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199話

 実際のところ――

 半信半疑では、あった。


 記憶は歳を経るごとに劣化していくものだ。

 まして他者から『お前は違う』と言われ続け、似た例も見かけることができなかったとなれば、自分の記憶への疑いは深まる一方である。


 大前提として、『人はモンスターにはならない』。

 これはもう口に出すのも馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことで、もし他者に『あの、人がモンスターになったりはしませんよね?』と確認でもしようものなら、それこそ笑われるか、正気を疑われるかだ。


 それが、常識。

 でも、常識は必ずしも、真実ではない。


 だからネイは『風鳴りの塔』を練り歩く。

 内部は標準的な、極めて普通の塔型迷宮だ。


 外壁と同じく、オレンジがかった茶色の石材が積み上げられた内壁。

 その石壁はあちこちが欠けて、ボロボロとそのかけらを床にこぼしている。

 内部は明るい。光源がある様子でもないのに、普通に視界が通るという不可思議なことになっていた。


 道は――どうだろう、ゆるい傾斜があるような、ないような。

 これは塔自体がかたむいているということに起因する傾斜だろう。坂道というほどでもないが、なんとなく、上り坂のような感じがする。


 妙に仕切りの多いフロア。

 一つの部屋には最低でも三カ所は出入り口がある。正しい道を選び続ければ、上階へいたる階段がある部屋に出るという、よく見る塔型ダンジョンの構造だ。


 モンスターは――思ったより、大したことはなかった。

 もともと冒険者としては探索専門で、モンスターとは遭遇してしまった時に逃げるために戦う程度でしかなかったネイだが、それでもそこここに出る雑魚モンスター相手に苦労することはなかった。


 見た目は硬そうな、石を積み上げて作ったような、ヒトガタのモンスター。

 しかし今のネイにはあまり手応えがない――文字通りの『手応え』だ。戦闘経験が少なかったせいか、咄嗟に出るのが投げナイフではなく、修行でさんざんモンスターを殴り続けた拳になってしまっている。


 アレクの調教……もとい、修行のせいで、すっかり拳闘士みたいになってしまった。

 このダンジョンが終わったら武器を籠手にしようかな――などと考えつつ、モンスターを殴り、部屋を探索し、上へ上へとのぼっていく。


 時には上階にのぼる階段を無視し、フロアの探索を優先したりもしたが――

 目標のモンスターは――父は、見つからない。


 そしてついに――

 ダンジョンマスターの部屋とおぼしき、扉の前だ。



「…………」



 ネイは『ダンジョンマスターの部屋』というものを、噂でしか知らなかった。

 実際に見たことはない。

 なにせメインの稼業はなるべくモンスターと戦わない採集クエストであり、さらにダンジョンというのは常識的に奥へ行くほど危険で、ダンジョンマスターの部屋はだいたい最奥に存在する。


 だから初めて見た『ダンジョンマスターの部屋』を守る門の、あまりの偉容に気圧される。

 それは岩でできた巨大な、両開きの扉だった。

 高さはネイの五倍、横幅はネイの四倍はあるだろうか。

 使われている岩はダンジョンの内壁、外壁と似ている――しかし金属のような光沢があり、欠けても崩れてもいない。


 これから、この門の内部に入る。

 そう思うと、少しだけ気が重い。


 危険を避けて稼ぐ――これは人生の基本だ。

 そういう意味で、両親はなぜレベル八十のダンジョンになんか、挑もうと思ったのか。

 強ければそれだけレベルの低いダンジョンで楽に、そして安全に稼げるのに。


 難易度の高いダンジョンに挑む理由は、だいたい決まっている。

 求めるものがあるからだ。

 それはお金だったり、あるいは名声だったり――

 あとは、お宝、とか?



