232話
結論から言えば、間違いなく殺害予告だった。
思えば最初から不思議――いや、無気味だったのだ。
なぜ、セーブポイントを出させられたのか。
理論の習得に『死』の要素はないはずだ。
モリーンの修行の時のように、知識を詰め込むと同時にMP最大値を伸ばす必要はないのである。
アレクの肉体の能力はほぼそのままアレクサンダーに受け継がれており、彼のステータスには、すべて項目の下に『(MAX)』という最大値であることを示す記号が見えるのだ。
カンスト転生者。
アレクはそのように自身を定義していたし、その意味は、彼にもわかる。
つまり、限界値。
気合いだろうが努力だろうが、それ以上能力が伸びないというのが、アレクの肉体である。
だから『死に鍛え』の必要などない――
はず、だった。
「アレクみたいに数字で人の能力を捉えられないぼくが、なんで長いこと『死ぬ修行』を止めなかったか、わかる? あ、『父親がアレクにやらせてた修行だから』が理由じゃないよ」
ヨミがたずねてくる。
そういえば、謎だ――ヨミは常識がわかる人だ。世間的にはそのように認識されている。
だというのに、ヨミはアレクの修行を強く止めたことがなかった。
修行者への接し方をたしなめる程度はするものの、根幹を否定したことはなかった。
もっとも、彼はアレクの記憶を全部持っているわけではない。
印象深いことは覚えているが、意識さえしていない日常会話は記憶を引き継ぎにくい。
なので『ヨミはアレクを強くたしなめたが、アレクがそれをまったく気にしていなかった』という説も考えられたのだが……
「それはね、アレクの修行に――『死ぬほどやらせる』っていう修行方法に、ぼくも効果を認めてたからなんだよ」
どうやら彼の予想は外れたらしい。
つまりヨミは、ひどすぎると感じればたしなめる程度はするものの、『死に覚え』自体は肯定していた、ということになる。
常識を持った人の思考ではない。
まあ、本気でアレクの修行方針を間違っていると思いながら放置していた――とかよりはよほどいいのかもしれないが……
彼女が命懸けを肯定する理由とはなにか、アレクサンダーは予想を述べる。
「ステータスがたしかに上がってたから、とか?」
「いやいや。ぼくには『ステータス』は見えないんだってば。まあ、そんなもの見えなくたってあきらかに強くなりすぎてることはわかるし、それもアレクの修行方法を肯定していた理由の一つなんだけれど、一番の理由ではないね」
「えーと……その『一番の理由』をアレクさんに面と向かって言ったことはないよな?」
「そうだね。だからこれは初めて人に言うんだけれど――」
そう前置きして。
ヨミは客に向けるような笑顔のまま――
「――人はね、どうにも、死ぬ気にならないと本気を出してくれないんだよ」
「……いや、そうかなあ?」
「そうなの」
断言だった。
おかしい。アレクの記憶の中で、ヨミとは自己主張と自意識に乏しく、大人しい、そして如才ない、まともな少女だったはずだ。
こんなヨミは知らない。
知らないヨミが言葉を続ける。
「『火事場の馬鹿力』ってわかる?」
「……まあ。緊急時は潜在能力が出て力持ちになる――みたいな意味の言葉だっけ?」
「そうそう。実際に追い詰められるとものすごい力が出たり、信じられないぐらい全力疾走が続いたりするよね?」
「まあ、そうかな。『必死でがんばる』とはまた違った、『命がかかってるからこそ出る力』みたいなものはあると思う」
「うん。でもさ――それっておかしくない?」
一番おかしいのは雲行きだった。
なんだろう、ヨミはまともで物静かな大人しい女性――そんなイメージに暗雲がたちこめる。
アレクサンダーはこれ以上会話をしない方がいい予感がした。
でも、今さら引けもしない。
「……おかしくないと思うけど」
「いや、だってさ生きるっていうのは、常に命懸けのはずなんだよ」
「……そうかなあ?」
「そうなの。習わなかった?」
普通の人は習わないだろう。
しかし――アレクにものを教えた人々は普通ではない。
「……習った」
思い当たる節がある。
その教えはたしか――
「……『狐』が、言ってた気がする」
しかも、何気なく、当たり前のことのように、言っていた気がする。
日常的な会話である。それでもアレクサンダーがその会話を覚えている理由は――
『輝く灰色の狐団』にいた当時のアレクが普通だったから。
普通なりの感性で『狐』の発言の端々からおかしさを感じとっていたからこそ、今では何気なく『そうですね』とか言いそうな言葉を記憶しているのだ。
