレクがもとのように、カウンター内部に立っていた。
「どうでしょうか。トゥーラさん。『セーブ&ロード』の効力をご理解いただけましたか?」
たしかに死んだ。
でも、生きている。
なるほどそれが『セーブ&ロード』の効力なのだということは、なんとなくわかった。
しかし、それより大きな意味不明ポイントが、トゥーラの中には芽生える。
「あ、あの、実例を見せるためだけにお死にになったのでありますか?」
『お死にになった』なんていう言葉初めて使った。
アレクは首をかしげる。
「そうですが?」
「で、でも、死ぬのが怖かったり、痛かったりは……」
「慣れてますから」
「慣れ……!?」
「大丈夫ですよ。何回か死ねば、平気になります。だってこうしてきちんと生き返りますからね」
「そういう問題ではないような気がするのでありますが……」
トゥーラは心にもやもやしたものが広がるのを感じる。
生き返るんだから死んだっていい。
それはたしかに、理論だけならそうなのかもしれない。
でももっと、人として大切なことがあるような気がしてならなかった。
アレクは。
笑う。
「昨日教えた修行は、この『セーブ&ロード』が前提のものです」
笑顔で。
恐ろしいことを言う。
トゥーラは震えた。
そして、たずねる。
「つ、つまり、死ぬことが、前提……ということで、ありますか?」
「はい。だいたい、生き返れない環境で断崖絶壁から飛び降りたり、豆を食べたりするはずがないじゃありませんか」
「い、いえ、豆を食べるのは別に、死を覚悟せねばならないことではないはずでありますが」
「安心してください。何度死んでもいいですよ」
にこり。
優しく、アレクは笑う。
それが。
すごく怖い。
「経験が足りないなら、死んで稼げばいいのです。強さが足りないなら、死んで鍛えればいいのです。大丈夫、生き返りますよ。何度だって、挑戦できます。だから、安心してくださいね。その方法で、あなたをきちんと、女王様の近衛兵に仕立て上げてみせますからね」
トゥーラは知る。
今日まで、女王陛下の近衛兵のみなさんが、かたくなに修行内容を教えてくれなかった理由を。
たぶん。
語りたくないのだ。
それだけ凄惨なのだ。
トゥーラはガタガタと震える。
「じゃ、行きましょうか」
アレクが言う。
トゥーラは、彼の袖をつかんで、無言で首を何度も左右に振った。
アレクは。
ああ、となにかに気付いたような声を挙げる。
「すみません。気が回りませんで……朝食ですね。しかし、これからの修行は空腹で行なった方がいいと思いますが、それでも朝食は召し上がられますか?」
「……いらないであります」
アレクは首をかしげている。
だったら他になにが問題なのだろう? とでも言うように。
彼の精神構造がたぶん、一番の問題だとトゥーラは思った。