「……単に余裕だったからじゃないかなあ……」



 なにせ、まだまだ子供だった自分を連れて、両親はこのダンジョンに来たのだ。

 大事な目的があるなら、子供なんていう足手まといを連れて行く理由がないだろう。

 ともあれ――今から考察しても、わからない。


 ネイは首飾りを握りしめる。

 どこかのダンジョンで、両親が獲得した戦利品。鋭いかたちの、牙みたいな、首飾り。


 ……たしかに両親からもらったものだという記憶はあるのに、いつもらったか明確な記憶はない。

 でも、この首飾りはいつでも勇気をくれた。

 自分じゃない自分が、自分の中に宿っていて、首飾りを握りしめればその人が力を貸してくれるような、そんな気がするのだ。


 ……意を決して、一歩、『ダンジョンマスターの部屋』の門へと近付く。

 すると、重々しい音を立てて、門が勝手に動き出す。

 こういう仕掛けになっているのか――とネイはやけにのんびりと思った。扉を見た時には気圧されたものの、いざ『挑む』と決めてしまえば、意外と肝はすわるものだ。


 そして見えたダンジョンマスターの部屋で、ネイは――

 真実と、出会う。







 フラッシュバック。

 ソレを見た瞬間に、過去の記憶が弾けるように脳内を駆け巡る。


 幼い日の光景。

『風鳴りの塔』。


 両親に連れられて挑む、ネイにとって初めてのダンジョンだ。父をたしなめる母の声。豪快に笑う父の声。大きな二人のあいだでネイはおろおろと二人を交互に見ていた。

 ダンジョンにこの子を連れて来るなんて。もし連れて来るにしたって、最初はもっと行き慣れた簡単なダンジョンでよかったんじゃないか――そういうのが、母の主張だった。

 どうせ避けては通れないんだから、無駄足を踏むものじゃない――そういうのが、父の主張だった。


 ……おかしい。なにかが噛み合わない。父と母の会話は、会話のようでいて、会話ではないような気がした。今のネイならば気付くような、明言できない違和感がある。

 どうせ避けては通れない?

 レベル八十のダンジョンなんて、特別な理由がなければ行く必要がない場所のはずだ。たとえば金銭。たとえば名声。そして――たとえば、お宝。そのダンジョンでしか手に入らないなにかがない限り、挑む理由さえない場所、それがレベル八十のダンジョン。


 だというのに、避けては通れない?

 それはなにか――おかしくないだろうか?


 しかし母は引き下がった。

 危険なダンジョンにまだ幼い娘を連れて行くに足る理由を、父との会話で再認識したのかもしれない。いや、ゴネたり文句を言ったりしてはいたのかもしれない。でも、たしかに母と父と自分は一緒にダンジョンに挑んだのだという記憶が、ネイの中には存在した。


 挑んで。

 そして――



 ――ネイ。

 ――お前に昔話をしてやろう。



 昔話。

 忘れていたものを思い出す。捨て去っていた真実が、頭の中で組み上がっていく。



 ――呪いの話をしよう。

 ――我らが遠い始祖の、いや、教祖の話を。

 ――予言者カグヤの話を、してやろう。



 耳を押さえる。

 聞きたくない。

 でも――この声は、すでにネイの中にある声。

 過去のことを思い出しているにすぎない。


 声は続く。

 無意識に捨て去った、過去が、戻ってくる。



 ――予言者カグヤはその身に自分ではない化け物を宿していた。

 ――そして無念のうちに死んだカグヤは、同じ種族に呪いを遺した。

 ――それが『カグヤの呪い』と呼ばれるもので……



 声が遠のく。

 なにか大事なことを、言われている気がする。

 でも――判然としない。



 ――ネイ、記せ。

 ――己を忘れないよう、己のことを、記せ。

 ――自分がどんなヤツなのかわかるように、自分のことを、なにかに残せ。

 ――見失いようのない、強固な自分を、なにかに、心に、記せ。



 ネイは正面を見る。

 ダンジョンマスターの部屋にあった『ソレ』を見る。


 死体だ。

 とうに朽ち果てた、古い死体。


 二つの頭蓋骨。

 それだけで――ダンジョンマスターらしき姿は、ない。


 なぜダンジョンマスターがいないのか?

 誰かが倒したから?


 じゃあ、なぜモンスターはいたのか?

 ダンジョンマスターはあくまで創造主にしかすぎない。ダンジョンマスターを倒すということは、そのダンジョンのモンスター生成が終わるというだけだ。だから制覇したダンジョンはその後安全になる前に『掃討』という手順が必要になる。その手順はダンジョン制覇をギルドに伝えたら必ず行われるものだ。わかる。知っている。そんなことは知っている――


 じゃあ。

 なぜ、ダンジョンマスターを倒したという報告を、誰も――冒険者ギルドに、していないのだろう?


