43話
「そろそろ明日の予定について、お話しましょう」
「うん。あしたもいっぱい、おはな、みえるかな?」
「ホーさん? まだ戻られないので?」
「……ハッ!? な、なんだ!? ここはどこだ!?」
ホーは慌てて周囲を見回す。
ここは――『銀の狐亭』だろうか。
食堂らしき空間だ。
時間はいつのまにか夜になっており、自分はカウンター席に座っていた。
目の前にはアレク。
奥の方、構造的に考えて厨房となっている場所でも、誰かが動いている気配がある。
たぶんこの宿のコックだろう。
ホーは目の前に置かれていた水を飲んだ。
ひどく、記憶があいまいだ。
でもなんだか、とても楽しいことがあったような気はした。
満開の花畑。
そこで楽しく、誰か懐かしい大人と遊ぶ夢。
……だというのに、体がかすかに震えている。
怖いことがあったのか、楽しいことがあったのか、どちらなのだろう。
ホーはたずねた。
「……すまねえが、あたしはどうしてここにいるんだかわかってねえ。説明してくれ」
「ここは『銀の狐亭』の食堂です。あなたは、南の地の果てから、俺と二人で歩いて戻ってきました。本日分の修行はすでに終わりまして、これから夕食をとろうというところです」
「そうなのか……何回か崖から飛び降りた記憶はあるんだが、その後がどうにもあいまいでな」
「ついでに明日の修行のご説明もさせていただきます。本来は帰り道にするべきことだったのですが、帰り道、あなたはお花摘みに夢中でしたので、楽しそうなところをお邪魔するのも悪いかと思いまして、後回しとさせていただきました」
「……お花摘み?」
「はい。道端に咲いているお花を摘んで、ブーケなどを作ることです。あなたが摘まれたお花は、そちらの花瓶に飾っておきました」
アレクが手で示す。
ホーは、示された先である、宿屋入口の方向を見た。
受付カウンターの上には、たしかに無骨な陶器の花瓶がある。
そこに、小さなかわいらしい花が、たった三つだけ、入っていた。
花瓶のゴツさと花のささやかさがまったく合っていない。
……が、その前に。
「なあ、アレクさん」
「なんでしょう」
「あたしはこの宿から出る前に、あの受付カウンターをぶっとばしたと思うんだが」
「そうですね」
「宿から出る時も、そのままだった気がするんだが」
「そうですね」
「いつの間に直したんだ?」
「妻が五分でやってくれました」
「……妻ぁ?」
「奥で料理をしている者です。料理、人の治療、家屋の修繕など細かい調整が重要な作業は、妻が得意ですからね」
「料理と人の治療と家屋の修繕をシレッと同列に並べるんじゃねーよ。たぶん全然違うぞ」
「魔力をこめすぎると爆発する点は同じですよ」
「っていうか料理に魔力なんて使うのか――爆発!? 人の治療で!?」
「物体に魔力を通す技術の応用で、丈夫さを上げたり、治癒したりもできますからね。剣士の方はみなさん、規模の大小はあれど使っている技術ですよ。ただ通す魔力が多すぎると、破裂したりします。ご存じでは?」
「そうだけどそうじゃねーよ! あたしが言いたいポイントとずれてる! 人の爆発とかいう大惨事の詳細を教えろっつってんだよ!」
「まあ、そういうこともあったということです。俺も妻も、最初からできたことなんて、数少ないですからね。少しずつ失敗して、自分を鍛えていったんです」
「っていうか爆発した人はどうなったんだよ!?」
「ご安心ください。妻の料理はとても美味しいですよ」
「爆発した人は!」
「生きていますよ。セーブしてましたから。ちなみに爆発したのは俺です」
爆発したのは俺です。
なかなか言えるセリフではないように、ホーには思えた。
「……あんたと話してると頭がおかしくなりそうだ」
「ところでお夕食はなにを召し上がられます? 苦手な食材などあれば、先におっしゃってくださいね」
「好き嫌いはねーよ。任せる。ああ、値段は安くな」
「わかりました。では、そのように」
アレクが一礼して奥へとひっこむ。
ホーは、受付の花瓶を見た。
「お花摘み、ねえ。あたしがか?」
自分の行いらしいのだが、信じられない。
それこそ小さなころは、花が好きでよくやっていたような気がする。
……今でもブーケの作り方は覚えているだろうか。
ホーがそんなことを考えていると、奥からアレクが戻って来た。
「お待たせしました」
「……はえーな」
「当店ではお客様をお待たせすることのないよう、常に五分以内にお食事を提供できる環境を整えております。……メニューにもよりますが」
「ってことはずっと火をおこしっぱなしかよ。危ねーなあ」
「火力調整は妻が魔法で行っておりますから安心ですよ。さ、どうぞ」
コトリ、と置かれる。
それはなんの変哲もないプレートだった。
切られた楕円系のパン。
野菜をペーストにしたと思しきディップ。
中央にはオムレツと分厚いベーコン。
彩り豊かな生野菜のサラダ。
……なんの変哲もないというのは、間違いかもしれない。
新鮮な生野菜に分厚いベーコンとか、なんでこんな高級品が当たり前のように紛れ込んでいるのかさっぱりわからない。
ひょっとして高いんじゃねーか?
そう聞こうとして。
できなかった。
ホーの視線は、プレート右下にある、スープ椀に釘付けだった。
それは。
それは、なんの変哲もない、ごくごく一般的なスープ。
ほのかに色づく澄んだスープ。
対して濃厚な香りは、複数種類の材料がとけこんでいることを容易にうかがわせた。
うまそうだ。
そう思っていいはずの、香り。
でも。
吐き気を覚えた。
そのスープに使われている材料を認識した瞬間に、頭がスパークするような衝撃があった。
小さな、球状の物体。
スープを吸って瑞々しく輝く、それ。
プチッと歯ごたえのある外殻に対し、内部はクリーミーで、咀嚼すると楽しい味わいがあり、なにより満腹感を多くあたえてくれる、それ。
――豆。
ホーは、豆を見ただけで、自分の体が尋常ならざるほど震えるのを感じた。
だめだ。
豆を食べることはできない。
見るだけで、おそろしい――いや、おぞましい。
思い出してはいけない記憶が甦る。
それは自己防衛のために捨て去っていたはずの悪夢。
王都南の絶壁。
大きな風呂敷包み。
笑う、男。
そいつが、言う。
――死ぬまで。
――死ぬまで、豆を食べることが。
――修行。
「やだ……やだよ……おまめさん、やだよ……やだ……もうやめてよ……もうむりだよお……いっぱいで、はいらないよお……」
「どうされました?」
「えっ? あっ? うっ? い、いや、その、なんか……よくわかんねーが……と、とにかく、豆はだめだ。それは、無理だ。下げてくれ」
「はあ。では別なスープをお持ちしますね。でも、おかしいな」
「なにがだ?」
「先ほどはいくらでも食べられたのに、急に駄目になるものなんですね」
「先ほど?」
「修行で食べたでしょう? ああ、それとも記憶が曖昧なんでしたっけ。ロードの影響かなあ……でも俺の場合はそんな症状起こらなかったし……どうなんだろ」
アレクはスープ椀を持って厨房へひっこむ。
記憶はあいまいだが――
ホーは理解した。
「その修行のせいだな、絶対……」
そうに違いない。
知らないあいだに自分が造り替えられていることを知って、ホーは身震いした。




