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34話

「……………………いえ、その、失敗したわけではありませんのよ。ただ少し運が悪かったと申し上げますか……えっと、あの…………………………申し訳ございません! 失敗いたしました!」



 夜。

 王都南の絶壁が、すぐそばに見える場所。

 あたりには照明設備らしきものはなに一つない。

 ただ、ゆらゆら揺れるセーブポイントの明かりだけがわずかに小さな範囲を照らしていた。



 暗闇にほのかな光だけを受けて浮かび上がるのは、巨大な木々が密集する一帯だ。

『古木群生地帯』と呼ばれるダンジョンである。

 遠目に見えるだけでも、木々はどれもこれも大きく、無気味で、顔のような裂け目がある。

 そんな場所が荒れ野の中にいきなり存在しているので、違和感も強くあった。



 だが、見た目とは裏腹に、古木群生地帯と呼ばれるダンジョンには、もう脅威はない。

 なぜならば。




「……うっかりダンジョンマスターを倒してしまいましたわ」




 モリーンが四つん這いでつぶやく。

 彼女は今、アレクの目の前で下げられる限り頭を下げていた。


 この世界に『土下座』という文化はないが――

 モリーンが、完全なる屈服を示そうととったそのポーズは、『それ』によく似ていた。

 彼女は小刻みに震えながら言葉を重ねる。



「で、でも、決して手を抜いたわけではなく! その、綿密なコントロールでダンジョンマスターを削り、どうにか五十までは『巨大霊樹の根』を集めたのです! しかし、折り返しに入ったことで気が緩んだらしく……コントロールを間違え、あ、で、でも、相手が土属性だとわかったので、水属性魔法を使って加減を、あの、その、それでも、出力が、ええっと……え、えへへ」



 モリーンは、引きつった笑顔でアレクを見上げる。

 目の端にはうっすらと涙がにじんでいた。


 彼女は今までの人生から、失敗すると厳しい、心がつぶれるような叱責を受けると思っていた。

 だから、許しを請うために平伏する。

 まして相手はアンロージーやその侍従程度ではない。


 アレクだ。

 あの、アレクだ。

 普段から鬼畜修行ばかりを課してくる、宿屋店主とは仮の姿、本当は名うての拷問官に違いないとモリーンが勝手に思っているところのアレクだ。



 怖くないはずがない。

 殺される――いや、死さえ許してもらえない。



 モリーンはそう信じていて。

 アレクは。

 なにも言わず、ただ、微笑んでいた。


 その彼がついに動く。

 モリーンは慌てて視線を地面に戻した。

 こういう時に逃げたりすると余計に相手を怒らせると、彼女はアンロージーのもとでの生活で学んでいた。


 だから、目の前にアレクが膝をついて。

 平伏する自分の肩にそっと手を置いた時――

 彼女は一瞬、本気で心臓が止まりかけた。



 怖すぎる。



 震えて、歯が、勝手に、ガチガチと鳴った。

 どのようなお仕置きをされるのか、想像さえできない。


 だから。

 次にアレクが語った言葉は。




「おめでとうございます」




 まったくの予想外で。

 モリーンは、我知らず、顔を上げてしまった。



「お、おめでとう……ですの?」

「はい。ダンジョン制覇、おめでとうございます」

「……あ」



 そうだった。

 失敗したとばかり思っていたが……

 やったこと自体は、『ダンジョンマスターを倒す』という偉業である。


 相性の問題もあったのだろうけれど、今の自分には弱すぎてあまり実感がなかった。

 でも、為したことはたしかに、ひとかどの冒険者でも無理な難業そのものだ。



「で、でも、わたくしは、アレク様に課せられた目標を達成できず……」

「実はですね。達成できるとは思っていませんでした」

「……え?」

「そもそも、杖一つ作るのに、九十九も素材がいるわけないじゃないですか。一つあったら充分ですよ」

「それはたしかに、そうですけれど」

「ダンジョンマスターは、どうでした? 強かったですか?」

「い、いえ……倒さないようにするのが大変なぐらいで……あの、ここは本当に、冒険者が命からがら逃げなければならないほどのダンジョンでしたの? 雑魚モンスターはもちろん、ダンジョンマスターさえ、あまりにもろかったと申し上げますか……」

