206話
「私がやります」
『銀の狐亭』――
メリンダにはこの場所に姉を連れて来たくない理由がいくつかあって、その一つが的中してしまったことを痛感する。
夜。
魔導具のランプによる照明が宿内を照らす。
宿の受付カウンターにはアレクがいて、彼は今、とある女性に詰め寄られていた。
黒髪の、気の強そうな、人間の、女性だ。
顔立ちは大人っぽく、雰囲気は凛としている。
表情はどこか険しいものの、美人だとメリンダは思っている。
着ているものはなんの変哲もないワンピースだ。
強いて特徴をあげろと言われれば、デザインが少し古めかしい、というぐらいだろうか。
母のおさがりなのだ。
……もしくは、形見、と言ってしまった方が正しいのだろうか。
彼女は右手に杖を持っていた。
左足が不自由で、ほとんど力が入らないのだ――だというのに、女性の後ろ姿からはとても強いエネルギーを感じる。
姉妹なのに全然違う、とメリンダはいつも思っている。
強さも、顔立ちも、なにより、人種が違う。
血縁があるとはとても思えない、姉。
「あなたは?」
カウンターのところでアレクがたずねた。
いきなり入って行って、いきなり『私がやります』と言ったのだ。
『誰?』という疑問を抱くのは当たり前だろう。
ただ――
あの勢いで詰め寄られて、なにも気圧された様子がなく、当たり前の質問をできるのは、なかなか当たり前のことではないとメリンダには思えた。
メリンダなら絶対に萎縮する。
姉は冷静さを欠いていたことを認識したのだろう。
コホン、と恥ずかしそうに咳払いをして、告げる。
「……失礼。私はメリンダの姉で、リンジィといいます」
「なるほど。ではこちらも自己紹介を。俺は『銀の狐亭』店主、アレクサンダーと申します。アレクでもアレックスでも、好きなように」
「アレクサンダーさん」
リンジィは固い声で呼びかける。
メリンダからは後ろ姿しか見えないけれど、きっと、強い視線でアレクをにらみつけているのだということは、見なくてもわかる。
「妹――メリンダから、話を聞きました。……この子が家を空けるなんて珍しいからなにかと思ったら、あなたが修行をつけてくださっているそうですね」
「はい。僭越ながら俺が彼女を鍛えさせていただいていますよ。ご家族に話されるとおっしゃっていましたから、とっくに知っていらっしゃるものかと」
「それ、もうやめてください」
「おや、なぜ?」
「私が代わりにやりますから」
「代わりにやる、というのはよくわかりませんね」
「この子が修行なんかするのは、家をとられないためです。……私たちの家は今、借金のために奪われようとしているのです。ですから、奪われないために金策をしようというのが、この子が修行をする理由です」
「そうなのですか。金策の必要があるということしかうかがっていませんでしたので、初めて知りました」
「……借金も、家がとられそうなのも、私の責任なんです。だから、この子がつらいことをする必要はありません。どうか、代わりに私を鍛えてください。こんな足ですが、精一杯つとめあげますから」
「あなたのおっしゃっていることが、よくわかりません」
「……ですから……」
「メリンダさんの代わりは、誰にもつとまりませんよ」
「……」
「彼女は、彼女の意思で修行を決意しました。そのメリンダさんが自らやめたいとおっしゃるのであれば、止めませんし、ご自由になさっていただきます。ですが、『私がやるからあの子の修行をやめさせて』と言われましても、俺にはできません」
「なぜですか」
「修行をするのは、メリンダさんの意思だからです。お客様のご意思を、こちらが勝手に曲げることはできません」
「……私は、あの子の姉ですよ?」
「そうおっしゃっていましたね。それが?」
「…………」
リンジィは頭を抱えていた。
まあ、普通、『私はあの子の姉だ』と言えば、それで相手は引き下がるだろう。
……冷静に考えれば、『姉だからなんだ』という話なのだけれど。
それでも普通は引き下がる。だって、面倒なはずだから。
でもアレクは引き下がらない。
それどころか、こんな提案をしてきた。
「目的のために妹さんに負担をかけたくないとおっしゃるのであれば、あなたも修行をなさればよろしいのでは?」
「……ですから、そう言ってるじゃないですか」
「『あなたが』ではなくて、『あなたも』です。メリンダさんがご自分でやめたいとおっしゃらない限り、彼女の修業をやめることはできません。ですが、必ずしもメリンダさんが修業をやめなければ、あなたが修業をできないということではありませんよね?」
「……それはそうですけど……」
「無理強いはいたしません。あなたにも、メリンダさんにも。……話し合いが必要であれば、どうぞ気の済むまで。ただし、メリンダさんが自分の意思で『やめる』とおっしゃらない限りは、修業をやめません」
「……わかりました」
リンジィはため息をつく。
そして、メリンダを振り返った。
……優しい姉なのは、知っている。
でも、メリンダはリンジィに視線を向けられて、びくりと身をすくめてしまった。
