202話
「いらっしゃいませ。『銀の狐亭』にようこそ」
メリンダが店内に入ると、男性の声がした。
『銀の狐亭』は大通りから一本裏へ入った場所に存在する宿屋――らしい。
本当に宿屋なのか、自信がもてない。
というのも外観が幽霊屋敷なのだ。
貴族様から紹介された宿にしてはなんというか貧乏そうだったので、『間違えたか』とメリンダは建物までの道を三往復ぐらいしてしまった。
勇気を出して入ってみれば――どうやら正解だったらしい。
外観と完全に雰囲気の違う内装と、宿屋らしいカウンターと、そこに控えた男性がメリンダを出迎えてくれた。
夕方の赤い光に柔らかく照らし出された彼は、笑顔を浮かべていた。
優しそうなお兄さんだ。
ただちょっと気弱そうでもあるかな、とメリンダは思った。
さて、外観は外観で幽霊屋敷的すぎて気後れしたが、内装は内装で気後れする。
予想よりずっとオシャレなのだ。
自分が貧乏臭漂いすぎていて場違いじゃないかなと心配なのだった。
メリンダは自分の格好を見下ろす。
ボロの分厚いワンピース。
大きすぎるとんがり帽子は、祖母の祖母の代から家にあるものらしくて、実際、かなりくたびれて、ツギハギもそこここに存在した。
体は小さくて細くて、色々貧相だ。
汚れは――どうだろう、ないと思うけれど、魔族というのは肌がもともと白いので、少し汚れているだけで目立つから、もうちょっと洗ってくればよかったかもしれない。
肩口で切りそろえた毛先をいじる。
左右で色の違う瞳をキョロキョロと泳がせ、男性に目を止めないまま、メリンダは言う。
「あ、あのお……ろ、ロレッタさんの紹介で、来たんですけど……」
「ああ、あなたがメリンダさんですか。ようこそ。お話はうかがっていますよ」
男性はにこやかに応対してくれた。
貴族様の使う宿だから、こんな小汚い自分は相手にしてもらえないかなとも心配だったけれど、そんなことはなさそうだった。
メリンダはひとまず安堵して、チラリと上目で男性を見る。
店主――男性は一人だけで、その男性が店主だと聞いていたから、たぶん店主だろうその人は、笑顔のままで続けた。
「修行をご希望ということで。目的は金策とのことですが、具体的にはどの程度を?」
「え、えっとお…………い、家を買えるぐらい?」
えへ、と笑ったのは、怖かったからだ。
家を買うというのは言うまでもなく大事である。馬鹿にしているのか、現実をなめるな、出直せ――そんな罵倒を予想した。
でも、彼は怒らなかった。
「なるほど。そうですね、では、三日ほどいただきましょうか」
「み、三日ですか!?」
「長いようでしたらもう少し短いプランもご提案できますが」
「な、長くないです! 全然長くないですよ! メリンダの耳がおかしくなっちゃったかと思いました!」
「そうですか? 『そこそこ緊急にお金が入り用』とうかがっていますから、三日は長いかなという杞憂もあったのですが」
「来月末までに用意できれば充分です!」
「ああ、でしたら余裕ですね」
「あのあの、メリンダは『二ヶ月で家を買う代金を用意しろ』と言われたわけでして、それは普通『できるわけない』って思うことでして、メリンダにその話を持ち掛けた人的には『絶対にクリアさせる気がない難題をふっかけてやったぜうっへっへ』って思ってるようにお見受けするわけでして……」
「あなたの事情は『そこそこ緊急にお金が必要』以外なにも聞いていませんので『うっへっへ』と笑った方については存じ上げませんが――まあ、世の中、死ぬ気になればなんでもできるということですよ。本当に死ぬ気になる人が少ないので、あまり知られていませんが」
死ぬ気。
そうだ、そこが哲学的とかなんとかいうところだった。
「あ、あの……メリンダは死んじゃダメなんですけど……姉がですね、満足に歩けないのでお世話をしないといけなくてですね……」
「最終的に生きていればいい、というお話ですよね?」
「…………ごめんなさい。メリンダがバカでごめんなさい。お兄さんの言ってることの意味がよくわからないです」
「つまり、生きてお金を持ち帰ることができれば問題はないわけですよね?」
「え、えっと、たぶんそうです」
「生きてお金を持ち帰ることができれば、死んでもいいということですよね?」
「こ、これが哲学ですね……勉強になります……」
「哲学ではないですよ。なにも不思議なことは申し上げておりません。どうか、俺の言葉をそのまま受け取ってください」
「あの…………そのままだと、メリンダには受け取れないです」
「ならば条件を確認しましょうか。『あなたは、家を買える程度のお金を稼ぎたい』。これは大丈夫ですよね?」
「は、はい。そうです」
「でも、『死ぬわけにはいかない』。これも、大丈夫ですよね?」
「は、はい」
「そして『死なない』とは『生きてお金を持ち帰ること』である。これも大丈夫ですよね?」
「は、はい……」
「では、『生きてお金を持ち帰る』という条件を満たせる場合、死んでもかまわないと、そういうことになりますよね?」
「……え? ……えっ?」
「生きてお金を持ち帰ることができても、死ねない事情が?」
「あの、メリンダが間違ってるかもしれないんですけど……『生きてお金を持ち帰ること』は死んだらできませんよね?」
「できますよ。……ああ、そうか、ロレッタさんはそこまで伝えていないんですね」
彼はなにかに納得したようだった。
メリンダにはなにもかもがよくわからない。
困惑していると――
彼が右手を横にかざした。
すると、手のひらが向いている方向に、青い球体が出現する。
「これは『セーブポイント』です。これに向けて『セーブする』と宣言すると、死んでも生き返ります。まあ、『セーブポイント』が消されると効果が失われるなどの制約もありますが」
「……?」
「実例を示した方が早そうですね」
