241話
ロレッタがその妙な子供を見かけたのはまだ昼半ばという時間帯だった。
ダンジョンである。
外観は古ぼけた城という様子で、内部に出るモンスターに物理攻撃が効かないことと、黒い花の咲き乱れる園があることから『黒い霊園』という名前で通っている。
まだ正式名称がついていない、新しく発見されたダンジョンなのだ。
ロレッタは貴族の役目としてこのダンジョンの難易度調査に来ていた。
とはいえ、初めて来たわけでもなかった。
すでに調査は何度か行われ、だいたいのレベルも算出されている。同じような役割を持つ貴族だと、もう調査をやめる者もいる段階だ。
ロレッタがまたここにおとずれたのは、より正確な難易度検証のためであり、ようするに生真面目な性格のせいだった。
日中だというのに薄暗い城内を歩んでいく。
石造りの長く広い廊下は、普通に歩けばカツンカツンと足音が響く。
ロレッタは自分の足音を聞きながら笑う。
気を配らねば足音さえ立たない身になってしまったのだ――ダンジョン調査員としては不適格かもしれない。
これからもダンジョン調査の役割をいただくならば、足音を立てる訓練も、気配を出す訓練も必要になるだろう。
「思わぬ弊害だな……」
一人つぶやき、歩いていく。
赤く短い髪をいじりつつ、なるべく油断し、なるべくとっさに戦闘態勢に移行できないよう気を払いながら、『普通の冒険者みたいな感じ』を意識しつつ、進む。
ロレッタがあえて視線をキョロキョロさせ、意味もなく天井を見ながら歩いていると――
ドン。
誰かに、ぶつかった。
「……!?」
衝撃だった。
肉体もぶつかった反動で倒れそうになったが、それ以上に、精神の方に強いショックがあった。
よそ見をしていたら、ぶつかって、しりもちをつく。
これがいかに異常な事態なのか、ロレッタは知っていた――なにせ今の自分はちょっと普通じゃないのだ。
鍛えている。
ものすごく。
だというのにぶつかるまで相手の気配がわからなかった。
なにより、今の自分が倒れこむというのは、肉体的に言ってありえない。
ロレッタは素早く剣を抜き、ぶつかった相手から距離をとる。
にらみつければ――相手はまだ子供のようだった。
揺らぐことなくたたずむその姿は、人間のように見えた。
黒髪の――少年、だろうか。
性別がわからないのは、中性的な美少年だからというわけではない。
男性のような特徴も、女性のような特徴も見えない、無個性な顔立ちなのだ。
だからその人物は、この古城に出るモンスターにも――物理攻撃のきかない、幽霊めいたモンスターにも、思えた。
警戒しつつ、ロレッタは問う。
「君は、人か? 返事がない場合、モンスターと思って応対することになる」
「……? なにを言って――ああ、そうか。ごめんなさい。初対面ですね」
少年は謝った。
ロレッタは拍子抜けする――会話ができるあたり、モンスターというわけでもなさそうだ。
ただ、怪しい少年であることには変わりがない。
だからロレッタは、質問を続けた。
「私はこのダンジョンを調査中の、ロレッタ・オルブライトという者だ。君の名前、出身、現住所を教えてもらおう」
「うわあ……仕事中っていう感じですね。いや、お邪魔して申し訳ない。まさかこんな場所に人がいると思わなかった。俺はあの人と違って、常に全力で気配感知をしていないもので」
「……? 君は、私と知り合いなのか?」
そのような口ぶりに思えた。
しかし、ロレッタの方には心当たりがない――知り合いに子供がいないわけではないが、彼のような無個性な少年、無個性すぎて忘れられないように思えたのだ。
少年は笑い、なにかを言いかけ――
不意に、ハッとした。
「……ああ、そうか、しまった。ロレッタさんは俺と彼のことを知らないんだっけ。というか――俺と彼の事情を知ってる人が、そもそも一部しかいないんだ」
「……なんの話かわからないが、ここはまだ調査中のダンジョンだ。外には立ち入り禁止の高札が立っていたはずだが。ただの迷子とも思えないし、質問に答えがない場合、対応は少々乱暴になってしまうぞ」
ロレッタは剣を納めながら問いかける。
他者から見れば警戒を解かせるための武装解除。
しかし、本人としては最大の一撃を放つための予備動作。
ロレッタは目の前の少年から脅威を感じていない。
だからこそ危険だと、ロレッタの理性が警鐘を鳴らし続けていた。
――知っている、気がする。
この、まったく人に脅威を感じさせないくせに、このうえない脅威を思わせる存在感を、知っている気がするのだ。
少年は――
頭を、下げた。
「本当にごめんなさい。たまたま近くに来たもので、つい、実力検査――ではなくって、ええと、興味本位で入ってしまいました」
「……そうなのか。このダンジョンは少しばかり危険だぞ。レベルはまだ出ていないが、八十前後で落ち着く予定なのだ。普通の冒険者はまず入らないだろう難易度だ。ともあれ――送ろう。どこから来たのだ?」
「すみません。実はええと――親戚。そう、親戚をたずねるために、大陸西にある村から出てきた感じなんですよ」
「……なんだ『感じ』とは」
「まあはい。その、お気になさらず」
「気になさらずと言われてもな、私は君のことが少々気になる。君のパーソナリティというか、主に気配のなさと、私にぶつかられてもまったくゆらがない足腰の強さは大いに気にするところだ」
「あーうーえー……その、なんと言いますか、兄……おじ……ええと、イトコ。イトコゆずりなんです」
「そのイトコというのは誰だ?」
「アレクサンダーと言います。王都で『銀の狐亭』という宿屋を営んでいるはずです」
「そうだったのか。なら仕方ないな」
どんな異常事態も、アレクと知り合いというだけでだいたい納得できる気がした。
ロレッタの中で『アレク』という名前は『どんなおかしなこともだいたい説明できる魔法の単語』という認識なのである。
「『銀の狐亭』ならちょうどいい。私が知っている。ちなみに、君の名前は?」
「俺は、ええと――アレックス。アレックスと言います」
「なるほど。……んん? しかし、イトコ? アレクさんにイトコなどいるのか? あの人の出自はたしか……」
「ああ! 実はイトコじゃないんですよ! イトコ的なアレです!」
「なんだ『イトコ的なアレ』とは」
「えっと、まあ、その……そう、クラン! 彼と同じクランで、一時期彼と一緒に育ったんですよ。それで家族みたいなものっていうか……」
「なるほど」
「あはははは…………はあ、疲れる」
「大陸西から来たのであれば、それは疲れるだろう。…………ん? しかし君は何歳だ? アレクさんと一時期一緒に育ったような年齢には、とても見えないが」
「あー……そのー……な、何歳に見えます?」
「せいぜい十歳かそこらに見えるが。いくつなのだ?」
「……ゼロ歳なのかなあ、俺……」
「ゼロ歳!?」
「あ、いえ、その……ゼロが一つ足りないと言いたかったんですよ!」
「百歳になってしまうではないか!?」
「いいんです! 俺の年齢のことは! とにかく――とにかく、俺は『銀の狐亭』を目指している途中だったんですよ! どうかお気になさらず! 一人で行けますので! じゃ!」
少年は駆けだした。
ロレッタは一瞬呆然としてから、あとを追う。
だが――
曲がり角の先。
古ぼけ朽ちた石造りの古城、そう分かれ道があるわけでもないのに――少年の姿は、発見できなかった。
「……見失った……まあ、アレクさんの関係者というのなら、うなずけるが……」
少し、足取りを追ってみた方がいいかもしれない。
ロレッタはそう決定して、ダンジョンをあとにした。




