178話
たぶん人生で最大の敵の話。
その人は色んな意味で強敵でした。
アレクと私をもっとも長く監視した人で――
それから、アレクに一番好かれた女性だったような、気がします。
だから私の人生最大の敵です。
以前に書いた回想録によると、私たちは『輝く灰色の狐団』から『銀の狐団』にクラン名を改めたあと、王都に向かったようです。
その理由について詳細なところははぶきますが、名実ともに犯罪者クランではなくなったので、私たちは大手を振って明るいところに出られると気楽に構えていたのでしょう。
実際、父の亡くなったクランに残った多くは『まだなにもしていない人たち』だったように思います。
ようするに、罪もない代わりに、なんの力も経験もない子供ばかりでした。
今ならばわかるのですが、『ある程度名が知られつつ、手出しがされない状態』というのを維持するのは大変なことです。
子供などの情報操作の経験がないような人には特に。
だから、むやみに目立ってしまったのでしょう。
私たちが『その人』に呼び止められたのは、王都にきてほんの数日後、ダンジョン帰りの夕暮れ時でした。
「『輝く灰色の狐団』二代目クランマスターでしょ?」
王都北西部のゴーストタウンでした。
無人の建物に囲まれた死角みたいな場所で、狭い路地の向こうにその人は立ちはだかっていたと記憶しています。
今でも詳細に思い出せるぐらい奇妙な風体でした。
ドレスと仮面。
その人は胸元の大きく開いたドレスを着て、顔を仮面で隠していました。
仮面は木を削りだして作ったようなもので装飾などは特になかったはずです。
手には大きな杖を持っていました。
魔術師なのだろう、とこの時点ではそれぐらいしか判断できません。
あとわかったのは人種でしょうか。
真っ白い髪と真っ白い肌は、きっと魔族なんだろうな、程度の情報をもたらしました。
その時、私はアレクと二人きりでした。
当時、王都に着いていきなり二つほどダンジョンを制覇していたと思います。
クランメンバーを養う資金稼ぎに必死だったわけですが、今思えば迂闊な行動でした。
もっと目立たない活動をしていれば、あるいはその後の展開ももう少し変わっていたかもしれません。
「……あんたは?」
アレクは私をかばうように前に出ました。
そして、突然現れた、おそらく魔族の女性に語りかけます。
かなり警戒していたように見えました。
それはそうでしょう。
だって、その女の人は本当に『いきなり』現れたのです。
『狐』式の修行で気配察知能力もかなりあがっていたのに、まったく感知ができませんでしたから。
油断ならない人――
だというのに、その人は、まったく気楽な声で話を続けました。
「いやさあ、最近ご活躍しすぎじゃない? 三日でダンジョン制覇を二つとか、それ普通じゃないよ?」
「……普通じゃないから、なんなんだ」
「疑わしいっていうこと。虚偽申告とか、書類の改竄とか、そういう疑いがかけられてるんだよねえ。……あはは。ってなわけで、ちょっとあなたたちのクランの近況と、ダンジョン制覇の真偽についてお話をうかがいたいんだけど、いいかな?」
アレクは不満そうでした。
今思えば素直に従ってもよかったように思います。
でも、当時のアレクは『ある罪ない罪着せられてひどいことされるかもしれない』と思っていたようです。
クランメンバーを養っているという責任感もあったのでしょう。
今ここで捕まってはいけないという想いが強かったのだと思います。
だから、
「断る。そもそも、あんた何者だ?」
「冒険者ギルドマスターの――直属の者、かな?」
「……冒険者ギルドなんていう公的機関のやつが、仮面で顔を隠して、人通りのない裏路地で待ち伏せするのか?」
「そこ突っこむ? 一応、そっちのために、目立たないよう気を遣ったんだよ? ま、こっちの事情もあるけど。大人しくついて来てくれたら手荒なまねをしないで済むんだけど、どうする? 抵抗する? しない? どーっちだ?」
「ふざけてんのか? それとも酔っ払ってるのか?」
「いやいや、正気だよ。正気なんだけど、なんかみんな、あたしを正気じゃない扱いしたがるんだよね? なんで?」
「知るか」
「んー……あっ、そうそう。で、出頭の意思は?」
「断る。あんたが信用できない」
「そっか。じゃ、無理矢理ってことで」
楽しげに言って、女性は杖の先をこちらに向けました。
魔法が来る――と判断した時には、すでに放たれたあとでした。
詠唱がなかったのです。
今でこそアレクは当たり前のように『無詠唱』『複数同時』で魔法を使っていますが、普通は詠唱や予備動作などがあり、一度に使える魔法は一つまでです。
先代『はいいろ』のころの『輝く灰色の狐団』に魔法を教えてくれる人がいなかったこともあり、私たちは『普通の魔法』以外のものに、慣れていなかったのです。
だから、放たれた熱線に、アレクは対応しましたが……
しかしそれは『打ち消す』とか『障壁を展開する』というものではありません。
剣で受ける。
そういう物理的なものでしかありませんでした。
そして、女性が放った赤い熱線を剣で受けて、アレクはおどろいた顔をしていました。
「……重っ!?」
「あっはははははは! 『重っ!?』って! 『重っ!?』って!」
