42話
「しょうがねえな! ちょっと記憶はあいまいだが、承諾したことは覚えてる。大人しくアレクさんの修行を受けてやらあ!」
ホーは無事に回復した。
なので修行に移る。
場所は王都南にある断崖絶壁だ。
ここ以南を未開の地にするほど深く大きなクレバスが、見渡す限り広がっていた。
アレクとホーは、断崖側に布を布いて、そこに腰掛けている。
これから修行だというのに、まるでピクニックのようだ。
アレクはもとより宿屋受付のままの格好だし。
ホーだって、鎧と、髪にじゃらじゃらつけた武器はなくなってしまって、今はゆるすぎるワンピースのようなものをまとっているだけの状態だった。
武装していない男女が景色のいい場所に座っている。
必然、のんきな雰囲気になろうというものだ。
もっとも、アレクの横にある謎の巨大風呂敷が、妙な威圧感を放ってはいるが……
時刻は――いつのまにか夕方だった。
ホーの記憶は若干ふわふわしている。
でもなにか、郷愁にかられるような、懐かしく胸をしめつけられる感覚があった。
記憶があいまいなあいだの自分は、アレクをとても信頼していた気がする。
いつのまにか『テメー』とか『おいコラ』とか彼を呼ぼうとしても、口に出すと自然に『アレクさん』となってしまうようになっていた。
彼の修行なら、なにか、今までの自分ではわからなかったことがわかるようになるかも。
期待と高揚を覚えながら、ホーはたずねる。
「で、修行ってなにすりゃいいんだ?」
「まずは軽く飛んでいただきます」
「…………あ?」
「次に豆を食べていただきます」
「………………まめ?」
「それできっと夜ぐらいまでかかるでしょうから、今日はそれで終わりましょう。帰り道で軽く明日の予定なども話させていただきます」
「飛ぶってなんだ?」
「ジャンプです」
「はあ、ただジャンプすりゃいいのか?」
「そうですね。あとは重力が勝手にやってくれますので」
「ちょいちょい意味わかんねーが……なんつーか……修行? ずいぶんゆるい修行じゃねーの。それとも宿屋経営の片手間にやるんだからこんなもんか?」
「そうですね。なるべくゆるめにしてはいますよ。修行でもなんでも、長く続けることが一番大事ですからね」
「ああ、長く細くな。そういう方針で宿代を稼ごうって魂胆か」
「強いて申し上げるならば長く太くですかね。一度しかない人生ですから。いけるギリギリまでいきたいじゃないですか」
「……どうにも会話が噛み合ってる気がしねーが」
「ところで本格的な修行を始める前におたずねしたいことがあります」
「なんだよ」
「あなたの目的です。修行で、どの程度まで強くなりたいのか、教えていただけますか?」
「あー、借金返せりゃいいかな」
「借金?」
「……しまった」
言ったあとで後悔する。
仮にも相手は宿屋主人だ。
そいつに『借金をしている』なんて素直に言ったら、支払い能力を疑われる。
実際、支払い能力はない。
今は借金の返済で手一杯だ。
それに。
目の前のこと以外――どうだっていい。
どこまで強くなりたいかと聞かれて、唯一思いつくのが、借金返済まで、だった。
アレクは。
変わった調子もなく、笑っている。
「なるほど。ちなみに借金の額はどの程度なのですか?」
「……返済プランは、二日に一回、レベル三十相当のモンスター討伐クエストを達成して、コツコツ三ヶ月かけて返すことになってる」
「相当な金額ですね」
「……利息分でふくらんでるんだよ」
「ちなみにですが、お見受けしたところ、あなたはレベル二十半ばぐらいでしょうか」
「間違ってねーよ」
「レベル二十半ばのあなたが、二日に一回、レベル三十相当のモンスター討伐クエストをしなければならない状況だったというのは、かなり違和感を覚えますね」
「毎日レベル二十のクエスト受けるより楽だと思ったんだよ。それに……自分よりレベルの高いダンジョンに挑んだ方が、手っ取り早く強くなれんだろ?」
「無理をして強くなりたい理由でも?」
「……ババアがギルドマスターだからだよ」
「なるほど。ギルド長を越えたいと」
「……別にそんなんじゃねーよ。ただ、ババアより成績が悪いと回りがうるせーからな」
「ご立派な目標です」
「……ハッ。これは目標じゃねーな。ただの呪いだ。偉大なギルドマスターを越えろ! 血縁なんだから追い越せ! さもないとお前はいつまでも『ギルドマスターの孫』だ! ……そういう呪いだよ。クッソくだらねー、な」
「そうですか。ところでクーさんがダンジョン制覇を成し遂げたのは、五十年前だそうですね」
「あ? ああ、そうみてーだが……」
クーさん。
それはもちろん、ホーの祖母の名前だ。
だが、普通、人は彼女をギルドマスターと呼ぶ。
そちらの方が通りがいいからだ。
それに、ホーは、自分の祖母が決して愛想のいいおばあちゃんでないことを知っている。
乱暴で。
むやみに迫力があって。
少なくとも気安く『クーさん』などと呼ばれるような人柄でないことは経験で知っていた。
……家族にさえ。
厳しい、無愛想な、クソババアだ。
そのババアをこんなに親しげに名前で呼ぶなど。
アレクは何者なのか。
改めてそんな疑問がわいた。
彼は笑ったまま語る。
ホーの知らない、祖母の話を。
「五十年前、レベルというものの基準は現在とだいぶ異なったと聞きます。簡単に言ってしまうと正確性が足りなかったのです。レベル十と判断されたが実質的な強さは現在で言うレベル五相当の者がいたり、同じ強さでも試験官によってレベルをバラバラにされたりということもあったようですね」
