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188話

「は? 気に入るわけねえだろ。バッカじゃねえの?」



 顎のがっしりした、しかし細身の、そういう人だったはずです。

 残念ながらその人の姿はもう記憶にありませんが――


 お姫様のさらわれた夜。

 王都南西部のスラム街の建物の中で、私たちはそんな会話をしました。


 私たち、というか。

 アンダーソンと、アレクが、です。


 もちろん、そばには私たちもいました。

 でもアンダーソンは私を見なかったはずですし――

 私も、アンダーソンの方を見ることは、最後までありませんでした。


 というのも、私はアレクとアンダーソンの会話を、屋根の上で聞いていただけなのです。

 これにはもちろん理由がありました。

 ヘンリエッタさんに止められたのです。



『きっとひどいことになる。世の中には絶対に味方になってくれない人っていうのがいて、そういう人との話なんて、綺麗にまとまるはずがないから。子供に見せるには忍びないほど、ぐちゃぐちゃになる』



 そう言ったヘンリエッタさんは、アレクの隣にいたと思います。

 見ていないので詳しい立ち位置まではわかりませんが、少なくとも、アレクと一緒に、アンダーソンのいる建物に入って行きました。


 なぜか、仮面をつけて。

 ヘンリエッタさんは、仕事の時、いつも木製ののっぺりした仮面で顔を隠しているようでした。


 アンダーソンはなおも語り続けます。

 その声にはうらみがましさがありました。



「俺はそもそも、オマエが入った時から、オマエのことが嫌いだったね。『はいいろ』さんもどうしてお前なんかに目をかけたんだ? ただの捨てられた貴族のガキじゃねーか。さっさと殺しちまえばよかったんだよ。なんなら俺が殺したってよかった」



 どうやら、屋内にはかなりの人数がいるようです。

 アンダーソンはたしか実力者ではありましたから、『はいいろ』の死に際してクランを抜けた何名かは、アンダーソンのもとに集まったのでしょう。


 それにしては多い――と思った記憶があります。

 三十名近くいたでしょう。

 アンダーソンはアンダーソンで、組織を作り、拡大していたのかもしれません。



「和解はできないのか?」



 これは、アレクの声でした。

 おずおずした申し出は、どこか自信なさげに震えていました。


 聞く者によっては、怖がっているようにも聞こえたでしょう。

 実際、アンダーソンはそのように判断したようで、彼の声は、増長したように大きく、高くなりました。



「和解? オマエ今、和解って言ったの? ……あのなあ、俺は、オマエのことが嫌いだって言ったろ? 殺したいほど、目障りだったんだよ。そして今は『はいいろ』さんはいねえし、そっちは二人、こっちは二十人いる。それで和解っていうのは、ちょっと頭がおかしいんじゃねえか?」



 低い笑い声が広がっていきました。

 二十人と自分で言っておきながら、伏せているらしいプラス十名まで笑ってしまっているのが、気配がわかる身からはなんとなく滑稽でしたが……

 アレクの声は押し殺したようなものになります。



「アンダーソン、だったか」

「……『だったか』ってなんだ。俺は、『輝く灰色の狐団』のナンバー四だぞ」

「悪いが、おっさんがメンバーに序列をつけてたなんて話は聞いたことがない」

「…………おい、状況わかってんのか?」

「あんたこそ、状況わかってんのか?」

「はあ?」

「憲兵とか近衛兵が、あんたを捜してる。――っていうか、もう取り囲んでる。俺たちは警備網の密度が高い方向を目指して、ここにたどりついたんだ。あんたを憲兵たちより先に発見できたのは、偶然にすぎない」

