233話
朝。
尋常ならざる短時間で理論を習得し、いよいよ実践に入る段となり、アレクサンダーは一度宿に戻りたいと進言した。
ヨミは――
「まあ、本番前に休憩をとらせるのは、アレクの方針でもあるしね。……予定外の出来事が起きて休憩とれなくなることも多いみたいだけど。いいよ、休もうか」
と、承諾してくれた。
ただ、それは彼の目的と違う。
彼は絶壁に来る際に持ち損ねたものをとってきたかっただけである。
むしろ、宿には戻らず忘れ物だけ取れるなら、それが一番よかった。
なにせ――まだアレクの姿なのだ。ブランや月光に会うのは気がとがめる。なにげに、事実に気付いていないらしいノワに会うのが、一番心が痛む。
「そういうことなら、ぼくがちょっと行って取ってくるよ。なにがほしいの?」
彼は礼を述べ、ふた振りの剣を所望した。
新聖剣と旧聖剣。
ヨミは「別に戦う予定はないけど」と首をかしげつつも、承諾してくれた。
○
覚えた『憑依術』を実践する場所は、王都西側にあるらしい。
アレクサンダーはあまり王都の西になにがあるかを知らない。
アレクが月光捜索中に大陸中を回ったというのは覚えているのだが、西側に印象深いものはなかったということだろうか。
たしかに印象に残っているのは、ロレッタの目指した『花園』や、トゥーラの最後の修行場所である『剣の塔』ぐらいのもので、他に取り立てて着目するべき場所はなかった。
「まあ実際、アレクの捜索範囲には偏りがあったと思うよ」
ヨミは語る。
時刻はとうに昼ごろだった――驚異的な速度で理論習得を終え、不眠不休で、ある場所を目指している。
ある場所。
そこは――海の向こうにあった。
陸地の西端から、船で目指しているのだ。
「どういうわけだか、アレクは『自分の足』以外の移動手段を使わなかった――たとえば船とかね」
凪いだ海を進んで行く。
いや、ここは本当に海なのだろうか?
その穏やかで無気味な景色は、アレクの前世にある『海』とあまりに違う。
少なくとも、波はない。
今は、昼だ――そのはずなのだけれど、靄が濃くて、日の光が差し込んでこない。
視界の判然としない海の上。不安がどんどん募っていく。
乗っているのが小舟――ヨミとアレクサンダーが向かい合って乗れば定員いっぱいというほどの小さい船だというのも、不安な気持ちに拍車をかけているだろうか。
しかも、オールがない。
たぶんヨミが魔法で操作しているのだろう。
操船方法はともかく、船の大きさから、目的地はそう遠くない場所にあるのだろうと予想がついた。
さすがにこんな小舟で、食料も持たず数日にわたる航海はしないだろう。
……ちなみに王都から陸地の西端まででさえ、普通の人なら数週間はかかる道のりだったことをいちおう付け加えておく。
「そういえば、そうだ。アレクさんは乗り物にあんまり乗らないな。まあ、馬車なんかを使わないのは、彼が馬より速いからっていうのはわかるんだけど」
「似たような理由だよ。船とかで移動しないのは、船ってどうしても遅くなるからね。本気で進もうとしたら、船の方がもたない。魔力での強化にも物質ごとの限界があるしね」
「アレクさんなら水上を走るぐらいできそうだけど」
「その光景ものすごい面白いね……」
笑顔で水しぶきをあげながら水上疾走するアレクを想像する。
たしかにシュールで面白いかもしれない――まあ、いざ目の当たりにしたらドン引きしそうな気もするけれど。
「……ともかく、アレクは『一日以内に帰って来られない場所』を捜索しなかったんだ。仕事で何日も外で過ごすことはあっても、お義母さんの捜索にそこまで時間は使わなかった」
「『ゲームだから』かな」
「そうかもね。もしもお義母さんが海を渡った先にいたらどうするつもりだったんだか」
「あきらめたんじゃないか? 実際に、アレクさんにとって月光さんは、そのぐらいの価値だったと思う」
「そうなの?」
「いや、心情はわからないけど――アレクさんは月光さん捜索に対して『必死だけれど本気じゃなかった』って述べてる」
