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194話

 素手で殴れ。

 その言葉の意味がわからなかった。


 いや、わかっていたのだろう、本当は。

 一応ネイは記者で、記事を書くこと、すなわち文章を書くことを生業にしている――いや、生業と言えるほどの稼ぎはないまでも、将来的には記者一本で食べていくつもりだから、文脈を読み取るということは苦手でないという自負があった。


 しかしどれほど正しく接続詞を用いられようが、どれほどかみ砕いて説明されようが、またどれほど根気強く説かれようが理解できないセンテンスというものは存在するのだ。

 たとえば――


 ダンジョンでモンスターを狩りましょう。

 秒間六匹以上倒してください。

 そのペースで総計五百匹葬ってください。

 武器の使用は認めません。

 ご理解いただけましたでしょうか?


 理解ができない。いや、でも、これは理解できない自分が悪いのかも、とかネイはいちおう考えた。

 文章を書くことに熟達している者が必ずしも文章を読み解くことまで習熟しているわけではない――ましてネイはまだまだ自身が若輩の身であることを認識している。だからきっとどこかに読み違えがあるんじゃないかと、そのように己を疑ったのだ。


 ダンジョンでモンスターを狩りましょう――わかる。

 目的は『修行』と『修行の成果を試すこと』なのである――その両方を同時に達成する手段として、以前に挑んだことのあるダンジョンにもう一度挑むとは、正しい手段と言える。


 秒間六匹以上倒してください――これもまあ、わかる。

 実際、これから挑もうとしている『入門者の洞窟』は冒険者登録したての駆け出しが挑むような場所なのである。

 ネイは決してベテランとは言えないし、あるいは冒険者としては中堅にさえいたっていないのかもしれないが、少なくとも駆け出しではない。


 いくら記者が本分とはいえ、糊口をしのぐためにクエストに挑んだことは、十回や二十回ではないのだ。

 その多くが危険の少ない採集クエストだったとしたって、戦いの経験が皆無だったわけではない。


 今さら『入門者の洞窟』のモンスターなど、相手にもならないだろう。

 ましてアレクの手による修行は受けさせられたのだ。だからこそ、一秒に六匹以上。その程度もできなくてなにが『死なない宿屋の修行』か――そういう考え方も、できるだろう。


 となれば『秒間六匹以上倒すペースで五百匹倒せ』というのも、アリなのかもしれない。

 冒険というのは瞬発力だけあればいいというものではない。むしろ、冒険者の生死を分けるものは、一瞬一瞬の最大出力よりも、継続的に力を発揮する体力とも言えるだろう。

 死にそうになったら、人は、逃げる。

 そしてダンジョン内で死にそうな目に遭った場合、たいてい、死ぬ前にダンジョンの外に逃げ切れば無事が保証されるのだ。


 だから、ずっと同じような出力を継続して出すというのは理にかなっているように、ネイにも思えてきた。どんな時でも同じ力を発揮し続けられるというのは、地味だが、重要だ。

 なるほど『死なない宿屋』は『死んでも目標を叶える宿屋』とは違うのである。


 目標を叶えた冒険者に『その後』を用意する。

 そのために必須なのは継続戦闘能力なのだろう。つまりアレクはそこまで考えて『モンスターを倒し尽くせ』という無茶を述べたのだ。


 わかる。

 好意的に解釈すれば――ここまでは、わかる。


 だが、素手ってなんだ?

 なんで素手である必要がある?


 いや、まあ、その、これだって、好意的な解釈に基づけばわかるのだ。武器は、落とす場合がある。ダンジョン内で武器を落とした場合、己の手足でどうにかするしかない。

 そして多くの場合、モンスター相手に必要なのは『技』よりも『力』だ。つまり素手でモンスターを倒せる腕力で武器をふるえば、それはもう余裕で倒せるということであり、なんていうかこう――ちゃんと筋が通っているように、思うことは、できた。


 ならば――理解できたのか?