「だから?」

「……捕まるぞ、あんた。いや、殺されるかもしれない」

「俺がそんなヘマをすると?」

「取り囲まれてる時点でヘマはしてるだろ。……なんでお姫様誘拐なんて無茶を……」

「無茶じゃねえ! 成功してるだろうが!」

「……無茶じゃなくたって、そんなことをしてどうするんだよ」

「俺が正式な二代目『輝く灰色の狐団』クランマスターだ。『はいいろ』さんも歳のせいか、見誤った。だから、誰が見たってわかるように、成果を挙げてやったまでさ」

「このあとはどうする?」

「抜かりはねえよ。そこで震えてるお姫様を人質にして、街を出て、西に行く」

「西へ行って、どうするんだ?」

「……オマエにゃ関係ねえだろ」

「どんなプランがあるにしたって、無茶は、無茶だ。……なあ和解してくれよ。そうしたら、あんたが厳しい罰を受けないように、俺もがんばるから」

「がんばる? 高官に知り合いでもいんのか?」

「それは……」

「ありもしねえエサちらつかせたって、食いつきやしねえよ。俺は、オマエみたいにバカじゃねえからな」

「……もともと、あんたも俺も、おっさんのところで世話になった仲間だろ?」

「貴族生まれはお気楽だねえ。……いいか、聞け。俺は――オマエのことが嫌いだ」



 空気の質が変わったのが、わかりました。

 緊張感が、ビリビリと、私のいる場所にまで伝わってきます。



「才能があっても認めねえ。実力があっても屈しねえ。どんな得があろうと、どんな損があろうと、俺はオマエを嫌い続ける。誰と和解することはあっても、オマエと和解することだけは絶対にねえ」

「……なんで、そんなに俺を嫌うんだ?」

「ひと目見た時から気に入らなかった。そいつが『はいいろ』さんに目をかけられて、瞬きのあいだに鍛え上げられて、気付いた時には『二代目』だ。気に入るわけがあるかよ」

「二代目が欲しいなら、やる。だからむやみに命を捨てるような無茶は……」



 その瞬間に感じた、凍り付くような寒気をよく覚えています。

 それは人の怒りがもたらす空気の変化でした。



「ふざけんなよ」

「……ふざけては……」

「なあオマエ、人に見えないもんが見えるんだってな」

「……ステータス、か?」

「そうだ。でも、オマエは、人に見えるもんが、見えてねえ。人が当たり前に感じることを、感じられてねえ」

「……それは、なんだ?」

「教えるかよバーカ。一生見えずに、一生苦しめ。見えない限り、オマエは独りだ」

「……」

「もういい。オマエと話してもムカつくだけだ。そろそろ死――」



 アンダーソンの言葉が、途中で止まりました。

 それは、急に女性の笑い声が響いたからです。



「あっはっはっは。おーもしーろーい」



 ヘンリエッタさんの声でした。

 彼女の、その場に似つかわしくない笑い声は、どこか異様な響きを伴っていました。



「『そろそろ死ね』って? まだ早くない?」

「……なんだオマエは。アレクの女か?」

「そうそう。そんな感じ。んでもって、アレクちゃんの仲間だよ」

「……」

「あなたの言った言葉は全部、あたしがアレクちゃんの隣にいるだけで破綻してるの。そんな子供みたいなこと言うより、有益な話をしない?」

「……?」

「ようするにアレクちゃん、今大変なんだよ。『銀の狐団』もさあ、子供が多いのは知ってるよね? だから、自分が稼がないと子供たちが路頭に迷うって、がんばってるわけよ」

「……それがなんだ」

「だからさ、クランに戻って一緒に稼いであげたりしない? 約束してくれるなら、あたしから色んな人に話を通してあげてもいいよ? アレクちゃんと違って、あたしは顔が広いからねえ」

「言ったろ、俺はそいつが嫌いだ」

「嫌いか好きかなんて、些細な問題だよ。嫌いでも好きでも、かかわらなきゃいけない人はいる。それに――嫌いと思ってた人も、時間が経ってみたら案外大好きになれるかもよ?」

「……」

「それとも、あなたの『嫌い』っていう気持ちは、命を懸けてまで突き通すものなの?」

「……はあ」



 アンダーソンの、それは聞こえよがしなほど大きなため息でした。

 彼はその後、はっきりと言います。



「どうにも頭がおかしい二人組みてえだから、あらためて、ハッキリ言ってやる。――そいつと和解するぐらいなら、死んだ方がマシだ。いや、殺した方が、マシだ」

「そっか。じゃあ殺し合いだね」

「この人数差で殺し合いになるかよ。――遊んでやる。死にたいって言うまで、テメェらの尊厳を踏みにじる」

「お、ようやくやる気になったね? でも、いいこと教えてあげる」

「……言葉を聞いてやるのは、これで最後だ。遺言を言え」

「よくね、気に入る気に入らないとか、正しい正しくないとか、そういうことがさも大事なように語られるけどさあ――」



 笑うような声。

 歌うように、気楽に、彼女が語った『最後の言葉』は――



「――けっきょく、強くないと生き残れないから、弱いと全部意味ないよね」

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