「そうなのか」
「はい。もっとひどいのが、ダンジョンレベルです。当時からダンジョンレベルを決めるのは『調査』を担当する貴族だったようなのですが、どうにも、『難しいダンジョンを低いレベルだと判断する』ことが、格好いいと思われていたらしく、こちらも正確ではありませんでした」
「……なんだそりゃ」
「貴族はダンジョンを『探索』しませんからね。自分が『レベルが低い』と判断したダンジョンで冒険者が死ぬことを、『あの程度のダンジョンで死ぬなどと情けない』と笑うのが、当時の楽しみ方だったようですよ」
「…………クソすぎだろ」
「そういった制度を改革したのが、あなたのおばあさまです」
「……」
「ダンジョンレベルの適正な審査と、冒険者レベルの正確な審査を徹底するため、多くの基準を設け、それを王室ダンジョン調査局に認めさせました」
「……あのババアがか?」
「はい。今、冒険者たちが自分のレベルとダンジョンレベルを照らし合わせ、正確なリスクコントロールができるのは、あなたのおばあさまの功績なのですよ」
「……そんなの、あのババアは一度もあたしに言わなかったぞ」
「いちいち言う理由はありませんからね。隠す理由もないでしょうが。……まあ、クーさんの性格を考えれば、『孫にそんな話をするのは自慢みたいで恥ずかしい』といったところでしょうか」
「あんたは何者なんだよ。なんでうちのババアとそんなに親しいんだ」
「一時期、彼女に育てられましたからね」
「…………はあ?」
「なので、あなたは俺にとって、ある意味で姪っ子みたいなものです。あなたのお母様は、俺の姉さんみたいなものです。実はあなたが赤ん坊のころに会っています。まあ、ドライアドは成長の遅い種族なので、赤ん坊期間も長いですから。結構一緒にいましたけど、記憶にないでしょう」
「……」
「話が逸れましたが――おばあさまは強さによってのみ、現在の地位にいるわけではありませんということです」
「……だからなんだっつーんだよ」
「あなたの目的が『ギルド長を越える』の場合、それは、強さによってのみ成し遂げられることではないと申し上げたかったのです」
そんなこと。
わかっている。
だから、ホーはくだらなさそうに吐き捨てる。
「ハッ。あんたもババアの味方かよ。あたしの前でババアにおべっか使ったって、ババアに取り次がれるわけじゃねーぞ」
「俺は、嘘と、ハッタリと、思ってもいないおべっかが苦手ですので。真実をありのまま、申し上げているだけですよ」
「じゃあなんだよ。あたしじゃギルドマスターを越えられねーって、ただ言いたかっただけか」
「いいえ。強さによってのみ越えることはできないと申し上げたまでです」
「方法でもあんのか?」
「さて」
「……んだよ」
「ただ、同じ気持ちになってみるのは、いいかもしれませんよ?」
「どういう意味だ?」
「あなたもダンジョンを制覇してみては? とりあえず、一つから」
にこにこ。
笑顔のままアレクは言う。
ホーは首をかしげた。
そして。
「簡単そうに言うんじゃねーよ。……冒険者としての最終目標としてなら、『ダンジョンを制覇』ってのも悪くはねーかもしれねーけどさ」
「いえ、三日でやりましょう」
「………………えっ……ほ、ホーは、だんだん、よくわかんなくなってきたよ」
「口調が崩れていますが、大丈夫ですか? やっぱり普段の口調はご無理なさっているのでは?」
「む、無理とかしてねーから! あたしは産まれた時からこんな口調だっつってんだろ!」
「あなたの産まれた時を知っている俺に、どうしてそんな嘘をつくんですか」
「うっ、うるせーな! とにかく! 目標はあとだ! まずはあんたの修行が本当に効果あるか確かめてやる! ダンジョン制覇を三日で? ハンッ! できるもんならやってみやがれ!」
「そうですか。わかりました」
にこり、と小首をかしげながら笑う。
ホーは。
なにか自分が、とんでもないことを口走ったかのような気がしてきた。
だから。
慌てて、言う。
「さ、最初の修行は、ジャンプすりゃいいんだよな?」
「そうですね」
「それでどんな効果が出るのかさっぱりだが、とりあえずはあんたの指示に従ってやるよ。指示と違うことをしたから効果がなかったなんて言い訳させたくねーからな」
「効果はご心配なく。でも、その前にセーブをお願いします」
「は? なんでだ? ただジャンプするだけだろ?」
「そうですよ。そこの絶壁に向かって、ただジャンプしていただくだけです」
「……えっ、やだよ。いみわかんないもん。そんなことしたら、ホー、しんじゃうよ?」
「はい。ところで口調――」
「無理はしてねーからな! っていうか『はい』じゃねーだろ!」
「いいえ」
「勇気を試せってことか?」
「いいえ」
「丈夫さを試せってことか?」
「……いいえ」
「試すもんは特にないのか?」
「はい」
「じゃあただの自殺じゃねーか!」
「はい」
「や、やだよお……」
ホーは追い詰められた表情で、いやいやと首を左右に振る。
アレクはかまわずセーブポイントを出現させて。
笑顔のまま。
言う。
「では、セーブをお願いします」
「な、なさけとか、ようしゃとか、ないの?」
「ありますよ。ですので、アドバイスが」
「なあに?」
「下手に髪を使って落下速度を緩めないでくださいね。死ねませんから」
「……」
「さ、どうぞ」
ホーは首を何度も何度も横に振った。
アレクはただ一つだけ、うなずいた。
行け、と。




