209話
修業は軽いものだけ行われた。
そのようなことをアレクの口から述べられたのだが、リンジィにはなにが軽くてなにが重いのかがさっぱりわからない。
なにせ死亡前提だ。
崖から飛び降りてみたり、豆を食べてみたり――
そして本日、金策におとずれたダンジョンも、彼にいわく『軽めのもの』らしかった。
「本日はダンジョンマスターを倒していただきます」
昼ごろ。
昼食をすませたメリンダとリンジィが連れてこられたのは、まぎれもなく未踏破のダンジョンであり、ここを制覇する旨の依頼はすでに受理されているようだった。
塔のかたちをしたダンジョンだ。
非常に高い建造物だ。材質はオレンジがかった石のようなもの。いかにも人工物というおもむきなのだが、誰がいつ作ったのか、それを知る者はいない。
そもそも、これほどの建造物を創り上げる技術など、今の世に存在しないのだろう。
重ねて述べるが、非常に高い建造物なのだ――最上階が、雲の向こうにあって、見えない。
「ダンジョンのレベルは三十。内部モンスターの強さや、罠の多さ、凶悪さなどよりも、単純に物理的に、このとんでもない高さから踏破が非常に面倒くさ……いえ、難しいと言われている――『雲突く塔』が、目の前にある塔型ダンジョンの名称です」
難易度は高くない。
高いのは建物の高度だけ。
そういうことをアレクは言うが――
リンジィは自分の左足を見下ろす。
……動かない足だ。
これをひきずって長いとされる塔を登り切るのは、楽ではないだろう。
「あの、他のところでは、ダメなのですか?」
リンジィはアレクに問いかける。
アレクは悩むような素振りを見せてから、
「あなた方の目的は金策で、リンジィさんはあまり死にたくないとおっしゃっていましたね。ああ、いえ、あなたが死にたくないのではなく、妹を死なせたくない、でしたか」
「まあ……」
普通、そうだろう。
妹を死なせたくない――それは特別なことではないはずだ。
普通に仲のいい姉妹なら、いちいち言葉に出したり意識にのぼらせたりはせずとも、だいたいの人が思っているだろう。
それをなにか特別なオーダーみたいに言われてしまうと言葉に詰まる。
「この塔ならば、まず死にません。死ぬほど大変なだけです」
「……」
「それでも、足場を踏み外したり転んだりしたら、普通は死ぬでしょう。そこであなた方のした修業が活きてくるというわけです」
「……まあ、王都南の絶壁よりは落ちても安全そうですね」
「本来は昨日の修業でメリンダさんの攻撃力を上げて他のダンジョンに挑んでいただく予定でしたが――姉妹でお互いになるべく負担をかけたくないということなので、お二人の条件を可能な限りそろえさせていただきました」
つまり、自分のせいでメリンダの修業が遅れたのだとリンジィは理解する。
……どうしてだろう、『悪いことをした』という思いよりも『ああよかった』という安堵の方が大きい。
崖とか豆以上の修業とか、絶対に身内にはさせたくない。
リンジィは横にいるメリンダを見る。
妹はグッと拳を握りしめて、言う。
「お姉ちゃん、メリンダ、がんばるよ」
こんなに自信とやる気に満ちた妹は、知らなかった。
『銀の狐亭』の修業が彼女を変えたのだろうか。
たった二日とか三日で。
妹が精神的に強くなるのはいいことなのに、なぜだろう、期間が短すぎて精神改造を無理矢理されてるだけなんじゃないかという、おぞましい不安があった。
自分は大丈夫かなとリンジィは恐怖する。
「……あの、メリンダ、がんばりすぎないでいいんだからね?」
「大丈夫……! お姉ちゃんは、心配しないで。メリンダがお姉ちゃんを守るから」
やっぱり妙にやる気に充ち満ちている。
なにが彼女をこんなに変えてしまったのか、リンジィの不安はさっぱりぬぐえない。
そんなリンジィの視界に、突如、青く光るなにかが出現した。
人の頭部大の球体――アレクの異能、『セーブポイント』だ。
「危険はまずないと思いますが、念のためセーブをなさってください。落ちて骨折などしてもロードさえできれば痛いだけですみます。まあ、ロードしたらその時点でこの地点からやり直しなので、なるべくロードはしない方がいいとは思いますが。……時間効率的にはね」