 ダンジョン制覇は金になる。報告しない理由がまったくない。

 それでも報告しない理由があったとすれば、それは――ダンジョンを制覇したという事実を、覚えていなかった、から。



 ――忘れるな。

 ――今のお前に言っても意味はないかもしれないが、いつか、思い出せ。

 ――それにしても、ここまで別物になるのは、珍しい。

 ――さすがだなネイ。さすが、俺の娘だ。



 記憶の中で男が笑う。

 ネイはダンジョンマスターの部屋に置かれた頭蓋骨を見る。


 二つの、頭骨。

 もちろん骨を見ただけで性別なんかわかるはずもないけれど――


 それは、男女のもので。

 それが、両親のものだと、ネイは知っている。


 覚えている。ここには巨大な土色の巨人がいて、そいつはとっても怖くって、一歩歩くごとに塔が崩れるかと思うような震動があって、近くで見上げるともう笑えちゃうほど絶望的な代物で、それでも果敢に挑む父と母を、こっそり影から応援していた。

 この部屋に両親の求めるものがあったみたいだ。それは金銭でもなく名声でもなく、大事な大事な宝物だった。そのために両親は危険を冒してこんなダンジョンに挑んだのだ。普通に普通の冒険者みたく安全なダンジョンに挑んでいればなんの危険もなく稼げる両親がわざわざ危険を冒したのだ。


 子連れで。

 子供を伴わなければならない理由はなんだ。避けて通れないと父は言った。誰にとって避けて通れないのだろうか。父にとってか、母にとってか、あるいは――


 娘にとって。

 ネイにとって――避けて通れないダンジョン、だったのだろうか?



 ――呪われた子。



 そんなフレーズをなにかで聞いた。

 それは自分に向けられたものだったのか。あるいは他のなにか、おとぎ話かなにかで用いられたワンフレーズだったのか。真相はわからない。記憶のかなたにはきっとあるのかもしれないけれど、そこまで探る余裕はない。



 ――それが、『カグヤの呪い』と呼ばれるもので……



 男の声が意識の表層へと浮上してくる。

 その男性は――たしか、次のように続ける。



 ――己の中に宿る、己ではないナニカが出て来て、体も心も造り替える。

 ――二重人格と呼ばれる、症状だ。



 ダンジョンマスターに殺されそうな両親がいた。

 だから――そうだ、助けてやると、誰かが言った。

 自分の中の、誰かが、言った。


 ネイは首飾りをギュッと握る。

 牙の首飾り。

 この装備の効果は。



 ――ようやく見つけたんだ。

 ――『カグヤの呪い』を押さえつけられるかもしれない、お宝。

 ――なんでも、『風鳴りの塔』にあるんだって。

 ――よかったなあ、ネイ。

 ――もうこれで、頭の中の声に怯えることは、なくなるかもしれないぞ。



「……あ、あああ」



 誰かが自分の体で声をあげる。

 ネイはやけに遠くから、その声を聞いていた。


 なにかを思い出しかける。

 崩れていくダンジョンマスター。

 舞い散る砂埃の中で、二つの動く影を見つける。

 その影は、片方が立ちふさがり、もう片方が逃げるように駆け出した。


 動くものは、敵だった。

 だって、みんなして、自分をおさえこもうとしてくるのだから。


 枷が解けたようで、体は軽かった。

 足の先から頭のてっぺんまで、ものすごい力がみなぎっていた。


 もう二度と――閉じこめられたくなかった。

 だから全部倒して逃げてやろうと、そう思った。


 影に襲いかかった。

 そいつは強くて、苦戦したけれど――


 なにか。

 なにかを、首に引っかけられそうになって。


 一人倒して。

 二人目を倒そうとしたところで、なにかを、首にひっかけられて、差し違えはしたけれど、また、狭苦しい、弱々しいのに抜けられない檻の中に閉じこめられて――



「あなたは、今の自分をおかしいと思いますか?」



 誰かの声。

 ネイは、振り返る。


 視線の先には、いつの間にそこにいたのか――男が、いて。

 ネイは、



「……違う、これは、ウチじゃない……」

「なるほど。調子がよろしくない様子ですね。ならば――」



 ――ロードしましょうか。

 その声とともに、青い閃光がはしって――

 ネイの意識は断絶した。

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