3話
「先に攻撃してください。俺から攻めると、不意打ちみたいになっちゃうので」
宿屋裏手の、そう広くはない空き地だ。
井戸があって、栽培しているらしき薬草があった。
周囲を家屋に囲まれていて、外からは見えない場所だ。
そのせいで圧迫感があるものの、そこまで狭いというほどではない。
むしろ、周囲から見えないというのは、街中で戦うことを思えば、ちょうどいいとも言える。
実際に、剣を持って向かい合う。
ロレッタは二つの点におどろき、あきれた。
一つは、アレクの大口が、こうして向かい合っても今まで通りであることだ。
実際に戦いになれば、ひるみやおびえがあるかと思っていたのだが……
少なくとも、度胸だけは本物らしい。
実力が本物かは、これからわかるだろう。
そしてもう一つ。
さすがにロレッタはたずねた。
「武器はいいのか?」
アレクは素手だった。
指摘すると、彼は困ったように笑う。
「今の俺の腕力に耐えられる武器が存在しないんですよ」
「……大口もそこまでいくと、見事なものだ。いくら強い冒険者でも、そんな者が存在するわけがないだろう。それとも、腕力に見合う武器を作成する金がないという意味なのか?」
「いえ、武器は色々試しました。素材もそうですし、ドワーフ族の鍛冶屋に作成も依頼したんですけど、一回振ったら壊れるものしかできなくって。それもあって冒険者を引退したんですけどね。素手で殴りたくない、気持ち悪いモンスターもいるんで」
ロレッタは不思議なことに気付く。
先ほどから、大口を叩く彼だが……
一度も。
嘘をついているように、見えないのだ。
こうして向かい合っていても、まるで強いと感じられない。
その彼が、すべての大口で、気負ったり、嘘を言ったりしている雰囲気がない。
「……まあ、素手で戦う者も、いないではない。あなたがいいなら、行くぞ」
「ああ、はい。俺に不意打ちをするのは不可能なんで、いつ来ていただいても」
「……そういうことならば」
ロレッタは剣を抜く。
そして、分析を開始した。
彼我の距離はおおよそ五歩ぶん。
普通ならば剣の間合いまで詰めるのに二動作は必要だろう。
しかし。
「言っておくが、私は――冒険者としては短いが、剣士としては、長い」
五歩分の距離を詰める一歩。
左足で全身を放つ、矢のような挙動。
予備動作なし。
構えた相手にも不意打ち同然に命中する、ロレッタ必殺の初撃。
踏みこみの速度はそのまま突きとなって相手に襲いかかる。
だが。
「あの、殺す気でいいですよ」
アレクは、眉間を狙って放たれた剣先を、指でつまんだ。
ロレッタは呼吸を忘れる。
たしかに、殺す気はなかった。
寸止めのつもりはあった。
当たり前だ。ただの宿屋の受付を殺してしまうわけにはいかない。
でも。
その『ただの宿屋の受付』に、軽く受け止められる程度では、なかったはずだ。
突かれたあとで相手はこちらの動きに気付く。
そういった速度と挙動の一撃だったはずなのに。
……いや、それ以前に。
眉間に放たれた真剣による突きを、人差し指と親指だけでつまんで止めるということが、そもそも異常事態だ。
そんな程度で止まるほど、真剣の突きは軽くない。
アレクは。
困ったように頭を掻いた。
「参ったな。いや、実力を示すことになる機会は多いんですけど、だいたいみなさん、殺さないつもりで来るんですよね。……俺、そんなに弱く見えますか?」
彼は、悩んでいるようだった。
まったくのんきな男だった。
そのくせ、彼につままれた剣は、力をこめてもピクリとも動かない。
ロレッタは呼吸を再開し、力一杯、剣を引っぱった。
だが抜けない。
彼は、それでようやく気付いたようで。
「ああ、申し訳ない。俺が放さなきゃ動けないですよね」
うっかりしていたという調子で、言う。
人差し指と親指を開く。
それだけで、今まで大地に埋まっていたかと思うほど動かなかった剣が抜けた。
そして。
「やり直しましょう。どこを狙ってくれてもいいです。万が一当たっても、俺、丈夫なんで。セーブもしてありますし。遠慮無く、どーんとやっちゃってください。その方が納得するでしょ?」
納得。
納得というのなら、ロレッタはとっくに納得していた。
ただの宿屋受付ではない。
少なくとも、腕力にまつわる逸話――彼の力に耐えうる武器がないという話については、納得しかけている。
だから、ロレッタの目的は変わる。
どうしたらこの男に、一撃を与えられるか。
真剣に検討して。
彼女は、剣を鞘に納めた。
「……ところで質問をいいかな?」
「はい? まあ、いいですけど」
「今からでも遅くない。鎧をつけたりはしないのか?」
「並みの鎧より、俺の皮膚の方が丈夫なんで」
「そうか。その言葉、信じる……いや、おかしいが、まあ、そう言うなら、行くぞ」
納めた剣。
柄に手を添える。
鞘越しに魔力をこめる。
――剣技を使う。
冒険者には二種類いる。
魔法の力により、大自然に働きかけ、炎や風を操る者。
そして、魔法の力を肉体にこめて体を強化して戦う者。
ロレッタは後者だった。
特に、剣術の適性が高い。
中でも得意とするのが、速度を上げる技術だった。
「予告する。斜め下から、右の脇腹を通って、左の肩まで斬り抜ける。備えてくれ」
「あー、なるほど。この世界にも居合いってあるんだな……わかりました。でもいいんですか? 軌道を明かしたら、相手が誰だって受け止められると思いますけど」
「問題ない」
彼女は呼吸を整える。
そして。
「軌道を明かした程度で普通の者に受け止められる技を、奥の手にはしない」
瞬間。
鞘から光がほとばしった。
魔力をこめた剣の軌道。
その、残光だ。
剣自体は放たれた瞬間に終着点にたどり着いている。
目に映るのは光の軌跡のみ。
すべての敵は、斬られたあとで自分の中をほとばしる光の筋に気付く。
神速を誇るはずの剣技。
それを。
「意外と速くてびっくりしました」
アレクは、こともなげに、腕で受けていた。
神速の剣を受ける――
いや、それ以上におかしい点がある。
どうして真剣を、生身の腕で受けられるのか。
ロレッタは自分の剣の切れ味が急に落ちたのかと、不安になった。
けれど、たしかに、彼の袖は斬れている。
……あきれた男だ。
単純に、今までの大言壮語は、大言壮語でもなんでもなかったということになる。
彼の腕力に耐えられる武器は、真実、この世になく。
彼の皮膚は、真実、鎧よりも丈夫で。
「今のはいい攻撃だったと思います。じゃあ、反撃しますね」
……彼は、真実。
手加減が苦手なのだと。
腹部をなにか拳大のもので――いや、拳で撃ち抜かれる感覚を覚えつつ、ロレッタは笑った。