174話
地下にある『部屋』は綺麗に燃えていた。
『綺麗に燃える』という表現にはやや違和感があるものの、テオドラからすればそうとしか判断できない状況だった。
なにもない。
参拝のための偶像が、溶けてかたちを失っている。
聖典が燃えかすとなって宙に舞う。
激しい炎上を連想させる。
地上にある木製の倉庫からは想像もつかないほどだった。
火元は、こちらなのだ。
外部ではなく、内部から燃やされたのだ。
……事前に仲間から知らされていなければ疑ったかどうかわからない。
けれど、事前情報のせいで、次々と見たくない事実が見えてくる。
思い出の詰まった立方体の空間は、灰と燃えがらにまみれていた。
その中央に立ちテオドラは養父を見る。
彼は部屋に入った一瞬、呆然とした。
そして、なにかにとりつかれたように、部屋の中を探しまわりはじめた。
あられもない、慌てよう。
けれど、普段の養父は、落ち着きがあり、穏やかで、美しく若々しい魔族の男性だ。
……しかし、出会った当初と比べると、やはり年齢を重ねているのがよくわかる。
彼のもとで成長した。
彼の下で、時間を重ねた。
こみあげるものがある。
でも、テオドラはこらえて、たずねた。
「なぜ、このようなことをなさったのですか?」
その問いかけはしかし、養父の耳にはとどいていない様子だった。
彼はひどく狼狽し、部屋を見回している。
慌ただしく周囲に目を配り、礼拝のための台をひっくり返し、バタバタとかけずり回る。
そして、叫んだ。
「なぜだ!? ない!? どこにもない!?」
「……どうされました、養父さま」
「…………ああ、いや…………」
養父は気まずそうに視線を泳がせる。
テオドラは、静かな表情で口を開いた。
「死体がなくておどろいていらっしゃるのですか?」
「!?」
「……やはり、この火事は、養父さまがやられたのですか」
もう心に波風は立たなかった。
ただ、むなしさがあった。
それと、疑問。
だからテオドラは、心の求めるまま、穏やかに問いかける。
「なぜ、このようなことを?」
「……死体がないということは事前情報があって、全員逃れたということ、か。……そっちこそ、どうやってかぎつけたのかな? この計画は私の心の中にしかなかったはずだけれど」
「あなたが殺した者に聞きました」
「……どういうことだ?」
「それより、こちらの質問に答えていただけませんか?」
養父は肩をすくめた。
そして、観念したように語る。
「君たちは、色々知りすぎているからね」
「……?」
「君たちは自分がなにをしていたのか、覚えていないのかな?」
「……それは」
「『守護神アレクサンダーに敵対する者を滅する活動』だ。……だけれどね、建国の父でしかないアレクサンダーに敵対する者など、本当に存在すると思うかい?」
「……」
「いないよ、そんなもの。君たちのやっていたのは、ただの強盗、暗殺だ」
おどろきはなかった。
神がいないのならば、神のための行動はなんのために行なわれていたのか――
考えれば、嫌でもわかる。
神ならぬ人のためだ。
「君たちのお陰で、貴族とのよしみができた。私に位をあたえてくれるところまで、話は進んだんだよ。まあほとんど脅迫だけれどね。『あなたのために私は手を汚しました。公表されたくなければ――』ってね」
「……」
「ただ、秘密を知る者は多いと困るだろう? だから、君たちが邪魔だった。私が貴族になるためにはね。……理由はそんなところさ。まあ死体はないので、『君たちを殺した理由』と言えないのが困ったところだが」
「……そうですか」
「仲間をどこにかくまっている?」
「…………」
「……言えないか。まあ、そうだろうね。君たちを殺すのに失敗した時点で、私の夢は潰えたわけだ」
養父はなにげない動作でテオドラに近付いてくる。
そして――涙を流した。
「悔しいなあ……孤児でしかなかった私が、暗殺者を経て、宗教団体を立ち上げ、ついに貴族になれるところまできたのに。まさか、君たちに夢を阻まれるとは思わなかった」
「夢?」
「そうだよ。私は、神なんか信じていないけど、信じているものがあるんだ」
「……なんでしょうか?」
「金だよ!」
言葉と同時に、養父が左手に握り込んでいた小刀を投げる。
それはテオドラの首を狙って飛んできた。
テオドラは飛来する小刀をのんびりながめる。
それから、人差し指と親指で、つまんで止めた。
「……な!?」
養父の顔が驚愕に染まる。
先ほどまで泣いていたのに忙しいお人だ、とテオドラは思った。
「…………ああ、ひょっとして、今のは奇襲のおつもりだったので?」