「ここはレベル八十のダンジョンです」

「八十!?」



 モリーンは目を剥く。

 八十というのは、かなり難易度が高い部類のダンジョンだ。

 制覇者推奨とまではいかないものの、挑める冒険者自体が一握りしかいないレベル。

 だからダンジョン内部で誰にも出会わなかったのか、と今さらながら納得した。



「ちなみに、ダンジョンマスターはレベル百ぐらいではないかと、俺は予想しています」

「……桁違いの強さではありませんの」

「そうですよ。相性がいい相手とはいえ、あなたはレベル百のダンジョンマスターを、一生懸命手加減しながら、それでも武器なしで倒してしまったのです」

「………………」

「自信はつきましたか?」

「え?」

「どうにも、ご自分に自信がないようでしたからね。でも、レベル八十のダンジョンを制覇したというのは間違いなしに、世間では偉業らしいですよ」

「せ、世間では、ですの……?」

「世間は広いですからね」



 アレクは笑っている。

 きっと彼にとっては偉業でもなんでもないのだろう。

 それでも。

 モリーンはだんだん、ダンジョン制覇の実感がわいてきた。



「……わたくしが、ダンジョンを制覇……」

「はい」

「…………なにもできず、怒られてばかりで、地味で、どんくさいわたくしが」

「人には向き不向きがありますからね」

「……」

「むしろ今までだって、一番不向きな弓師で、よくやってきたと思いますよ」

「…………あれ、なんだか」



 モリーンは勝手に涙が流れるのを感じた。

 恐怖による涙ではない。

 それはもっと温かく、優しい雫だった。



「ご、ごめんなさい。褒められるのは、どうにも、慣れませんもので……」

「いいですよ。初めてのダンジョン制覇は、みなさん、色々な感慨があるようですから」

「『みなさん』? アレク様はダンジョン制覇者のお知り合いが多いんですのね」

「うちの宿に泊まっているお客さんは全員、なんらかのダンジョンを制覇してます」

「………………ごめんなさい、感動の涙がピタッと止まりましたわ」



 どういうレベルの宿屋だ。

 世間では一握りとされている冒険者は、『銀の狐亭』においてはつかみどり状態だったらしい。

 冒険者のレベルバランスが壊れる。


 アレクは。

 にこにこと笑っていた。



「これでようやく、おうちに帰れますね?」

「え?」

「ダンジョンを制覇すれば帰ってもいいと言われていたのでしょう? アンロージーさんのお屋敷に」

「は、はあ……そういえばそうでしたわね。わたくし、日々が大変すぎてすっかり忘れておりました」

「冒険者として独り立ちすると、色々やることも多いですからね。手続き関係には、俺も難渋したものですよ」

「いえ、大変だったのは修行なのですが……」

「ははは。大変な修行は、あなたにはしてませんよ」

「あなた様がそうおっしゃるならば、従順な犬たるわたくしは平伏しただただ肯定するばかりでございます」

「あなたは従順な犬ではなく、俺の大事なお客様ですよ」

「感動で震えてきましたわ」



 感情が動くことを感動と表現するならば、嘘はついていなかった。

 ただし恐怖という情動だった。



「よかったですね。妹分に会えますよ」

「……そ、そうですわね。なんだかすごくあっさりダンジョン制覇をしてしまいましたけれど、妹分に会うのを目標に今までがんばってきたのです。それが叶うのですから、喜んでいいのですわよね」

「そうですよ」

「…………ああ、そうなんですわね。改めまして、アレク様には感謝の言葉もありませんわ。まさかいつも鈍くさいとか愚図とか言われ続けて来たわたくしが、ダンジョン制覇という偉業を達成できるなど……あなた様のご助力なくして、達成は不可能だったでしょう。本当にありがとうございます」

「駆け出し冒険者のサポートが、俺の宿の仕事ですからね」

「しかし……制覇クエストを受けずに制覇してしまいましたわね。これではわたくしがいくらダンジョンを制覇したと言っても、信じていただけないかも……」

「こんなこともあろうかと、制覇クエストは代わりに受けておきました」

「クエストを代わりに受けるなんてできるんですのね」

「ギルド長と知り合いなので」

「はあ、なるほど」



 モリーンはおどろかない。

 彼女の常識はとっくに壊れていた。



「どうします? 一度宿に戻られます?」

「……ああ、アンロージー様のお屋敷に帰る前に、ですわね。一度戻らせていただけるとありがたいですわ。お風呂に入って、身だしなみを整えて、失礼にならない時間にうかがいたく思います」

「あまり急いではいないんですね?」

「……そう、かもしれませんね。今だから思うことではありますが……アンロージー様のお屋敷はその……あまり、居心地がよろしくなかったもので」

「それはどういう意味で?」

「アレク様ですので包み隠さず申し上げますが……あのお屋敷には、いい思い出がありません。いつも叱られていましたから……でも、孤児であるわたくしを育ててくださったアンロージー様に感謝はしておりますし、妹分に会いたいのも、本当ですのよ」

「そうですか」

「ふふ……そう考えれば、今のわたくしを見せるのが、楽しみでもありますわね。弓師としては失敗ばかりでしたけれど、魔術師としてのわたくしは、ひとかどの冒険者と呼べるようですから。こんな綺麗な装備まで身につけたわたくしを見たら、きっとアンロージー様はおどろかれますわ」

「そうだといいですね」

「はい」



 モリーンは笑う。

 それは、幸福な未来を思い描いての笑顔だった。

 いつもの恐怖に引きつったせいで顔面が笑顔めいたなにかになってしまうやつではない。


 素直に笑顔を浮かべられたのは、いつ以来だろうとモリーンは考えた。

 この宿に来る前――

 いや。

 ――アンロージーのお屋敷でも、自分は、心から笑っていただろうか?


 そんな考えがよぎって。

 ふと、怖くなって、考えをやめた。

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