44話
「明日はダンジョンで金策のご予定でしたかね?」
ホーが食事を終えたタイミングで、アレクが言う。
相変わらず客のいない、寂しい食堂だ。
ホーは食後の果実酒を飲みながら、うなずいた。
「そうだな。二日に一回、レベル三十以上のダンジョンを探索する……じゃないと借金返済が間に合わねー。ということで悪いが、明日は修行はナシだ。いやあ、残念だな。せっかく肩慣らしがすんだとこで、これからやる気出そうと思ってたのによ。明日は修行ナシかあ。やれやれだぜ」
「いいえ」
「……しゅぎょう、なし、だよ」
「いいえ」
「だって、なしだもん。たんさくしないとだめだもん。おかねかせがないとだめだもん」
「金策と修行は同時に行えないものではありませんよ」
ホーはふるふると無言で首を何度も横に振る。
アレクはうなずいて、続ける。
「大丈夫ですよ。あなたにできることしか、やっていただきませんから」
「ふつうのひとはね、じさつ、できないよ?」
「できたじゃないですか」
「結果論じゃねーか!」
「……結果的にできたなら、それは『できること』ということでは?」
アレクは首をかしげた。
そうじゃない。
そうじゃないのだけれど、ホーにはうまくこの店主に説明することができそうになかった。
人の道理をモンスターに説くのは難しい。
「……で、あたしになにをやらせるつもりだ?」
「ダンジョン制覇を」
「……あ、あのね、アレクさんね、ホー、ちゃんと、すうじ、かぞえられるよ。あした、まだ、しゅぎょう、ふつかめだよ?」
「そうですね」
「みっかって、ゆったじゃん。みっかで、せいはって、ゆったじゃん。なんでやくそく、やぶるの? やくそく、やぶったら、だめなんだよ?」
「それは明日のダンジョンを攻略していただくのに、まる二日かかるからですよ」
「むり、むりだよお」
「大丈夫です。できることしか、やっていただきませんから」
「だからあ……! ひとは、じぶんで、いのちをすてられないって、ゆってるじゃん……!」
「人は死にものぐるいになれますよ。そして、死にものぐるいで行ったことは、だいたい成功するものです」
「しんじゃうよお」
「大丈夫です。セーブはしていただきます」
「しにたいよお……」
「人は簡単に命を捨ててはいけませんよ」
このひとやばいよお。
ホーはもう泣きそうだった。
今まで冒険者とやってきて積み上げてきた自分がガラガラ崩れていく感じがする。
小さな体に、幼い見た目。
このせいで弱く見られないように、さんざん乱暴者ぶってきた。
でも。
本当の化け物の前ではそんなちっぽけな強がり、まったく無意味なのだと思い知らされる。
アレクは言う。
笑って。
「明日挑んでいただくダンジョンは、レベル二十相当です」
「……お? そうなのか?」
「元気を取り戻されましたね」
「いや、どんなむちゃくちゃな難易度を要求されるかと思っていたんだが、あたしのレベルと同じぐらいじゃねーか。……まあ、制覇が簡単だとは言わねーけど、何度も死ねるなら楽勝だな」
「はい。そうですね。今日の修行の成果もありますので、楽勝ですよ」
心強い太鼓判。
その直後。
アレクはなんでもない調子で続ける。
「普通のレベル二十のダンジョンだったら」
にこにこ。
……なぜだろう。
心強い太鼓判をもらったように聞こえて、その実、まったく安心できないというか。
安全な橋をかけられた瞬間、橋桁を外されたような感じ。
ホーは。
聞きたくないと思いながらたずねた。
「……『普通のレベル二十のダンジョンだったら』ってなんだよ」
「明日挑んでいただく予定のダンジョンは、レベル二十ですが、『制覇者推奨』です」
「普通、制覇者推奨ダンジョンは、レベル七十以上のはずだが」
「はい。ようするにそのダンジョンは、既存の基準では危険度を測定できません」
「つまりどういうこった?」
「詳しい説明は明日、します。おそらく実際にダンジョンを目の前にしないと、理解し難いと思いますので」
「やめてよお……そういうの、こわいから、やだってばあ」
「んー……しかしですね、アレを目の前にせず、いくら説明したところで、信じられないだけだと思います」
「ギルド、いこう? いらい、うけよう? そしたら、ギルドのひとが、せつめいしてくれるよ」
「ああ、依頼は今夜、俺が代わりに受けておきますから、明日朝一番でダンジョン直行です」
「んなことできるわけあるか」
さすがに正気に戻る。
ギルドで勝手に他の人の依頼を受けることはできない。
依頼を受ける際は、受けるメンバー全員がその場にいることが条件だ。
ギルドマスターの娘でなくても知っている常識だった。
しかし。
なんでもない調子で、アレクは言う。
「できますよ。あなたのおばあさまと知り合いですし」