「……!?」
「そうか。そういえば、そうでしたね。我らが奇襲としてあなたから教わった技術でした、今のは。……しかし、もう、今は、あなたの『奇襲』が『奇襲』に思えません」
「……どういうことだ」
「『奇襲』とは本来、もっとえぐいものです。モンスターなどに注意を割かなければならない状況で、しかも気配を絶たないと『気配』とうるさく言われて集中を乱され、道もわからず果ても見えない冒険の中、まったく気配のない人が意識の死角から行なうものを『奇襲』と言います」
「……」
「正面から、雑談まじりに、馬鹿正直に首を狙って飛ばされる刃が、私にはもう奇襲には思えないのです」
「……お前、私から離れているあいだに、なにをしていた?」
「修行をしていました。邪神とその使徒を殺すために」
「……」
「あなたの教えを守るために。あなたのご命令に従うために。あなたのために殉ずるために、あなたが『邪神』と言い、世界を滅ぼすとした勢力を倒すために命を懸けておりました」
命令だったから。
そうしろ、と言われたから。
……今まですべてを、捧げた。
自分たちは彼に必要とされていると思っていた。
でも――もう、いらないのだ。
養父の態度を見て、テオドラはそう確信する。
だから。
「……あなたの書いた聖典が好きでした。この世には悪いものがあって、いいものがある。悪いことは全部悪いもののせいで、いいことは全部いいもののお陰で、そういう白黒はっきり分かれた世界が大好きでした」
「……」
「どんなにひどい目に遭っても、信仰さえ捧げ続ければいつか報われるという考えが好きでした。倫理にもとる行動をしてもすべては神のためと言える環境が好きでした。あなたの語る邪神との戦いの歴史が好きでした。善なるものの側にいるのだというお言葉が好きでした」
「……」
「あなたが、好きでした」
「…………」
「私を救ってくださったあなたが好きでした。仲間たちに慕われるあなたが好きでした。優しく笑うあなたが好きでした」
「……」
「でも、あなたは我らのことを好きではなかったのですね」
「……それは」
「ついて行ったのに。信仰なんかなくたって、あなたにならついて行ったのに。あなたが秘密にせよとおっしゃるならば、我らはその命令に殉じたのに。あなたの手足となり生涯を捧げることに、我らはなんの不満もなかったのに」
「……」
「本当は神を信じてはいませんでした。ただ、あなたを信じていました」
「…………」
「あなたが我らを不要だとおっしゃるならば、我らはただ去ります。今の私は、あなたに殺されて差し上げることさえ、叶いません」
「……」
「さようなら、養父さま。あなたのためになることができた人生を我らは後悔いたしません。ただ――」
テオドラは静かに笑う。
そして、一筋の涙を流した。
「――あなたに信じてもらえなかったことだけが、口惜しかった」
テオドラはきびすを返す。
『最上の父』だった男は、その背中を見送る。
彼はぼんやりと考えていた。
まだ、彼女たちに利用価値はあるのか、と。
呼び止めて説得するべきか。
本当はこじれていないのではないか。
またやり直し――テオドラたちを使って、もっと富を産めるのではないか、と。
男は考え、去って行くテオドラの背に声をかけようとする。
けれど。
「ああ、失礼、先に俺からのお話、よろしいでしょうか?」
――背後。
死体を捜す時に注意深く観察し、大きな礼拝台をどかしてまで見ていた、背後。
そこから声をかける者がいた。
いるはずのない者の声に、男は慌てて振り返る。
すると――
幽鬼のようにたたずむ何者かが、たしかにいた。
そいつははなはだ奇妙な風体をしていた。
まずは仮面。
獣を模したものとはわかるが、なんの動物なのか、意匠が奇妙すぎて判別できない。
次に、マント。
毛皮で編まれた銀色のマントだ。
ただし、その輝きは妙に妖しい。
その年齢不詳な顔立ちもあいまって、男にはその人物が幻想的に見えた。
だが、どこからか漏れていた光が消えれば、その雰囲気は消え失せる。
輝きがなくなり、残ったマントは銀色から灰色に変化した。
無気味な意匠の仮面は、きっと狐なのだろうと、わかる。
だが、何者かはけっきょくわからない。
知り合いにもいないはずだ。
だから、男はその人物にたずねる。
「……お前は何者だ?」
人物は大仰に礼をする。
そして、笑顔のまま、あろうことか本当に自己紹介を始めた。
「どうもお邪魔しております。俺はアレクサンダーと申します。アレクでも、アレックスでもお好きなように呼んでいただければ」