「どうかなあ……あの人が自分でそう認識してるつもりでも、あきらめきれなかったとぼくには思えるんだけどなあ……捜索期間区切らせたこともあったんだけど、期間内に見つからなかったら絶対いつまでも気にし続けたと思うよ」
「……そんな人なのか」
「そんな人だよ。だからまあ、ブランとノワが成人したら、ぼくらはもう隠居しちゃって、二人でお義母さん捜そうと思ってたんだよ。本当はね」
「……知らなかったな」
「言ってないもの」
ヨミは笑う。
そんな会話をしているうちに、船はどこかへたどり着いたらしい。
相変わらず靄はまったく晴れていないけれど、船は減速し、接岸する。
ヨミに続いて船からおりれば、足元はつるりとした岩だった。すべりそうになり、慌てて足を突き刺して止まる。
「……島を壊すのも困るから、足元は気をつけてね」
ヨミにたしなめられ、慎重に進む。
視界は本当に悪かった――すぐ前にいるヨミの背中がかろうじて見える程度だ。
離れたら見失う。
寄り添うように、不安を覚えながら、アレクサンダーはヨミを追い――
洞窟に入った。
靄が消える。
開けた視界に映るのは、摩訶不思議な光景だった。
照明はない。
ただ、あたりに色とりどりの光の粒子が舞っており、それが視界を確保している。
細い穴だ。
迷いなく進むヨミの背中にぴったりくっついて、歩く。
そこかしこに見たこともない植物が生えていた。ゼンマイを思わせる不思議なもの、発光するキノコ、それから天井から垂れ下がる、宝石のように硬質な輝きを放つツタ――
ピチャン、ピチャン、とどこかで水が垂れる音がする。
細長い穴を抜け――ついに、開けた場所へ。
そこは人工的に確保されたかのような、不自然なドーム状の空間だ。
いや、おそらく人工のものなのだろう。
見たことがある――これはたしか、『青き巨人の洞窟』だったか。コリーが聖剣を打った後日確認したところ、ここと同じような改装がなされているのを見た。
誰かの手により、住みやすいように整えられた空間。
その中央にたたずむ者がいた。
それは純白の、角の一切存在しない、美しい曲面のみで構成された細身の鎧だ。
腰には剣を帯びている。
ベルトで吊られた、折れた剣。
英雄アレクサンダーが折った剣の一つなのだろう。
「やあ、いらっしゃい」
穏やかな男性の声がした。
おどろくほど若い――ここでおどろきを覚えたのは、アレクサンダーがある情報を持っているからだ。
曰く、その人物が英雄殺しの方法を求めたのは、五十歳を超えたころだったという。
だというのに、声が若すぎる。少年というほどではないにせよ、二十か、三十か、瑞々しいと思えるほどの音声。
「君が――いや、君の中にいるもう一人が、我が主を殺してくれたのか」
純白の鎧が動き出す。
予備動作のない初動。あまりにも静かな動き。
アレクサンダーはその鎧から視線を外さなかった。
でも――いつの間にか、その鎧は目の前に来ていた。
速さではない。
たしかに動いているのに、まったく動きを感じさせない。
――暗殺者のような、歩み。
「――なんということを。殺すしかない」
純白の鎧はつぶやく。
そして腰の剣を抜き放ち――
「え?」
アレクサンダーは目の前で堂々と行われる動きに反応できない。
抜かれた剣はゆっくりと、アレクサンダーの首を目指して接近し――
ポン、と。
剣は花束に変身した。
「――なんちゃって」
純白の鎧がおどけたように言う。
アレクサンダーは事態をよく飲み込めない。
純白の鎧が肩をすくめる。
そして、
「あれ、滑ってしまったかな? なにぶんヒマでしてね、こういう手品なんかも練習してはみたものの、やっぱり色んな人を相手にしないとサプライズというのは感覚を忘れてしまうものですね。最近できた助手は大はしゃぎしてくれるんだけどなあ」
「……いや、その」
「というわけで、僕が『真白なる夜』――通称シロちゃんです。君よりだいぶおじいさんですが、気持ちは若いつもりでいるのでよろしく」
恭しい礼。
なぜだろう、アレクサンダーには、表情のない鎧が、穏やかに笑っているように見えた。




