24話
朝起きて。
ロレッタは、アレクの言う通り、もう一度屋敷に帰ってみようと思った。
本当は、ずっとどうしようか悩んでいた。
にべもない拒絶をされたせいで、傷ついてもいた。
引きこもりたいぐらいだった。
けれど、彼女は決意した。
――あきらめない。
あきらめなければ不可能なことでも叶うのだということは、修行で理解していたのだ。
だからロレッタは、その決意を、アレクに宣言しておこうと思った。
宿屋『銀の狐亭』一階、の食堂。
そこには朝早くから、宿泊客と奴隷の双子、それに経営者夫妻がいた。
アレクはやはり、大きなフライパンで豆を炒っている。
地道な作業だ。
事情を知らない者が見たら、きっと、宿で出す食事の下ごしらえだと思うだろう。
まさか人を窒息死させるために豆を炒っているだなんて想像もつかないほど、真面目な作業風景だった。
「ロレッタさん? 席に着かないので?」
ぼんやりしていたら、アレクに言われてしまった。
豆を炒っている風景を見て、少し意識が飛びかけていたとは言えない。
ロレッタはカウンター席に着く。
それから、アレクに言った。
「……今日、屋敷にもう一度帰ってみようと思っている」
「はあ」
「………相変わらず反応が悪いな、あなたは」
「いえ、その結論は、昨日すでに出していたのでは?」
「口ではたしかに言ったが、まだ決意はできていなかった……だが、改めて決意をしたのだ。朝食をいただいたら、屋敷に帰ろうと思う。なので気合いが入る料理をお願いする」
「豆のスープなどいかがですか?」
「それ以外で頼む」
「豆の……」
「豆以外で頼む」
「わかりました。チーズオムレツでもご用意しますね」
アレクは困ったように笑う。
ロレッタはため息をついて――笑う。
「……いったい何日ほどかかるかな。叔父と話をするまでに」
「今日あたり大丈夫なんじゃないですか。おじさんも、あなたにしてしまった仕打ちを深く悔いていると思いますよ」
「……そういう性格の叔父ではないはずだが」
「ご心配なら、お守りを差し上げましょう」
そう言って、アレクは厨房の奧に引っ込む。
ほどなく、なにかを持って戻ってきた。
ロレッタはたずねる。
「それは?」
「俺のいた世界……っていうか、国の民族工芸ですかね。狐のお面です。縁日とかで売ってるプラスチックの安物じゃなくて、けっこういいものですけど」
「話が相変わらず半分以上よくわからんが、いいのか?」
「はい。たくさんありますから。なんていうか――この宿の会員証みたいなものですし」
「そういうことなら、いただこう」
ロレッタは狐面を受け取る。
意外と重い。
不思議な染料で彩られた面相には、不気味さと荘厳さが感じられた。
これならば、魔除けになってくれるだろう。
ロレッタは視線をアレクに戻す。
そして。
「なにからなにまで、世話になるな。本当にありがたい」
「どうしました、突然」
「いや、前々から思っていたのだ。ふらりと現れた私に対し、手厚い歓迎と、手厚すぎる修行の数々……いくら冒険初心者育成を目標にしているとはいえ、あなたの滅私奉公には頭の下がるばかりだ」
「まあ、その、なんと申し上げますか。……ロレッタさんは見てられない感じがありましたので。放っておけないというか。昔の自分を思い出すというか。ようするにビギナーでヌーブな雰囲気がビシビシ伝わってきて」
「……放っておけないなどと、あなたに言われるとはな」
「どういうことです?」
「いや、あなたの細君が、あなたと結婚した理由と同じだろう? 人から放っておけないと思われるあなたに放っておけないと思われる私は、どれほど放っておけない雰囲気だったのかと、気分が暗くなったのだ」
「ははは」
笑った。
たぶん誤魔化されているなとロレッタは思った。
「……そういえば、細君はあなたとの結婚理由を『放っておけないからだ』と語ったが、あなたの方はどのような理由で彼女を妻にしたのだ?」
「女の子はどの世界でも恋愛話が好きですねえ」
「……いや、恋愛に対する興味もないではないが、純粋に、あなたという人に対する興味の方が大きいぞ。あなたはつくづく意味不明だからな」
「素直だし、嘘をつけないし、そこまで意味不明な人かなあ、俺って……」
心外な様子だった。
でも、ロレッタから見れば、嘘をつけないのにどうしてここまでというぐらいに意味不明な人物であることに弁解の余地はない。
なので、取り合わずに話を進める。
「それで、どのような理由だ? まさか押し切られたから流されただけということはあるまい」
「いや、実際、流された部分はけっこうありますけど」
「あなたのような流されない人が、人並に流されたなどとあるわけがなかろう」
「俺はこれでけっこう流される人ですけど……まあ、そうですね……あと理由があるとすれば、俺はあいつに逆らえないってことかな」
「どういうことだ?」
「あいつの両親殺したの、俺なんですよ」
なんでもない調子で。
アレクは、そんなことを言った。
ロレッタはしばし全行動を停止する。
しかし。
「……冗談だろう?」
「ははは。あんまり人の夫婦のなれそめ話を聞きたがるものではありませんよ」
たしなめるような口調だった。
なるほど、今のは迂遠な注意だったのか、とロレッタは受け止める。
そして、改めて。
「……朝から色々と、すまないな。お陰で緊張が和らいだ」
「そうですか? よくわかりませんけど、俺でお力になれたのなら幸いです」
「うむ。……また戻ってくるかもしれんが、明日も、明後日も、あきらめず屋敷に通い続ける。だからどうか、明日からもまた、よろしく頼む」
「いえ、今日で終わりだと思いますよ」
「……そうなるといいのだがな。お守り、ありがたくいただく。朝食もありがたくいただこう。もし本当に屋敷に戻れることになれば、しばらくここの食事はいただけないからな」
「はい。たくさん召し上がってください」
料理が運ばれてくる。
温かな食事。
厨房で笑う夫婦。
仲のよい双子。
ロレッタは家族を思い出した。
それは、彼女にとって、すでになくなったはずのもの。
でも、ここにはまだ、家族という空気があって。
それが楽しくて。
少しだけ、失ったものを思い出して、悲しくも、なった。




