2話
セーブする。
と、謎の球体に向けて宣言したところで、男性の望む儀式は終了らしい。
彼女は自分の全身を見下ろす。
体に変化はない。
光景にも、変化はない。
本当に『セーブする』と宣言しただけだ。
「これで、死んだらこの地点からやり直せます。ただし、注意点がいくつか。失った装備、アイテム、所持金は戻りません。その代わり、記憶も経験も失わないので、死ぬたびに強くなってやり直せます。実際、俺はその手法でいくつもダンジョンを制覇しました」
ダンジョンを制覇。
……冒険者の常識からすると、それは、いささか強気が過ぎる発言だった。
ダンジョン攻略には三つの段階がある。
調査。
探索。
制覇。
この三つだ。
まずは、発見されたダンジョンを調査する。
マッピングや、ギルドが推奨冒険者レベルを決めるのが、この段階だ。
ここは国に承認を受けた専門機関の仕事になる。
……マッピングを行なう者を守る任務ならば、冒険者にもできるが。
危険で、ストレスがたまるので、あまりやりたがる者はいない。
次に探索。
ダンジョン内に出るモンスターの強さと自分の強さを照らし合わせて、冒険者が依頼を受ける。
主に使われる『強さ』の単位は『レベル』だ。
冒険者ギルド、もしくは王室ダンジョン調査局が実施する『レベル検定』に合格することで、レベルが上がる。
そこで定まったレベルと、クエストのレベルを照らし合わせて、受注するかどうかの目安にするのだ。
別に、自分のレベルよりも推奨レベルの高いクエストを受けられないわけではないが……。
死にに行くようなものなので、基本的に、自分のレベルより推奨レベルが低いクエストを受けることになる。
なので、検定でレベル上げをして、より賞金のいい、よりレベルの高いクエストに挑む――
これが一般的な冒険者業務の、ほとんどであり、一生だ。
最後に、制覇。
ダンジョンマスターと呼ばれる、ダンジョン奥地に潜む怪物を倒すことにより成し遂げられる偉業だ。
これは、ごく一握りの、神に選ばれた才能の持ち主しか達成できない。
ダンジョンマスターは、ダンジョンに出現する他のモンスターよりも桁外れに強い場合がほとんどだからだ。
通常、ダンジョンはモンスターを生み出すが――
ダンジョンマスターを倒せば、そこからモンスターが生まれることはなくなる。
なのでダンジョン制覇は、『探索』に比べて格段に賞金が高い。
そのぶん難易度も高く、推奨レベルも高い。
制覇クエストを達成できる冒険者は、一万人に一人と言われていた。
「……まあ、冒険者を上がって宿屋を経営しているのが本当なら、簡単なダンジョンを一つぐらい制覇はしているのだろうが」
「そうですね。えっと、確か……五十ぐらいかなあ。趣味で宿屋経営できるぐらい稼ぎました」
「おいおい、五十はいくらなんでも、冗談がすぎるぞ。宿屋とは言え商売なのだから、宣伝文句に迫力が欲しいのはわかるが、それにしたって現実味がなく嘘くさすぎる。その十分の一だって、伝説級の偉業だ。噂になっていないはずがない」
「それは女王様とギルド長に頼んで、あんまりおおやけにしないでもらってるんですよ」
「……そこまで嘘くさいと、逆に信じたくもなるぐらいだが。どうしてこんな、うらぶれた宿屋の、主人かもしれないし主人ではないかもしれないあなたが、ギルド長や女王陛下と知り合いなのだ。色々とおかしいだろう。それとも、今のは笑うところか?」
「まあ、信じられませんよね。じゃあとりあえず、実力だけでも信じてもらいますか。手合わせをしたらきっと信じていただけるでしょう。さ、行きましょうか」
男性は伸びをする。
彼女は、戸惑う。
「本当にやるのか? その、私はこれでも……モンスター相手ばかりではなく、対人の剣技も、それなりにやってはいる。それに、相手がただの宿屋受付でも、勝負をする以上は手加減はしないつもりだぞ」
「ああ、俺もしませんよ。だからセーブしてもらいましたし。それに、手加減は苦手なんですよね。もてあそんでいたぶってるみたいになっちゃうし」
「……大した自信だ」
さすがに、あきれる。
そして、興味も湧いた。
ここまで大口を叩くのだ。
ダンジョンを五十も制覇したのは嘘だとしても、それなりの実力は望めるだろう。
「じゃあ、裏庭に。今の時間は、みんな買い出しに行ってますし、巻きこむ心配もない」
男性はカウンターの奥を示す。
彼女はうなずいてから。
「その前に、名前を聞いておきたい。戦う前に相手の名を知らないというのは、どうにも気持ちが悪くてな。まあ、人族が相手の場合に限るのだが」
「貴族みたいな習慣ですね。ああ、その……どうにも名前が、格好よすぎて、未だに名乗るのに照れるんですが……」
「……自分の名前を格好よすぎるというのは、なんともおかしなお人だ」
「いえ、まあ、この世界風の名前っていうか。……アレクサンダーです。アレックスとか、アレクとか呼んでください」
「普通の名前だと思うが……」
「この世界ではそうなんですけどね」
「変わった御仁だな。私は、ロレッタ。……姓はない。それを取り戻すのが目的だ」
「はい?」
「いや、なんでもない。……真剣しかないが、かまわないのか?」
「ああ、はいはい。大丈夫ですよ。武器がなんだって効かないことには変わりないですから」
「……あなたの大口に、早くも慣れそうだ」
ロレッタはかすかに笑う。
男性は穏やかに笑う。
二人は裏庭に向かい――
そして。