死にたくない。
今改めて、リンジィは強く生存を望んだ。
だってどれほどのぼったって死んだら最初からやり直しだなんて、きつすぎる。
なにかあってもロードすればいいや――そんな気楽に考えられるほど、まだリンジィの心は変わり果てていなかったものの、ほんの少しだけ存在したそのような気持ちも、吹き飛んだ。
「二日もかければ踏破可能でしょう。……少々予定が狂ってしまいましたが、金策ふくめてあなたたちの期限には余裕で間に合うということで、どうかご容赦ください」
「いえ、それはもう、容赦もなにもないのですが……でも、こんな、ただのぼればいいだけのダンジョンなんてあったんですね。冒険者ギルドでも金策手段を探したりしたんですが、私には見つけられませんでした。見つけたってあきらめていたでしょうけれど……」
「ああ、このダンジョンはね、立ち入り禁止なんですよ。だから依頼は表に出てません」
「……レベル三十とおっしゃっていませんでしたか?」
「そうですね。ですが、俺が『制覇してもいいよ』とお客様に回せるダンジョンは、だいたいが『セーブしないと攻略を推奨できない』ダンジョンばかりでして。つまり――『立ち入り禁止ダンジョン』と、そのように」
「……それは、ダンジョンが長いから?」
「いえ、このダンジョンはですね、階段がないんです」
「は?」
「最上階までは、壁の突起などをつかみつつ、クライミングしていただくことになります」
「あの、最上階が高すぎて見えないんですけど……」
「崖での修業が活きてきますよ。ロープ、のぼったでしょう?」
「ロープはあるんですか?」
「ロープはありませんが、持ち込みは禁止ではないですよ」
「まあ装備品やアイテムを持ち込めないダンジョンなんて聞いたことないですけど……」
「衣服も装備品扱いされますからね。さすがにお客様には紹介できません」
「あるんですか!?」
「昔制覇したことはあるはずですが、あまり人には言いたくない経験にカテゴライズされていますね」
そりゃあ全裸でダンジョンとか、人には言いたくないだろう。
リンジィはちょっと想像してしまって、まともにアレクの方を見ることができない。
アレクは笑う。
なにも気にしていないようだった。
「ところで、お互いに負担をかけたくないということでしたが――どうされますか?」
「……なにがでしょうか?」
「お二人で同時にダンジョンに挑んでいただくのはもちろんとして、その後の攻略手順に『一蓮托生コース』と『競争コース』があるようですよ」
「……なんですかそれは」
「わかりやすい方から紹介いたしますと、『競争コース』はその名の通りです。お互いがバラバラに壁をのぼり、どちらが先に着くかという、二人パーティというよりはソロパーティが二つという感じの攻略法ですね」
「まあ、協力はしてませんし、同時に二人で入る意味もない感じですよね」
「最上階にはダンジョンマスターがいますから、頭数は多い方がいいかと。まあ、一人でも倒せると思います。俺はダンジョンマスターの部屋までは入っていませんが、経験から申し上げると、ここのダンジョンマスターは強くないはずですから。丈夫ささえあればいけるかと」
「……それで、『いちれんたくしょうコース』というのは?」
「『一蓮托生コース』というのは、お二人が互いの体をロープでつないで、片方が足を滑らせてももう片方が支えてリカバリー可能になるという、仲良しモードですね」
「……一人が足を滑らせた時に、もう一人が支えられるものなんですか? 重量的に…………だってもう一人の方も、壁の突起を頼りにのぼっている最中なんでしょう?」
「今のあなたたちのSTRであれば、支えきれるかと。ただし――必ずしも、絶対に支えきれるわけではありません。疲労、寝不足、空腹などによる能力値の低下、そもそも眠気というバッドステータスがあれば十全に力を発揮できません。また、タイミングの問題などもあるでしょう」
「……だったら、『競争コース』がいいと思います」
リンジィは己の左足を見た。
