179話
「うー……あー!」
捕まった先――
そんなように唸る生き物と、同室させられました。
場所は――どこなのか、この時点ではわかりませんでした。
のちに冒険者ギルドの一室だったと判明します。
そこは古びた木で補強された部屋でした。
人が座れるぐらい大きな木製コンテナや掃除道具、書類などが乱雑に置かれています。
たぶん倉庫なのでしょう。
中から扉を開けることはできませんでした。
手荒なまねをすれば破壊はできそうでしたが……
再び拘束され、もっと厳重な場所に閉じ込められる未来が見えたので、やりませんでした。
私とアレクは、部屋の端、わずかなスペースに向かい合って座っています。
そしてアレクの顔面には唸る生き物がはりついていました。
それは四足歩行のような、もっと数え切れないほどの手足で歩行しているような、はなはだ不思議な生物でした。
大きさは大人の頭部より少し大きいぐらいで、四肢と頭が存在します。
簡単に言うと――赤ん坊でした。
褐色肌と真っ白な髪が特徴的です。
「おいヨミ! この子すっごい、俺の鼻を吸ってくるんだけど!?」
毛の中で、アレクは困り果てていました。
下手に触ると傷つけそうで、無理矢理ひっぺがすわけにもいかなかったのでしょう。
非常に苦しそうでした。
その赤ん坊は、手足だけではなく、自在に動くらしい髪の毛まで使って、アレクにべったりとくっついているのです。
「うー!」
「うーじゃねーよ!」
「あー……うー……う……う……」
「い、いや、怒ってるわけじゃなくて……怒ってないけど目玉はやめろ!」
あの髪の毛の中ではいったいなにが行なわれていたのでしょうか?
私にはわかりません。
ただ、アレクは、というかアレクの目はやたらと赤ん坊に狙われる傾向があります。
ノワとブランもよくアレクの目を狙っていました。
私たちが状況に困惑していると――
ガチャリ、という音を立てて、部屋の扉が開きました。
差しこむ明かりに、私は目を細めます。
逆光でシルエットだけになった人物が、陽気に声を発します。
「うわ! すごい! 怪物だ! 顔が毛玉!」
その人はアレクを――赤ん坊に顔に張り付かれたアレクを指さして笑いました。
光に目が慣れます。
見えたのは、胸元が開いたドレスのような服を着た、白髪の女性でした。
ただ、仮面も杖もありません。
そのお陰で、左右で色の違う瞳が見えました。
「おいあんた! さっきの魔法使いか!? 笑ってないで俺の顔のコレどうにかしてくれよ!」
アレクが必死に叫びます。
女性はゲラゲラ笑いました。
「怪物がしゃべった! 毛なのに! 頭が全部毛なのに!」
「俺の毛じゃねーよ! この……この……なんだこの子は!?」
「あー、それ? あたしの娘。ホーちゃんです! 獣人の子の方にはあたしの子供見せてあげるって言ったし。……ほら、ホー、そんなところで怪物の頭部やってないでこっちおいで」
パンパン、と手を叩きます。
すると、アレクの頭にからみついていた赤ん坊は、しゅるりと髪をほどき、魔族の女性のもとまでハイハイしていきました。
その『ハイハイ』は手足だけでなく髪の毛まで使ったものなので、ちょっと無気味でした。
女性はしゃがみこんで赤ん坊を迎え入れます。
そして、抱きあげると、
「いやーごめんね狭いとこ閉じ込めちゃって。じゃ、これから事情聴取するから。でもほら、かたちだけ、かたちだけね?」
ごめん、と言いつつまったく申し訳なさそうな様子もありません。
仮面があろうがなかろうが、始終変わらず陽気な人でした。
容姿は――快活な美人、というのでしょうか。
男性なら見とれても仕方ないような容姿だったと、思います。
実際、アレクは真っ直ぐにその女性のことを見ていました。
ただし『美人だから見とれていた』というわけではないようでした。
「なあ、あんた、名前は?」