つまり『その理屈はおかしい』という話なのだが――
ヨミは『我が意を得たり』とばかりにうなずいた。
「そうなんだよ」
「いや、その……アレクさんは洗脳調教されてるから言わないと思うけど、実は、そうじゃないんだよ。普通の人は、ただ生きている時に『命』を認識しないんだ」
「まあ、それはぼくもわかってるよ」
「……ああ、そうなのか」
ホッとした。
つまり、ヨミの言いたいことは『常に命懸けで生きているのに命懸けで生きていないのはおかしい』ということではなかったのだ――いや、どういう意味なのか、まとめてもよくわからないのだけれど。
「ぼくが言いたいのはさ、命なんか意識しなくたって、生きることは命懸けなんだから、改めて命懸けだと思わずとも潜在能力を発揮できないのはおかしい、っていうことなんだよね」
「えっ? ごめん、意味がわからない」
「そう、その反応」
「……どの反応?」
「その、『意味がわからない』っていう反応は間違いだと思うんだよね」
「…………」
どうしよう、意味がわからない。
お前の嫁だろなんとかしろよ――と心のどこかにいるはずのアレクへ語りかけるのだが、反応はなかった。
そんなことで対話できたら新しい体なんかいらない。
ヨミは言う。
ムスッと頬をふくらませた、少女みたいな怒り顔で。
「なんでみんな、道を歩いてて突然死なないと思ってるのか、ぼくは不思議」
「……そりゃあその、経験に裏打ちされた自信っていうか……道歩いてて突然死んだこと、ないよね?」
「今まではないけど、ありえなくはないよ」
「……う、うーん……」
「馬車に轢かれて死んだ人は、馬車に轢かれるなんて思わなかったから死んだんだよ。子供が投げた石が運悪く頭に当たって死んだ人だって、まさか街中で投石によって死ぬなんて考えてもみなかったと思うよ」
「わかった。ようするに――あなたたちは似た者夫婦なのか」
「そうかもしれないけど、たぶん、違う」
「いや、違わないって。アレクさんのオーラあったよ、今」
「ぼくは、今、自分で言っていることが異端だってわかってるから」
「……」
「そのうえで、ぼくの今の意見が異端であるとされる現状に激怒してるの」
ぷんぷん、という擬音が出そうな顔だった。
幼い顔立ちはたしかに、かわいらしく、ムスッとしている――だがまあ、そんな顔で『怒ってるよ』と言われても困るし、突然怒られてももっと困る。
「ようするに、ちょっと熱くなっちゃったけど、言いたいことは、これからの『理論を習得する』っていうだけの、本来であれば机にかじりつくだけでいい、死なない修行で、あえてセーブポイントを使う理由を説明してるの」
「話題の超次元航法はやめてくれないか。俺にはどこがどう接続するかわからない」
「これからやるのは、『理論の習得』で、普通は、死なない」
「うん」
「でも、その方法は、無駄に時間がかかる。だって、あなたたちは本気を出してくれないから。だから本気を引き出すために命を懸ける。そういうこと」
「……いや、出すよ。本気出すって。実際に死ななくても全力出すよ」
「出さないよ」
「出すよ! 信じてよ!」
「悪いけれど――こればっかりは、無理だよ。あなたたち『普通の人』がなかなか本気を出さないことに対して、それこそ経験に裏打ちされた自信があるんだよ」
「なんで」
「だって、ぼくの周囲で死ぬほど本気でパパたちの修行を受けたのはアレクだけだったから。あれほどの努力は普通できないし、しようとさえ思えないものでしょ?」
「……たしかに、そうか。アレクさんほどおかしな努力をしてた人は、いなかったかな」
腑に落ちる。
なるほど、たしかに言う通りだ。
人は、なかなか本気を出さない。
やる気の問題ではない。どれほどやる気があったって、死にながら努力できる人はなかなかいないだろう。
それは『必死さが足りない』という話ではない。
『人として普通だ』という話である。
アレクが努力した――というヨミの発言は、夫のがんばりを褒めているわけではなく、異常性を認めているだけなのだ。
「言い方が悪かったよ。ごめんね」
ヨミは言う。
アレクサンダーは首を横に振り、
「いや」
「でもさ、あなたには本気でがんばってほしいの。それこそ死ぬ気で、潜在能力のすべてを発揮して、がんばってほしい。だって――時間制限がないとは限らないじゃない」
「……」
「あなたが表に出ているうちに、アレクが消えない保証がないでしょ。だからぼくは、あなたを急がせるんだよ。ぼくの都合で」