「……知り合いだからって規則をねじ曲げるような、かわいげのあるババアじゃねーぞ」
「実を言えば、俺は『クエスト委託所』の試験運用にお付き合いさせていただいているのです」
「……『クエスト委託所』?」
「はい。ギルドは街の出口から遠いでしょう? だからもっと簡単に冒険者がクエストを受けられるような制度を、クーさんは考えておいでなのです」
「はあ」
「ですが問題が多いのは、聞いただけでわかりますよね。冒険者の不利益になる嘘の受注をする者が出たり、達成していないクエストを達成したと虚偽申告するやからも現れると思います」
「まあそうだな。冒険者とその『クエスト委託所』の癒着なんかも考えられるだろ」
「はい。今はクーさんのお膝元なので、そのような嘘つきを見抜くこともできますが、手広くやると起こる問題は、色々と予想されます。が、実際、どこでもクエストを受けることができれば便利になるとは思いませんか?」
「まあな。いちいちババアのいない時間を狙ってギルドに行かずにすむし」
「……その事情はあなただけのものでしょうけれど。街の端に宿をとった冒険者が、一度街の中央付近にあるギルドに行き、そこからクエストに行くという無駄手間の解消は、大きな利点です。ですからクーさんは『とりあえずやってみる』ことにしたのです」
「で、試験運用するやつにあんたが選ばれたと。ってことは『クエスト委託所』ってーのは、宿屋が兼任するもんになるのか?」
「そうお考えのようですよ。冒険者はだいたい宿屋を利用しますからね」
「なるほどな」
「実は俺の他にも何人かが、すでに『クエスト委託所』の試験運用を手伝っています。俺が冒険者のころに知り合って、今は宿屋主人をやっている女性も、その試験運用をしている一人ですね。聞いたことはありませんか? 『翡翠のゆりかご亭』という宿です」
「……街一番の高級宿じゃねーか。そこの主人と知り合いとか、意外と顔広いなあんた」
「長くやっていましたから」
「つってもまだ二十代とか三十代だろ? 見た目だけならそんなもんに見えるが。雰囲気はともかくとして……」
「ああ、そう見えます?」
「違うのかよ」
「実のところ自分の正確な年齢を知らないんですよね。ちょっと記憶が抜けてる期間がありますもので」
「……意外と苦労してんな、あんたも」
「よく言われます。『意外』だと」
アレクは苦笑する。
ホーも、ようやく笑えた。
「……まあ、ダンジョンの全貌はすげえ気になるが、あたしにも制覇できる算段なんだろ? 死亡前提とはいえ」
「んー……」
「違うのかよ」
「いえ、制覇できる算段ではありますよ。ただ、死亡前提かどうかは、微妙なところです。セーブはしていただきますが」
「そうなのか? じゃあますます楽勝じゃねーか」
「かもしれませんね。俺としては、死にながらの方が楽な場合もあるので、なんとも言えませんけれど。楽かどうかは主観ですしね。俺とあなたの基準はきっと、違うでしょう」
「いや、あんたとあたしの基準が違うんじゃねーよ。人とあんたの基準が違うんだ」
「みんな特別なオンリーワンですからね」
「そういう話じゃねーよ」
「ともかく、明日の予定はそのようにしようと思っていますが、いかがでしょうか?」
「悪くねーな。制覇賞金なら、借金も一発で返せるだろうし」
「では、決まりですね」
「ああ。依頼を代わりに受けてくれるってのも気に入った。ババアのいるギルドは居心地悪くてしょうがねーからな。それは素直に助かる」
「当店は駆け出し冒険者に万全のサポートをお約束しておりますので」
「死んでもいいように?」
「はい。それも、サポートの一環ですね。あとは――みなさんが、冒険者として抱いた最初の目標を達成できるように、ですかね」
「最初の目標、ねえ」
そんなもの。
ホーは自分の中を探る。
でも、目標らしきものはなかった。
偉大なギルドマスター。
その孫。
周囲から強制されるそんな立場が嫌だから、がむしゃらにやっているだけだ。
……自分の影とかけっこをするような虚しさを覚える。
どんなに速く走っても。
どんな道を走っても。
振り返れば、そこにいる。
引き離すことはできず、いつでも視界にチラつく。
捨て去れないもの。
「……ま、とりあえず『ダンジョン制覇』があたしの『最初の目標』になるのかな」
「そうします?」
「…………いや。あんたの前で迂闊なこと言うのはこえーから、やめとくよ。まだ保留だ」
「わかりました。食器、お下げしても?」
「あ? ああ。頼むわ」
アレクはホーの食べた皿や、ジョッキを持って厨房の方へ歩いて行く。
ホーはその後ろ姿を見て思った。
「……あの人なら、自分の影さえぶっちぎるんだろうな」
 