「いいわね?」
リンジィはそれだけ言った。
メリンダは答えることがかなわない。
姉に反論するということをしてこない人生だった。
……強制されていたわけではない。反感があるわけでもない。
全部、姉が決めてくれるならそれでいいとさえ、思っていた。
……姉が足をケガするまでは、本当に、言いなりになることを喜ばしくすら思っていた。
でも、今は――
「……よく、ない」
「……メリンダ」
「め、メリンダはもう、弱いメリンダじゃないもん……だから、やるよ。メリンダががんばるから、お姉ちゃんは、心配しないで」
「……」
リンジィの目が細められる。
切れ長の瞳は、刃物のような鋭さとなる。
メリンダは目を逸らしてしまいたかった。
でも――耐えた。
がんばって、体を震わせて、唇を噛み締めて、姉の目を見つめ返す。
しばらく、沈黙のまま時間が流れる。
そして――
「……しょうがないわね」
折れたのは、リンジィが先だった。
メリンダはおどおどとたずねる。
「……いいの?」
「悪いって言っても、やめないんでしょ?」
「…………うん」
「だったらしょうがないじゃない。……アレクサンダーさんの提案に従うわ」
「……?」
「私もやるから。あなた一人に負担をかけたくはないし。それなら、いいでしょ」
「でも……」
「どんな修業なのかは知らないけれど、あなたがここまで反抗することはなかったものね。よほど効果がありそうな修業なんでしょう? 大丈夫よ。知ってるでしょう? 私は昔、冒険者をやってたこともあるの。……足を駄目にするまでの、ほんの数ヶ月だけれど。キャリアはまだ、あなたより上のはずよ」
「……え、えっと……」
「あなたが耐えきれる修業に私が耐えきれないとでも?」
リンジィが目を細める。
メリンダは姉のこの顔をよく知っていた。『これ以上はゆずらない』という顔だ。
しかし――困る。
もちろん、メリンダは姉の強さを知っている。肉体的にではなく、精神的な強さを、充分なほどに知っているのだ。
でも、すすめにくい。
なるほど自分に『銀の狐亭』を紹介したロレッタもこんな気持ちだったのか――とメリンダはまた一つ真実を知った気がした。
ともかく姉は引き下がらないだろう。
でも、いちおうメリンダは説得を試みる。
「お、お姉ちゃん……やめた方がいいよ……死ぬよ……」
「……まあ、危険なのはわかるわ。だって普通にしていたら稼げない額を稼ごうっていうんだから。でもあなたがその『死ぬような修業』をしているのに、私はやらないというわけにもいかないわ」
「……死ぬような、じゃなくて、死ぬんだよ……」
「……あのねえメリンダ、もう少しうまく説得なさいよ。あなたが私の身を気遣っているのはわかるけれど、『死ぬんだよ』って、生きているあなたから言われても、なんの脅しにもならないわ」
「……メリンダ、死んだよ……」
「ここにいるあなたは誰よ?」
リンジィは笑っていた。
冗談だと思っているらしい。
メリンダはがんばって説明をしようと頭を働かせる。
でも、うまく思いつくことができなかった。
なるほどロレッタが『哲学』とか言い出したのはこういう気持ちだったのかと、また一つ真実を知った気がした。
真実は知りたくないものばかりだ。
自分はどのように『死ぬような、ではなく、死ぬ修業だ』という事実を飲みこんだのか――
そう考えて、メリンダは思い出す。
「あ、アレクさん!」
「はい?」
「死んでください!」
死んでも生き返る魔法――技術的にきちんと確立されている魔法ではなく、おとぎ話に出てくるようななんでもアリの方の魔法、『セーブポイント』。
効果を実証してもらえれば、姉もきっと思い直してくれるだろう――
そう思ったのであって、他意はなかった。
しかし。
「こら、メリンダ」
と、姉が言う。
メリンダが視線を向けると、姉がちょっと怒った顔をして言った。
「なんですかいきなり、人様に『死んでください』だなんて」
「えっ、あ、ち、違うの……違うんだよ……あ、アレクさんは、死んでもいい人だから……」
「失礼でしょう。謝りなさい」
「でも、アレクさんは、死んでもいいんだよ……え、えっと、その……」
「死んでいい人なんてこの世にいません! ほら、謝りなさい!」
姉の怒りが正しすぎてなにも言えない。
メリンダは困り果ててアレクを見た。
アレクはうなずく。
そして、
「リンジィさん」
「……すいません、アレクサンダーさん……妹が失礼なことを……」
「いえ、たしかに俺は死んでもいい人なので、お気になさらず」
「そんな……」
「今、ごらんにいれますね」
セーブポイントが出現する。
アレクが笑顔で、手のひらを自分の頭部に向ける。
――既視感。
メリンダには一瞬先の出来事がわかって、目を逸らした。
……あとは、最初にメリンダに見せた通り。
今度はモリーンに手伝わせず、アレクはリンジィに見本を見せて――
リンジィは『死からの復活』におどろき、固まった。
自分もこうだったんだろうなとメリンダは思った。