 そう問われると、答えは『否』だった。


 ここまで理解してなお理解ができない。

 だからネイは『入門者の洞窟』前で、修行の説明をするアレクにこう反論した。



「あの、順を追ってやるわけにはいかないんですか? 『秒間六匹倒しながら』『合計五百匹倒しながら』『素手で戦う』っていう三つを、段階を踏んで一つ一つやるわけには、いかないんでしょうか? いきなりいっぺんにって、それは、あまりにも無理難題なんじゃないでしょうか」



『入門者の洞窟』の前には様々な冒険者がいる。

 夕暮れ時である――多くは王都に帰って行く者たちだが、ダンジョン方向に進む者だって少なくはない。

 そしてダンジョンに挑む者は、思い思いの武装をしていた。


 当たり前だ。

 ダンジョンに挑むのに武装解除するような人は存在しない。

 しかし――



「無理難題ではありませんよ。達成された方が何人もいらっしゃいますし」



 どうにも達成した実例がいるらしい。

 現実にできてしまった人がいるならば、記者としてその存在を無視するわけにもいかないだろう――偏向的な観点で取材をしてはならないというように、ネイは己を戒めている。


 でも、もうちょっと難易度低くてもいいんじゃないだろうか?

 そう思うネイに先んじるように、アレクは語る。



「それに、俺は修行の終了条件を提示していますから」

「……どういう意味ですか?」

「俺の師匠――の一人は、こういうことをおっしゃっていました。『人から知識で教えられるよりも自分で考えて編み出した方が身につきやすい。それに考え方は人それぞれだ』と」

「まあ、そうかもしれないですけど……!」

「続けて、こうも言っていました。『だからボクは教育はしない。できるまでやらせる。それだけだ』――と」

「その人、師匠としての適性ないですよね!?」

「しかし俺はその教育で強くなることができました。なので、俺が教えられるのも、その方法だけです。まあ、俺も師匠に対しては『わかるかボケ』と思うことが少なくなかったので色々と改善はしています」

「…………改善されている気配が見えないのですが」

「今回の修業は『モンスターを秒間六匹、五百匹倒しきるまで素手で殴り続ける』というものですね」

「はい」

「これが師匠の場合ですと、『モンスターを秒間六匹、永遠に素手で殴り続ける』というものになります」

「……」

「今紹介した師匠の修行に、終了条件はありませんでした。師匠は亡くなりましたが、俺は未だに修行中です。なので、改善されているのは、おわかりいただけるかと」



 言葉が出なかった。

 なんだろう、『あなたのお宅、豪邸ですね!』と褒めたら『いえいえ、王城に比べれば小さいですよ』と言われたような気分だ。

 庶民からすればどっちもあんまり変わらない。



「まあ、それに、俺は一度に色々条件を言いましたが、全部を一緒にクリアする必要はありません」

「……どういうことですか?」

「やりやすいとご自身が思うものからやっていただければ、いいですよ。最終的に俺の言った条件をクリアしていただければ、それで修行は終わりですから」

「…………」

「修行において師匠役は目標を提示するだけで充分だというのが、俺の考えです――まあ、実際は他にも色々配慮してはいるのですが、修行者から見て、目標の提示しかしてないぞ、というような指示の出し方が一番だと、俺はそう思っているということですね。だって口うるさく言われると、つまらないでしょう? あなたには、あなたのやり方があるでしょうし」



 なるほど、それは――なんとなく、理解できる。

 理論的に理解できるのではなく、精神的に、理解できたような、気がする。


 ネイは初めて記事にできる――万民に理解してもらえる言葉を聞いたように思った。

 アレクは優しく微笑み、続ける。



「なので、あなたは提示された目標の中で、あなたなりの達成方法を見つけてください。同じ目標でも、やり方は人によって実に様々でした。他の方がとったやり方は伏せますが――常に全速力でダンジョン内を駆け回り、モンスターを全力で殴り続けるという、馬鹿正直すぎて誰もやらない正攻法でこの修行をクリアした方は、一人しかいなかったとだけ言っておきます」

