36話
部屋。
ベッドと化粧台があるだけの簡素なその場所で、モリーンは部屋の隅で膝を抱えていた。
すでに夕刻だが、明かりはつけていない。
部屋に通された瞬間、緊張の糸が切れて、眠ってしまったのだ。
アレクは文句も言わず、起きるまで待っていてくれた。
「……突然、戻って来てしまって、本当に申し訳ございませんでした。しかも、こんな、問題を持ちこんでしまい……」
モリーンは、謝罪する。
アレクは笑顔のまま、首を横に振った。
「かまいません。ある程度予想がついていたことでしたから」
「……どういうことですの?」
「アンロージーさんは、ひどい差別主義者だそうですね」
アレクは、手になにかを持っていた。
封筒、だろうか。
立派な封蝋の跡が見える。
モリーンの記憶に間違いがなければ、王族の使う封蝋に見えた。
ついでに、封筒の隅にキスマークがついているのが、地味に気になるが……
それどころではないので、モリーンは話を続ける。
「アンロージー様は、我々亜人の孤児を、虐待するために引き取っていたようなのです」
「亜人、亜人、と言われますが、その言葉はもう、差別用語ですよ」
「……そのようですわね」
「アンロージーさんは、少し変わった趣向の持ち主のようですね。引き取り、閉鎖的な環境で育てて、野に放って、犯罪者に仕立て上げて、捕らえる。……憲兵大隊の方ですからね。人間ではない種族を虐待するための大義名分が必要なのかもしれません」
「……」
「モリーンさん、お休みが足りないようでしたら、俺は外しますが」
「いえ。……お屋敷に戻って、快く出迎えられ……そうしたら、急に、引っ立てられて……知らないあいだに、わたくしが、凶悪犯罪者だということに、なっていて……尋問を……」
「されたんですか?」
「……いえ。される前に、逃げました。杖はとられておりましたが、杖がなくとも魔法は使えますので。アレク様の修行のお陰で、こうして五体満足で帰ってくることができましたわ」
「俺の修行があなたのお役に立てたのであれば、幸いです」
アレクは一礼する。
モリーンは笑う。
空虚な笑顔。
「……全部、わざとだったんですわね。適性のない弓をやらされ、馬鹿にされたのも。ことあるごとに蔑まれ、叱られていたのも。愛の鞭ではなく、ただの、鞭だったのですわね」
「……さて。俺からはなんとも」
「ごめんなさい。……ごめんなさい。こんなこと、あなた様に言うべきでは、ないのでしょう。でもわたくしには、あなた様の他に、頼れる相手も、いないのです」
「宿屋主人として嬉しく思います」
「妹たちを、助けないと」
モリーンはハッとする。
一人で逃げてしまったが――
これから同じ運命をたどるはずの妹分たちを、あのままにしてはおけない。
「……アレク様、ご迷惑をおかけしました。わたくしは、これよりアンロージー様のお屋敷に乗りこみ、妹分を救い出します。ですのでどうぞ、わたくしとあなた様のあいだには、かかわりがないことにしていただけませんか? きっと犯罪者として追われるでしょうから、ご迷惑になります」
「やめた方がよろしいかと」
「ですが、他にやりようもございません」
「憲兵大隊の隊長さんの家から、人をさらうというのは、色々と現実的ではありません。難易度自体はあなたが挑んだダンジョンより低いでしょうが、その後、妹分の子たちを引き連れどのように生活をしていくおつもりで?」
「それは……」
「冒険者はもともと灰色な者が多いとは言え、憲兵の家を襲撃すれば、さすがにギルドも守ってはくれませんよ。となると、あなたの行く末は犯罪者しかありませんね。残念ながら、うちの宿泊客から犯罪者を出す気は、俺にはありません」
「評判に傷がつきますものね。その点は本当に、申し訳ないと……」
「違います。サポートをお約束した身として、あなたの将来を暗くするわけにはまいりません」
「ですが、助けなければ、なにも知らないあの子たちも、いずれ犯罪者に仕立て上げられ、尋問をされてしまいます」
「助けること自体は、いいと思いますよ。それはどうぞ、ご随意に」
アレクは笑顔のままだった。
モリーンはだんだん頭が混乱してきた。
「妹を助けるのはよくて、屋敷に侵入して妹たちをさらうのは、駄目ということですの?」
「そうですね」