修業をしたからといって、今さらまた動くようになるわけではないのだ。
先に落ちるとしたら、自分だろう。
その時、妹に支えられたくはなかった。――妹の負担には、なりたくなかったのだ。
……でも。
リンジィは目前にそびえ立つ、高い高いダンジョンを見上げる。
負担になりたくなくて、自分も金策をやろうとした。
ところが、金策におとずれたダンジョンで、負担になろうとしている。
どうにもならない。
どうしたらいいかわからない。
自分はいつの間に、これほどお荷物になってしまったのか――リンジィは涙が出そうになった。
その肩に。
小さな、妹の手が乗った。
「お姉ちゃんは、メリンダが助けるから」
「……」
「だから、お姉ちゃん、メリンダと一緒にいこう?」
優しく微笑む妹の顔を見下ろす。
メリンダは言葉が出なかった。
だから、しばらく沈黙して、
「どうして?」
「……だ、だって、一緒に行った方が、いいし……」
「……違うのよ。あなたは――あなたは、もっと弱くて、自信がなくって、自分の意思だってはっきり言葉にできない子だったはずなのに、どうして、たった数日の修業を経ただけで、そんなに変わってしまえたの?」
「違うよ。メリンダはなんにも変わってないよ」
「……じゃあ、私が変わったの?」
「ううん」
メリンダは首を横に振った。
なにも変わっていないのだと、そういう考えを持っていると、いうのだ。
じゃあ――
「なにが変わったの? どうしてあなたは、そんなに強くなったの?」
「うんとね……メリンダの中でね、お姉ちゃんは最強だったんだよ」
「……最強……」
「完璧で、最強だったの。だから、お姉ちゃんに言われた通りやってたら大丈夫だって、そればっかり思ってたんだよ」
「……私は、完璧でも最強でも、ないわ。ただ――必死だっただけ。おばあちゃんが死んでからは特に」
「うん。もう知ってるよ。だって、お姉ちゃんが弱いところ、見たから」
「……」
「おかしなこと言われたら戸惑うし、死んでって言われたらためらうし、何度も何度もアレクさんに修行内容確認するお姉ちゃんを、メリンダは見たんだよ」
「……普通、そうするでしょ」
「だから、お姉ちゃんが普通だって、メリンダはわかったんだよ」
「……」
「最強でもなくって、完璧でもなくって、唯一、足が動かないことだけが弱点かと思ってたんだけど、それ以外にもいっぱい弱点があって、ごねるし、戸惑うし、怖がるし、不安がる、そういうお姉ちゃんを、メリンダは見つけたんだよ」
「……」
「だから、メリンダがお姉ちゃんを助けるよ。メリンダが困ったらお姉ちゃんが助けてくれるから、お姉ちゃんが困ったらメリンダが助けるんだよ」
妹は笑う。
リンジィは、泣きそうだった。
完璧で最強――そんなふうに思われていたのは意外だったけれど、たしかに妹の前で強がってはいたから。
その強がりを見破られて。
……失望せずに、いてくれて。
だから、リンジィは言う。
メリンダの頭を抱きしめて、
「……ねえ、メリンダ。このダンジョンを制覇して、お金ができたら――一緒に行ってほしいところがあるの」
「いいよ」
「……まだなんにも言ってないでしょ」
「でも、お姉ちゃんが初めてメリンダにお願いしたんだから、メリンダは断らないよ」
「……ありがとう。ねえ、メリンダ。お姉ちゃんはね、ずっと、謝らなきゃいけない相手がいたの。その人にはもう嫌われちゃったし、顔も見てもらえないかもしれないけど、それでも勇気を出して謝るべきだった。でも、怖くて、一人じゃ行けなかったの。だから――付き合って。一緒に謝りに行ってほしいの」
「うん」
「相手が誰か、わかる?」
「……本当は、知ってたよ」
メリンダが微笑んで言う。
リンジィは、妹を抱きしめる腕をゆるめて、妹の大人びた顔を見て、
「……私が、借金をしている相手。私の家を奪おうとしている相手――」
息苦しさ。
顔を想像するだけで、名前を呼ぼうとするだけで、嫌な思い出ばかりが脳裏によぎる相手。
謝るべき相手。
その名は――
「――ラウラに、私たちの幼なじみに、一緒に謝りに行ってほしいの」




