197話
まずは、言い訳を語らなければならないだろう。
責任があるとうそぶき、自分だけが真実を――誰しもに都市伝説と笑われ、相手にされないような、しかし危険な真実を知りながら、今まで行動を起こさなかった理由を、語らねばならない。
「今まで挑まなかった一番の理由は、ダンジョンの難易度です。ウチにとって『レベル八十』というのは、途方もない難易度でした」
普通の冒険者は、引退までレベル三十程度のダンジョンの『攻略』を稼業とする。
レベル八十のダンジョンは、特別な理由でもない限り、まず挑まない。
だって――死ぬから。
この当たり前すぎる事実は、二つの点でネイを『風鳴りの塔』から遠ざけていた。
「父が――ひいては『人がモンスターになる』という事実を、たぶん世界で唯一知っていて、信じているウチが、この危険を世間に認めさせる前に死ぬわけにはいきません。それに、レベル八十ですから、そもそも入る人が少ないだろうと思っていました。実際に、父が入ってからそのダンジョンに挑んだ人は皆無です」
自分が知る限り――という注釈は、もちろんつく。
ずっとダンジョン前で見張っていたわけではないのだから。
やることがあったのだ。
……責任を果たそうという努力はしていた。効果が本当にあるかはわからないけれどたしかに、していた。
「ウチはずっと、都市伝説を調べてきました」
与太話。
冗談にしか思えない、笑い飛ばされ、真剣に語れば正気を疑われるもの。
どれほど真実を叫んでも信用してもらえなかったネイは、自分が経験したのと同じような事例を探した。
そうして――見つけは、したのだが……
「都市伝説は、根も葉もないものが、数多くありました。調べていくうちに、ただの嘘だったものに、たくさん、出会いました。……悲しくなりましたよ。だって、ウチの経験した話が、そんなデタラメと同じように見られているんですから。これは、笑う。これは、信じたら正気を疑われる――そんなものに、たくさんたくさん、出会いました」
みんなどうして、意味のない嘘をつくのだろう?
デタラメばかりあふれているから、本当のことを言っている自分が、疑われる――
そんなふうに、正体のない『世間』という概念を恨んだこともあった。
もしも復讐を目標として掲げるならば、その対象はきっと、ダンジョンではなく、そういう嘘ばかりの世間になるのかもしれない。
ただ――ネイは社会とか世間とかを恨んだり、復讐を企てたりすることに、意味があるとは思えなかった。そんなことより大切だと思えることが、あった。
たぶんそれは、信じてもらえなかったからこそだ。
信じてもらえなかったから――信じさせなければと、思った。
「だからウチはみんなに都市伝説を理解してもらおうと思ったんです。必ずしもすべて嘘じゃない。本当のことだって、ある――やっていくうちに、信じられやすい真実と、信じられにくい真実があるっていうのが、なんとなくわかってきました」
たとえば、『あなたが明日にもモンスターに変貌してしまうかもしれない』というのは、信じられにくい真実だ。
しかし、『王家は聖剣を紛失している』というのは、信じられやすい真実――というより、信じてもいいかなと思ってもらいやすい、真実だ。
人は身近なことほど信じない。
自分が明日化け物になる可能性は一笑に付しても、王家が失敗をしたとか、貴族の醜聞とかは、そう否定的でもない――一定数なら、本気にしてくれる層も、存在する。
……だから、ずいぶん遠回りをせざるを得なかった。
長い道のりだった――などと振り返ることができるほど、まだ歩んでいない。
道半ばと言える段階までさえ、まだまだ、道半ばだ。
「『冒険者ネイの異界通信』は、だから身近な――いえ、身から遠いような、信じられやすい真実を扱っています。いつかこの記事をみんなが信じれば、きっとウチの経験した都市伝説みたいな真実だって、信じてもらえる日が来ると思うんです」
信じてもらうこと。
それが、ずっとネイの行ってきた活動だった。
