30話
「あのね、アレク様。わたくしね、ラーメン、大好きぃ」
少し幼い声で言いながら、モリーンはラーメンをすする。
こんな美味しいもの、食べたことがなかった。
味自体は、普段食べているショウユラーメンの方が上なのかもしれない。
でも、空腹は最高のスパイスだった。
あるいは、発狂寸前の中、このぬくもりだけが、彼女の心を支えているからかもしれない。
ちなみに。
インスタントラーメンというものを知ってから、六時間ほどが経過しているらしい。
洞窟内なので、モリーンにはもう時間感覚がない。
けれどアレクはどのような方法か、正確に時間を把握している様子だった。
「気に入っていただけたようでなによりです」
アレクは、笑っている。
モリーンはラーメンを茹でた鍋をそのまま抱えるようにして食べていた。
ゆっくり味わいすぎて、もう冷めて、麺はのびているのだ。
それでも美味しすぎる。
そして、この精神的なぬくもりにさえすがる必要のないアレクを見て、思う。
すさまじい精神力だ、と。
モリーンは出来の悪い生徒だった。
ラーメン作り一つでかなりつまずいた。
なのにアレクは、本当に根気強く、絶対に自分でやった方が早いのに、こちらに付き添い、教えることをあきらめなかった。
しかもアレクの分はないのだ。
いくら本人がいらないと言っていても、一人で食べていることに、さすがに抵抗を覚える。
お腹がふくれて。
あったまって。
ようやく冷静になってきたモリーンは、人間らしい思考を取り戻し始めていた。
「あ、アレク様、本当に食べなくてもよろしいので?」
「お気になさらず」
「でも、一人で食べているのも、申し訳ないですし……」
「……なるほど。実は、そうおっしゃられた時に、かたちだけでも、食事をご一緒しようと持ってきたものも、あるんですよ」
「あら、そうでしたの?」
「ええ。これです」
アレクがポケットからなにかを取り出した。
それは。
どう見たって。
「……あの、アレク様、失礼ながら、木の根にしか見えませんわ」
「木の根ですよ? 実はここに来る前に、外で一本、拝借しました」
「え、えっと……わたくしが無知なだけかしら? 木の根は、食べ物では、ないと思いますわ」
「そうですね。ものによっては漢方薬になったりもするみたいですが……これは食べ物でもなんでもないです」
「木の根ですわね」
「木の根ですね」
「……お召し上がりになるんですの?」
「かじると味がしみ出すんですよ」
「美味しいんですの?」
「木の根です」
「食べるんですの?」
「かじるんです」
「飲み込みませんの?」
「かじるだけです」
「満腹になりますの?」
「なりません。栄養もないですね」
「あの、その……」
「はい?」
「…………ごめんなさい。それは、お食事ではないと思いますわ」
「そうですね」
「ではなぜ、木の根を?」
「あなたが食事で苦労をしている時に、俺が同じ苦労をしないわけにはいきませんから」
あっさりと、アレクは答える。
モリーンは首をかしげた。
「なぜですの? あなたのお役目は、わたくしの師匠ですわよね?」
「そうですね」
「師匠とは、弟子を監督し、指導する存在ですわよね? 同じ苦労をする必要はないのではないかとわたくしは思うのですけれど……」
「でも、あなたがインスタントラーメン作りに苦労してる横で、俺が優雅にランチをとっていたらどう思いますか?」
「きっとそれは、とても殺意の湧く光景だと思いますわ」
「その通りです。ですから俺は、可能な限りあなたと苦楽をともにします。あなたが食事で苦労するなら、俺も食事を苦労します。あなたが魔法で苦労するなら、俺も魔法で苦労します。あなたが眠らないのなら、俺も眠りません。……まあ、あなたが死んでいる横で、俺はセーブポイントの見張りがあるので、生きてないといけませんが」
弱ったように笑う。
そして。