「……なるほど。つまり――言われたこと以外は、なにをしてもいいんですね」

「もちろんです。『素手で』『モンスターを一瞬でも全滅させる』――言ってしまえば、この修行はこれだけで終わりですから」

「……なるほど。なんとなく希望が見えてきた気がしますっ! なんとなくですけど……」

「そうですか。それはよかった。では――挑みますか?」

「はい!」

「俺は、終わるまでここで待っていますから」

「は、はい!」

「あなたでしたら五日以内には出てくることができるでしょう」

「はい! ………………えっと、一ついいでしょうか?」

「なんでしょう?」

「お食事とかは?」

「ああ、なるほど」



 アレクは微笑んでいた。

 なんで笑っているのかはわからないが――彼は、言う。



「俺の師匠――先ほど紹介した師匠と違う師匠は、このような修行形態をとっていました」

「……」

「『腹減ったとか眠いとか言える余裕があるうちは、修行じゃない』」

「………………」

「そういう理由で、俺は修行中、食事と睡眠をとらせてもらえませんでした。とろうとすれば妨害が入りました。しかし――これは少し違うと、俺は考えたわけです」

「そ、そうですよね!」

「はい。修行をしているのに、師匠から妨害が入っては、修行に集中できません」

「そうです! その通りです!」

「なので、修業自体を食事とか睡眠とか言っている場合じゃないものにして、『師匠からの妨害』という集中力をいたずらに乱す要素を撤廃してみたのです」

「……そうじゃない! 改善の方向、そうじゃないと思うのですがっ!」

「しかし、腹減ったとか眠いとか言える余裕があるうちは修行じゃないというのは、真実ですよね?」

「……いや、その、修行ですよ! 修行じゃないですかね!?」

「いいえ、修行じゃ、ないです」

「そうかなあ!? 本当にそう思います!?」

「本当にそう思います。――やはり修行は必死でなければならない。死ぬほどやらなければ、いつかきたる本番で、死んでしまう」

「死ぬほどじゃなくて、死んじゃうと思いますよ! 不眠不休で五日間もモンスターを殴り続けるとか、途中で疲労のあまり死ぬ自分が容易に想像できるのですがっ!」

「そこで『セーブ』ですよ」

「…………」



 なんだろうこの、なにを言っても先回りされている感じ。

 打つ手打つ手が丁寧に一つずつつぶされ、逃げ場のないどんづまりに追い込まれているようなこの閉塞感……!


 もうあきらめるしかないのか?

 でも、ここであきらめたら、もうあとは『助けて』とか『帰して』とか『やだ』とか感情に訴えるしかなくなってしまう……!


 そして、そういう手段はこの人に通じないと、ネイはなんとなく知っていた。

 この手の、言ってることは正しいのにまったくもって正しくない人を言い含めようと思ったら理論的に正しいことを言うしかなく、感情に訴えた時点で敗北を認めるも同然なのである。


 だからネイは反論を考えるのだが――

 特に、思いつかなかった。


 普通は『死ぬじゃないですか!』『そうですね。危ないですね。やめましょう』となる。

 しかし『死ぬじゃないですか!』に『大丈夫、セーブがあります』と言われるともうなにも言えない。


 セーブはないです、とも言えない。

 だって、あるし……

 いや、倫理的には『ないわ……』という感じなのだけれど……


 ネイの沈黙をどう思ったのか、あるいはどうとも思っていないのか――

 アレクの笑顔からは、彼の内心がまったく読み取れない。



「ご安心を、きちんと、修行をクリアしたくなるような、あなたのモチベーションとなりうるようなものも、考えてあります」

「あの、『じゃあ死んでもいっかー』ってなるようなモチベーションになるって、相当だと思うのですがっ!」

「大丈夫です、ご安心を。俺の師匠の一人――先ほどの二人とは別の、最後の一人はおっしゃいました。『修行で大事なのは目的意識だ』と」

「ま、まあ、そうですけどっ……! 命を懸けるほどの目的意識って、そんな、他人が簡単に示せるようなものじゃないと思います!」

「修行をクリアできたら、あなたの記事を正式に冒険者ギルドで掲載できるようはからいましょう」

「なんですと!?」



 それは――

 それはたしかに、破格のご褒美だった。


 もちろん『死んでもいい』と言えるほどでもない。

 でも、『何回かなら死んでもいい』とは思えるようなことでは、ある。


 けれどネイにも記者としてのプライドみたいなものがあってこんなことで掲載許可を得るのは邪道っていうか可能なら実力で認めさせてやるぜーみたいなモチベーションがあったりもして理想はギルドの方から『この記事は素晴らしい! 是非うちで掲載させてくれ!』と言われることだったりもして――



「……わかりました! やります!」



 ――まあ、理想はあくまでも理想で。

『こうなったら最高に素敵だよねー』ぐらいのものでしかなくって。

 世の中の誰もが理想通りに行動できているわけじゃないことぐらい、うん、ネイ知ってるよ。



「では修行兼修行の成果試し、がんばってください。――大丈夫、必ず成長を実感していただけますよ」



 アレクは笑う。

 ネイも笑う。


 こうして、ここにWIN-WINの取り引きは完了した。

 この取り引きを後悔するのは、五日が経ったあと――

 アレクの予言した、ネイの修行終了日のこととなる。

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