「信じてもらえれば、レベル八十のダンジョンに行くパーティーだって組んでもらえるかもしれない。うまくすれば、国が『人のモンスター化』について調査してくれるかもしれない。どんな行動を起こすにせよまずは信用がないとなにもできない――それが、信じてもらえなかったウチの持論です。そしてそれが、一人でレベル八十のダンジョンに挑む力も、力を貸してくれる心当たりもなかった、ウチができた、唯一のダンジョン攻略でした」
ネイはそこまで一気に語り終えて、一息つく。
気付けば首飾りをギュッと握りしめ――握りしめすぎて、手のひらに深く食い込んでいた。少しだけ、痛い。
――コトン。
カウンターテーブルにジョッキが置かれた。
アレクが、飲み物をくれたのだ。
彼は今の話をどう思ったのか――ネイはジョッキを両手で持って口をつけながら、上目遣いに彼を見る。
アレクは笑っている。
馬鹿にされているのか、相手にされていないのか。
信じているのか、こちらの身の上を聞いて同情しているのか――彼の笑顔に、情報は一切ない。
「信じましょう」
変わらぬまま、彼は言った。
それはあんまりにもあっさり過ぎて、思わず聞き逃しかけるようなトーンだった。
「……本当に信じていただけるんですか?」
「信じてもらうことは、難しいですよね」
「は? は、はあ……まあ、はい」
「今ここで俺が『信じましょう』とただ言っても、あなたは、あなたを信じる俺を、信じないでしょう。今、確認したように」
「…………」
「ですから、俺があなたに『信じる』と申し上げた、嘘ではないが本当でもない理由を、申し上げましょう」
「はあ……」
「リップサービスです」
「はあああああああ!? い、いやそれ、『信じる』って言ってるだけってことになるじゃないですかっ!」
「だって、俺があなたに『信じる』と言わないデメリットがありませんから。『信じてくれるならお金をください』とも『信じてくれるなら代わりに風鳴りの塔を制覇してください』とも言われていませんからね。俺のやることは変わりません。『あなたに修行をさせ、風鳴りの塔を制覇させる』。だったら信じると言ってしまった方が、あなたに気持ちよく修行していただけるでしょう?」
「まあ、そんなことしなくたって、あの修行はある意味気持ちいいですけど……意識が遠のいて天にものぼる心地で……」
「恐縮です」
「褒めてはいませんけどねっ!」
「というわけで、信じます」
「それ信じてないやつですよ!」
「しかし、あなたを信じる本当の理由を、信じていただけるか、わかりませんし」
「信じますよ! ウチの話を信じていただけるなら、ウチもアレクさんの話を信じます!」
「本当に?」
「本当ですっ!」
「命懸けます?」
「……………………」
なんだろう。
子供がノリで言うような、それはよくある念押しの言葉なのに――彼が言うと、重みがまるで違うというか。
ある意味軽くて、ある意味、とても、重い。
でも――
「き、記者に二言はないです! 懸けます! 百でも千でも、命懸けますよ!」
「もうひと声」
「も、もうひと声っ!? 千回死んでも足らないんですか!?」
「……まあ、冗談です。レベル八十程度でしたら、千回も死ねば余裕かと思います。今までの経験から計算すれば、百回も死ねば充分でしょうかね。まあ、ダンジョンのリサーチは済んでいますが、あなたの適性をいつもの方法では見ていないので、明言は避けます」
「明言していただけないと、怖いのですがっ!」
「では、俺があなたを信じる本当の理由ですが……」
「急な話題転換はやめてください!」
「逸れていた話を戻しただけですよ。あなたを信じようと思ったことに、大した理由は、実際のところないんです。ただ、俺もその症状を知っているというだけの話で」
「……その症状を、知っている……知っているって、つまり……」
「人がモンスターになるという症状を、俺も知っています」
「じゃ、じゃあ! ウチの父以外にも、モンスター化した人がいるんですか!?」
「しかけている人、でしょうかねえ。まあしかし、あくまでも、人に言ったら一笑に付されるような話ではありますし、それさえもあなたの信頼を得るための方便かもしれませんし――」
彼はにこりと笑う。
そして。
「――信じるか信じないかは、あなた次第ですよ」
都市伝説そのもののように、述べた。