「ホーちゃんだってば」
「違う。赤ん坊じゃなくて、あんたの名前だ」
「あたし? ヘンリエッタっていうの。ヘンリエッタお姉さん。……お姉さん!? お姉さんいいね! あたしの名前はお姉さんでいこうか!?」
「……本当に酒は入ってないのか?」
「それすっごいよく言われるけど、あたし一滴も飲めないよ?」
「……まあ、うん。そんなことはどうでもよくて、その……頼みがあるんだけど」
「『頼みがあるんだけど、お姉さん』?」
「いやなんか余計なのが足されてるんだけど」
「『頼みがあるんだけど、お姉さん』?」
「いや……」
「『頼みがあるんだけど、お姉さん』?」
「……頼みがあるんだけど、お姉さん」
「お姉さんに頼みが!?」
「……もうお姉さんでいいから、頼みがあるんだ」
「やった。あたし弟とか妹とかほしかったのよねー。でもどうしよっかなー? 頼まれるの? じゃあなんか買って? 家とか?」
「交換条件重すぎない?」
「まあまあ、頼みの種類によって買ってもらうもの決めようか。それでいいね」
「なにか買うのは確定なのか……」
「だって事情聴取で手心加えてほしいからあたしを買収しようとしてるんでしょ?」
「……ああ、そうか。そういうのも考えるべきだったな……」
「ありゃ、違うの?」
「それはあとで考えるとして――俺が頼みたいのは、魔法の使い方を教えてほしいっていうことだ」
「へえ?」
ヘンリエッタさんの口元は笑ったままでした。
でも、アレクへの視線に、今までなかったものが加わった気がします。
興味、でしょうか。
ヘンリエッタさんは、それまで陽気で、笑っていて、でもまったくアレクのことを見ていないような感じだったのです。
陽気そう、であって、本当は陽気ではない、というか。
どこか演技めいた陽気さだったように、当時の私には、見えました。
だから、アレクの言葉で、ようやく本当のヘンリエッタさんが少しだけ顔をのぞかせたような、そんな気がしました。
「魔法の使い方っていうのは――ようするに、『無詠唱』と『複数同時発動』かな?」
「ああ。そんな使い方をしてるやつは見たことがない。俺の師匠も、魔法はあんまり教えてくれなかった。あんたの技術を是非覚えたい」
「なんで?」
「スキルはめいっぱい、ステータスはカンストまで。そこまで万全じゃないと――きっと、みんなを守れないから。……突然放り出されて、世の中はわかんないことだらけだ。だからなにがあっても対応できるぐらい完璧じゃないといけないんだ」
「……ふーん。あ、待って」
「どうした?」
「ホーがあたしのおっぱいすごく触ってくるから、お腹空いたんだと思う」
「…………」
「この子あんまり泣かないのよねー。その代わりほしいものは全力で触ってくるのよ。あたしドライアドじゃないしもう出ないのにねー。あ、そうそう! こないだなんか人がいっぱいいる前でおっぱい丸出しにされそうになって――」
「そういう話は……」
「ありゃ? ……あ、ふーん」
「なにを察した」
「ううん。なんでも? ま、とにかくホーにご飯あげないとだから、その話はあとでいい? ギルドマスターが部屋で待ってるから、行こっか」
「……わかった」
アレクはうつむき加減で立ち上がりました。
私も一緒に立って、アレクにぴったりくっついた――ような気がします。
自分の立ち位置よりも強く記憶に残っているものがありました。
それは、視線です。
ヘンリエッタさんの、どこか勝ち誇ったような――そんな気が彼女にあったのか、またなにに対して勝ち誇ったのか不明ですが、なんとなく勝ち誇ったような、私にはそう感じられる視線。
それがやけに気になって、私はヘンリエッタさんをにらみ返した――と、思います。
彼女に変化はありませんでした。
だから、私の記憶の中で、ヘンリエッタさんはいつでも、楽しげに、悠然と、笑って私を見下ろしています。