ここでようやく、アレクサンダーはヨミの危機感と心情を理解する。
理解してしまうと、先ほどまで反論していたのが恥ずかしいぐらいだ。
ヨミはきちんとTPOをわきまえている。
日常会話で『本気』という言葉を使うたびに噛みついてくるような人ではない――アレクと違い、彼女は日常と異常で生き方を変えられる人なのだ。
そして今は、『憑依術』なるものを覚えようという――『一つの体に宿った二つの人格を、二つの体に分けよう』という『異常』な状況だ。
彼女が急におかしくなったわけではない。おかしくなるべき状況というだけだ。
とりもなおさず、こちらの覚悟の足りなさ、『理論を覚えるぐらいなら別に命懸けでやらなくてもいいだろう』という甘さを浮き彫りにされたかたちだった。
本気でやるなら、使えるものは命でもセーブポイントでもなんでも使うべきであり、時間は無駄に使うべきではない。
彼女の言う通り、時間があるとは限らず――自分たちにできるのは、急ぐことぐらいなのだから。
「……悪かった。今のは、俺が間違いだ」
「ぼくも冷静じゃなかったかも。ごめんね」
「いや」
「なんていうか――やっぱり、早くアレクに帰ってきてほしいよ」
「……」
「その顔で、その声で色々言われるとね。なんで今までずっと一緒に生きてたのに、全然ぼくのことわかってくれないんだろうって気分になっちゃうし。……まあ、あなたを責めるべきじゃないとぼくは思ってるけど、それでもさ」
「いや、俺は――侵略者だよ。事情はどうあれ、その立場に違いはないし、変える気もない。それよりも、どんなふうに、『理論の習得』に『セーブポイント』を――命を有効活用するのか、その方針を教えてくれ」
「まあ、それは実際のところ、教えるまでもないんだけどね」
「……どういう意味だ?」
「昔よくやったじゃない。それとも記憶にないかな? ほら、お店を経営することになって、覚えることが増えてさ……それで、勉強しようにも当時すでにブランとノワがいたから、時間がなくって、じゃあ時間を使わず覚えられる方法は――って考案したの、あったじゃない」
「……」
どうだろう、あったのだろうか。
その思い出を探るのには少々時間がかかった。
古いことだからだろうか。それとも、そんなに大したことじゃなくて、記憶していないだけか――
……いや、冷静になれ。
どう考えたって大したことだ。
だって――その方法には『セーブポイント』を使うのだから。
……嫌な予感がする。
背筋を伝う冷や汗を感じながら、アレクサンダーは問いかける。
「その――悪いけど、探っても出てこないんだ。アレクさんの記憶の中に、『時間を使わず覚えられる勉強法』みたいなものが、見当たらない」
「あ、そうなんだ? じゃあもう印象に残ってないってことかなあ……」
寂しそうに言う。
アレクサンダーはたずねる。
「それで、どんな方法なんだ?」
「まずは覚えたいことが書いてある資料とかを、ジッと見て覚えるんだよ」
「ああ」
「それで、覚えたと思ったら、『覚えた』って言って、資料を相手に――つまり、アレクの場合は一緒に勉強しているぼくに渡すの」
「ああ」
「それで暗唱してみて――言えたら、クリア」
「言えなかったら?」
「自決」
「自決!?」
当たり前のようにとんでもねえ展開が待っていた。
アレクサンダーは肝を冷やす――この夫婦は日常的になにをしているんだろう。怖すぎる。
「ほら、眠くなったりして集中力切れたらふとももつねったりするじゃない?」
「そんなノリで命を捨てるのか!?」
「ぼくらは色々やりすぎて、痛みへの耐性が高いんだよねえ……だからつねるぐらいじゃあ、とても目が覚めないし、気合いも入らないし――『本気』が途切れちゃうから、ね?」
「目を覚ますために永眠するのか……」
「まあ今は『死の恐怖』への耐性もついちゃって、ぼくなんかは、もう『死に修行』の効果が薄くて『カンスト』まではいけなかったんだけど」
「……」
「でも、今のあなたなら、大丈夫だと思うよ。というか――アレクが死への恐怖を忘れたことはなかったみたいだし、あなたがアレクでも大丈夫だと思う」
ヨミは笑う。
アレクサンダーはようやく見つける。
記憶を探っても『勉強法』として発見できないわけだ。
その壮絶な思い出は、彼視点だと『心中』にしか見えない、ひどい光景だったのだ。
「けっきょく、死の淵で反復横跳びするじゃないか……!」
言わずにはいられなかった。
ヨミは「大丈夫、あなたならできるよ」と褒めてくれた。
嬉しくない。