「なにがおかしい!?」
「いやいや、普通、魔法を剣で受け止めないから! 特にあたしの魔法を『重っ!?』とか言う余裕ないから! いやあ、すごいねえ。剣自体もだけど、その反応速度も! 三日でダンジョン二つ制覇っていうのも、あながち間違いじゃないかもしれない、かも?」
「間違いじゃないって思ったんなら、見逃せよ!」
「いやあ、あたしもねえ、仕事で。引き下がるわけにはいかないのです! はいそういうわけでどんどんいきますよー」
女性は終始楽しげでした。
しかし攻撃に容赦はありません。
その人は、熱線でアレクの行動を拘束しながら、石のつぶてを飛ばしてきました。
熱線もそうですが、石のつぶても、魔法です。
しかも、また無詠唱、おまけに複数同時発動。
まだ魔法にかんして素人だったアレクは、そんなことができる人類が存在するとは思っていなかったので、彼にしては珍しくたいそうおどろいていました。
一方で、こうも漏らしていました。
「……ステータス的には俺の方が強いのに、なんでこんなに押されるんだ」
不思議そうな声だったのをよく覚えています。
このころから、アレクは『疑問』を放置できない性格だったような気がします。
それでも、アレクは対応しました。
剣で熱線を打ち払い、そのまま石のつぶてにも対応します。
「おーすごいすごい。だいたいみんな、無詠唱魔法におどろいてこんがりしてくれるんだけどねえ。攻撃を二回もしのがれるの、なかなかないよ?」
「『こんがり』って殺す気かよ!」
「あーいやいや、その、ね? ……ま、気にしない気にしない! 生きてるし! 生きてるって素晴らしいねえ!」
「ふざけたやつめ……!」
「んー、一撃で決まらないことないし、一回の戦闘で二つ以上魔法使うのは初めてかも? こっからどうしよっかなあ……」
「あきらめてくれよ、頼むから……!」
「いやあ、それはできないよ。――ママも見てるし」
その時ぞくりと背筋を駆け抜けた寒気を、未だに覚えています。
私と――たぶんアレクも、正面にいる女性のことを忘れて、背後を振り返りました。
それは『ママ』と呼ばれるにはあまりに幼く見える少女でした。
褐色肌に、緑色の髪の女の子。
口ではパイプをふかしていて、ぷかりぷかりと紫色の煙が出ています。
気付けなかったのです。
そんな、なにげなく、パイプをふかしながら背後に立つ、その少女に。
少女は緑色の、量の多い髪をざわざわと動かしながら言います。
それは容姿に見合わない、老婆のようなしゃがれ声でした。
「おう、苦労してるみてえだな。手伝うか?」
乱暴な口調は、やけに重く耳朶を打ちます。
その声を聞いたとたん、アレクがパイプをふかす少女の側に一歩出て、私にだけ聞こえる声で言いました。
「ヨミ、逃げろ。あいつはヤバイ」
やばい。
アレクがそのような表現を人に対して使うことは、今までありませんでした。
いえ、あったとすると、先代『はいいろ』、『狐』、『輝き』にだけでしょうか。
ようするにアレクの師匠たちと同格かそれ以上だと、アレクは褐色肌の少女を格付けしたというわけです。
しかし前を白髪の女性に、背後を緑髪の少女に挟まれては、どこに『逃げる』こともできません。
動けないまま――
女性と少女の会話を聞きます。
「ママー! 聞いてよ! あの男の子、あたしの魔法、剣で受けるの! ありえなくない!?」
「……ガキみてーな口ぶりやめろよ。ちったあ落ち着きやがれ。もう母親だろうが」
「ひどーい!」
「ひどくねーよ。……まあ、ダンジョン制覇が本当なら、そんぐらいの力はあんだろ。だからお前を行かせたわけだしな」
「なんだかんだ言いながらあたしを信じてくれてるママ、大好きだよ!」
「……うるせーよ。とにかく一人引き受ける。どっちがいい?」
「あたし、その男の子苦手かも」
「わかった。男の方はあたしがやる。……あくまで『拘束』が目的だぞ。加減しろよ」
「……」
「おい、答えろ」
「あははは」
「笑って誤魔化すな。……ったく、お前が相手しようって獣人は、見た感じまだガキだぞ。本当に大丈夫か?」
「大丈夫。男の子より弱そうだし」
「…………やれやれ。強そうって見立てたヤツを親に任すのか。年寄りを労れよ」
それで、会話は終わったようでした。
仮面の女性が杖を上に掲げます。
すると、私とアレクのあいだに、裏路地を斜めに区切るように、石の壁が出現しました。
分断されたのです。
それは敵対している私たちが感嘆するほど、鮮やかな手並みでした。
「降参してくれるかな?」
女性が問いかけます。
私はたしか――こう答えました。
「アレクが降参しないから、しない」
「……ふぅん。忠誠? 信頼? それとも――あ、惰性かな?」
「…………」
「おやおや、無口な子だね! それに無表情だ! 子供はもっと素直な方がかわいいよ? うちの子見る? すごい素直だよ? まだ赤ん坊だけど」
「……」
「本当に無口だねえ。ま、いいや。仕事を済ませましょ。抵抗しないでくれると嬉しいかも? 抵抗されたら――手加減はがんばるけど、死んだらごめんね?」
仮面の女性は、どこまでも陽気でした。
最後まで。
けっきょくまともに触れることもかなわないまま、朗らかに、私を叩きのめしました。