「他に、どのようなやり方が……」
「俺のいた世界には、こんな言葉がありました」
「えっ? 言葉? 世界?」
「『バレなきゃ犯罪じゃないんですよ』」
「…………」
なにを言っているのだろうこの人は。
モリーンは呆然としてしまった。
アレクは続ける。
表情は変わらない。
「俺はあなたを助けません。修行までの面倒は見ても、あなたを助けてしまうと、あなたから成長の機会を奪ってしまいますからね。だから、あなたが妹分たちを助けるのに、俺は力をお貸しすることはできません」
「それは…………ごめんなさい。本音を言ってしまいますと、あなた様の助力を得られないかという望みが、まったくなかったわけでは、ないのです」
「そうでしたか。けれど、あなたは、ある意味で運がよかった」
「……運、ですか?」
「そうですね。実は俺は、宿屋主人の他にも、色々活動をしています」
「拷問など?」
「いえ、拷問はしたことがありません」
「では他にどのような?」
「『狐』です」
「………………はあ?」
「その昔、『銀の狐団』というクランがありまして。とてもすごいクランでしたよ。なにせ、そこには伝説的な犯罪者が何人もおりましたから」
「……」
「中でも最も伝説的な三人の犯罪者がいました。クランリーダーをしていた『はいいろ』という暗殺者。今でも謎多き『輝き』という者。それに――盗賊として名を馳せた『狐』です」
「…………」
「もともと『銀の狐団』というのは、『はいいろ』『輝き』『狐』の三人が設立したクランのようでして、三人の名前を合わせて『輝く灰色の狐団』だったのが、『輝き』が死んだので『銀の狐団』とその名を改めたのです」
「………………えっと」
「俺はその三人に訓練を受け、三人の名前を継ぎました」
「……………………」
「なので俺は『はいいろ』であり、『輝き』であり、『狐』でもあるのです。そして現在の俺はもちろん、善良な宿屋主人ですが……三人の名前を勝手に使う方に、使わないようお願いをする活動も実施しております。好き勝手に名乗るのは挑発行為みたいなものですしね。きっと本物に来てほしいのでしょう」
モリーンは、話を聞いていて、だんだん、わけがわからなくなってきた。
アレクがあまりにあっさりと変化なく語るからだろう。
重大なことを話されているはずが、冗談にしか聞こえない。
冗談のようなことを言われているのに、一笑に付すことができない。
本当なのか。
嘘なのか。
現実感が揺らぐ。
「なので、勝手に『狐』の名前を利用された方に、お願いに上がらなければいけません」
微笑み。
変わらない表情。
でも、なぜだろう。
モリーンは、今までのアレクから感じたことのない、すごみを感じる。
眠った猛獣が目覚めたような、目の前にいるだけで凍り付くほどの恐怖を感じさせる。
「きっと、その時に、アンロージーさんのお屋敷は混乱するでしょうね」
そこから先は、言わなかったけれど。
モリーンは、アレクの言わんとすることがわかった。
だから。
あえて彼が口にしなかったことを、言う。
「……それでは、すべてあなた様のせいにされてしまうのでは? あなた様が作り上げた混乱の最中、わたくしの妹たちがいなくなれば、あなた様が悪者にされてしまうのではありませんか?」
「やだなあ、俺は悪じゃありませんよ」
「……そういうことではなく」
「でも、正義でもありません」
「……」
「白でもなく、黒でもない。灰色ですよ、全部。悪を打倒するでもなく、正義を名乗るでもなく。――狡猾に忍び寄り、卑怯に保身をします。ですからどうぞ、ご心配なく。どうにかできるぐらいの備えは、生きてきて身につけてますから」
モリーンは、ようやく、彼のことを少しだけ理解できた気がした。
怖ろしい。
けれど、悪ではない。
もっとも、正義でもない。
なるほど言う通りだ。
ようするに彼は。
「……アレク様は、いい人ですのね」
モリーンは笑う。
アレクは苦笑した。
「そうでもありませんよ。まあ、強いて言うなら、これは妻のための活動ですね」
「奥様の?」
「はい。『狐』か『輝き』、どちらかが妻の母親なので」
「…………はい?」
「妻の親の名誉を守るのも、夫の仕事でしょう?」
わずかに照れたように。
そんなことを、語った。