「これは初めての弟子――今の妻を教育していたころから、やっていたのです。同じだけ苦労をして同じだけの作業をする。教える立場と教わる立場ではあるけれど、上下ではなく対等。それが今も、俺の修行方針なんですよ」
モリーンは。
今まで感じたことのない気持ちで、全身が震えるのがわかった。
「アレク様」
「はい」
「……あなたは、わたくしを突き放しませんのね」
「どういうことですか?」
「わたくし、出来が悪くて、いつも、師匠やアンロージー様に、あきれられてばかりで。つい先日なんて、とうとう、あきらめられてしまって……」
「……」
「そんな出来の悪いわたくしに、あなたは付き合ってくださるのですね。効率の悪いわたくしと同じ、あなたにとってはする必要のない苦労までして」
「色んな苦労に耐えられるようになりましたしね。俺、けっこう死んでますから」
「わたくしは、きっと、これからも失敗や、できる方にはわからない回り道を重ねると思いますけれど……それでも、わたくしに付き合ってくださるのかしら?」
「もちろんです。それに、出来が悪いのは俺だって同じですよ。できないから繰り返して、何度も死んで、鍛えて、覚えていくんです」
「……わたくし、今まで不真面目でしたわ。修行の辛さで、心が折れかけて、発狂さえしそうになって……でも、ようやく覚悟ができましたわ。アレク様の修行で、立派な魔術師になってみせようと誓うことができそうですわ」
「いいことです」
「……次の修行をつけてくださいますかしら? わたくし、人生でかつてないほど、やる気に満ちていますわ」
「非常に、いいことです。では、次の修行に移行しましょう」
「はい!」
ラーメンを一気に食べきり、立ち上がる。
事実、未だかつてないほど全身に気力がみなぎっているのを、彼女は感じていた。
このあとにどのような修行がきたって、耐えてみせる。
決意も新たに、アレクにたずねた。
「次はどのような修行ですの!?」
「お喜びください。この洞窟で行なう、最後の修行です」
「おお、いつの間にかかなり進んでいましたのね!?」
「はい。ようやくたどりつきました。ここから、授業と休憩は終了いたしまして、以前お伝えした修行の開始です」
「……以前、伝えた修行、ですの? えっ、ていうか今までのは修行ではないみたいにおっしゃいませんでしたこと?」
「そうですね。修行はこれから、俺の撃つ魔法を、相性のいい魔法で打ち消してください」
「わ、わかりましたわ」
モリーンは多少、怯えるものの……
すぐに気合いを入れ直した。
属性の相性は、ラーメンづくりで頭にたたき込むことができた。
呪文だって、ラーメンづくりで試行錯誤したので、体が覚えている。
きっと、魔法を見た瞬間に反応できるだろう。
風には火。
火には水。
水には土。
土には風。
完璧に覚えている。
どうせ魔術師は魔術を一度に一つしか使えないのだ。
反射的に対応することは、充分に可能だろう。
あとはうまく出力をこめられるかどうかだ。
「……よし。いつでもおいでになって!」
「わかりました。それでは、二つからいきますね?」
「………………はい?」
モリーンは首をかしげる。
彼は、笑ったまま、言った。
「二種類の魔法を同時に発動しますので、二つを同時に打ち消せる魔法を唱えてください」
「え、あ、あの」
たとえば風と火が同時に来たらなにをすればいいのだろう?
土と水の場合は?
モリーンは一気に混乱した。
「あの、アレク様、その修行は、わたくしには少々早いのではなくて?」
「大丈夫です。修行とは常に、自分が今できることよりも少しレベルの高いことをやるものですからね」
「えっ、あの」
「大丈夫。失敗して、死んでもいいですよ。死にませんから」
アレクは笑う。
モリーンも、笑おうとした。
でも、笑えなかった。
なんというか。
そんな暇もなく。
アレクの魔法が容赦なく――いや、きっと微細な手加減をされた状態で、降り注いできた。