笑顔のまま彼は言う。
その時、ちょうど受付カウンター左手の階段から、一階へ降りてくる人物がいた。
魔族の女性だ。
メリンダより三つか四つ上だろうか。大人びていて、綺麗で、出るところが非常によく出ている。
見れば見るほど美人だ。
メリンダは思う。彼女ぐらい美人ならば、魔族でも堂々としていられるのかなあ、と。
一階に降りてきた女性は、メリンダの姿を見つけると近寄ってきた。
そしてニコリと微笑み、メリンダに会釈をしてから、店主に話しかける。
「アレク様、そちらの方は新しいお客様でしょうか? ……ああ、ひょっとして、メリンダさん?」
「やあモリーンさん。そうですね、今『セーブポイント』の説明をしていたところですよ」
「……やっぱりやりますのね……い、いえ、まだあきらめるのは早いですわ。ちょっとアレク様、わたくし、この子を説得させていただいてもよろしいでしょうか? やはりまだまだ幼さも残るような子に修行をさせるなど、正気の沙汰では……」
「その前に手伝いをお願いしてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「俺を殺してください」
なにを言っているんだろうこの人、とメリンダは思った。
それは魔族の女性――モリーンも同じだったらしい。動きの一切を止めて、まばたきを繰り返してから、
「……あの、なにをおっしゃってますの?」
「モリーンさんもそろそろ宿で働いて長いので、セーブポイントの説明アシスタントもやっていただけたらなと思いまして」
「いえ、しかしその……なんと申し上げますか……こんなこと言っても気持ちがわかっていただけないかと思うのですが……人前で人殺しをするのは抵抗があるのですけれど……」
「人殺しではありませんよ。俺は生き返りますから。『セーブします』。ね、これで安心でしょう?」
「安心……その言葉はいつかどこかで聞いたことがあるのですけれど、この宿で過ごすうちに意味が思い出せなくなって……」
「『安心』とは『心が安らかである』『危険を感じるところがまったくない』という意味だと俺は認識していますね」
「心が安らか……一度の修行における死亡百回目以降の精神状態ですかしら」
「かもしれません。というわけでどうぞ、安心して殺してください」
「まあ、そこまでおっしゃるならば……しかし、わたくしでつとまるかどうか。失敗してしまったらすみません」
「大丈夫ですよ。今のあなたなら、きちんと集中すれば可能です。さあどうぞ」
そばで聞いていたメリンダは話についていけない。
殺してくださいとか、自分はどんな場面に出くわしてしまったのだと真剣に悩む。
話についていけない人が一名存在する中、モリーンが店主の方向に手を向ける。
しばし、集中するような間があって――
モリーンの手のひらから、光があふれた。
魔法だ、とメリンダが認識した時にはもう遅い。
男性の頭部がなかった。
「やった、成功ですわ!」
人の頭部を消し飛ばしておいて、モリーンは跳ねながら喜んでいる。
メリンダにはわからない。目の前で行われているコレはなんなのだろう?
状況を冷静に整理すれば、『目の前で女性が男性を殺した』『メリンダはその目撃者である』というようになる。
しかし直前に『男性が自分を殺してと女性に頼んでいた』という事実があって、ということは事件性はないのだろうか? 自殺として扱われる?
でも女性は魔族だし、それだけで色々難癖をつけられそうな気がする――などとメリンダがやけに冷えた頭で色々考えながら震えていると、
ピカッ!
『セーブポイント』が輝きを増し――
メリンダの目の前で、頭部を消し飛ばされたはずの男性が、何事もなかったかのように立っていた。
彼は先ほどなくなったはずの頭部で笑う。
「――というのが、『セーブポイント』の効果です。頭部がなくなり、完全に死亡した俺がこうして生きて元気にしゃべっていますよね?」
不思議なことが起こったのは、メリンダにもわかった。
でも、その前に、『殺してください』からの『やった、成功ですわ!』と殺害成功に跳ねて喜ぶ女性という一連の流れのインパクトが強すぎて、大事なところが頭に入ってこない。
実例を見せていただけるのはもちろんありがたい。
でも、実例を見せる過程で、とうてい受け入れがたい精神性まで披露されてしまっていたような気がしてならない。
しかも――
店主が、モリーンに向けて言う。
「それにしてもモリーンさん、大威力高精度魔法の成功率が上がっていますね」
「ええ、修行をしていますもの」
「でもタメが長いのはいただけませんね。もう少し早く集中し、同時に充分な威力のものを十回に一度と言わず百発撃ったら百発とも撃てないと、実戦では使いにくいですね」
「精進いたしますわ」
「はい、がんばりましょう。今日の経験も活かしてくださいね」
この人たち、殺害手段について感想と今後の展望を言い合っている。
シンプルに怖い。
「……お姉ちゃん……メリンダはなんかすごく怖いところに来ちゃったよ……助けて……助けてお姉ちゃん……助けてロレッタさん……」
「ああ、そうそう、ロレッタさんはなんでも財産整理をしていたら地方にも領地があったことがわかってそちらに出向くとかで、今はいらっしゃいませんよ」
店主が言う。
メリンダはプルプル震えた。
「こ、殺さないで……」
「俺はあなたを殺しませんよ。あなたの修行はその段階まで行きません」
「……」
「それに、死んでも死にません。死んでも、生き返ります。たった今見せた通りですね」
「…………」
「これが、『途中で死んでも生きて帰れる』という言葉の示すところとなりますが――どうでしょう、やりますか、やりませんか?」
店主の問いに、メリンダは震えるだけだった。
でも、首を横には振らなかった。




