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172話

 夕刻。

 テオドラが修行を終えて――修行の精神的疲労のせいでアレクにおぶわれてダンジョンを出ると、外には信じがたい光景が広がっていた。



「……みんな?」



 みんながいるのだ。

 同じ神を信じ、同じ教えのもと生きた仲間たちが。


 これは夢か?

 いや、死んでいないという話は聞いていたけれど、てっきり人質にとられているぐらいは覚悟していたのに……

 そのみんなが、拘束されているでもなく、死にかけのまま放置されているわけでもなく、さりとて手足を切断された状態でもなく、元気にぐったりダンジョンの外で待っていたのだ。


 闇に融ける黒装束の集団を見て、テオドラは慌ててアレクの背から飛び降りる。

 そして、キョロキョロと周囲を見回し、頬をつねり、自分で自分の頭を殴って――


 どうやら、夢ではないらしいことを、ようやく認める。

 それから声を張り上げた。



「みんな、解放されたのか!?」



 テオドラの表情は明るい。

 しかし――



「…………」



 返ってくるのは、長い沈黙だけだ。

 みな、一様にぐったりしている、というか……

 うつむいたり、四つん這いになっていたり、精神的にひどい状態なのが、よくよく見れば明らかだった。


 テオドラはアレクの方を振り返る。

 それから。



「貴様のせいか!?」

「なにがです?」



 彼は不思議そうに首をかしげる。

 テオドラは、仲間たちの方向を指さした。



「我らの仲間があんな状態なのは、貴様と邪神がなにかしたせいだろう!?」

「いえ、俺はなにもしていませんよ」

「嘘だ! 私の目の前で、貴様は、泣き叫ぶ仲間たちの手足をちぎり、投げ飛ばし、う……」



 思い返すと恐怖がこみ上げてくる。

 しかし、アレクは笑っていた。



「そんなこともありましたねえ」

「昔日を懐かしむように言うな! そんな和やかな思い出でもなければ、そこまで昔の話でもないぞ!?」

「しかし、今のみなさんの有様について、俺に責任はないと断言できます」

「貴様の言うことなど信用できるか! 絶対なにかした!」

「やれやれ、なぜ信じていただけないのでしょうか……」



 アレクは肩をすくめている。

 それは普段の行いのせいだとテオドラには思えてならないのだが、彼視点だと信用されない理由がわからないらしい。


 彼の周囲で精神的に追い詰められた人物がいたら、絶対にアレクがなにかしたと誰しもが思うはずだ。

 ためしに宿泊客たちに聞いてみればいい。


 テオドラはそう思うのだが――

 彼は、とんでもない責任転嫁を開始する。



「あなた方のお仲間がこんな状態なのは、『最上の父』とその教団のせいでしょうね」

「貴様! 言うに事欠いて我らの教団のせいだと!? なぜ信仰を捧げる我らが、同じ信仰を持つ者のせいであんな有様にならねばならない!?」

「お仲間にたずねてみては?」

「ふん、そうだな! 貴様と話したところで、らちが明かない!」



 そういうわけで、テオドラは周囲に転がる仲間へと視線を転じる。

 ひどく鬱々とした様子なのが、じっくり見るとよくわかった。


 四つん這いになってただひたすら地面をながめる者。

「ひどいひどい」と言いながら泣き続ける者。

 親指の爪を噛みながら、なにかをブツブツとつぶやき続ける者。

 みんな、目に光がない。


 テオドラが知り合った中で、これほどまで人の目から生気を奪える存在は、アレク以外にありえないと断言できる。

 あとはその上司たる邪神本人だろうか。


 テオドラは視線をめぐらせ、邪神の姿を捜す。

 彼女はセーブポイントの近くで座っていた。


 その顔にはニヤニヤと意地悪い笑みが浮かんでいる。

 ……やっぱり、邪神のせいだろう。


 あの邪悪な笑顔は間違いない。

 そう確信しつつ、テオドラは比較的話になりそうな仲間を探す。


 すると、近くに一人発見する。

『最上の父』が運営する孤児院で、もっとも長く一緒にいた妹分だ。


 汚れ仕事には似合わない無垢な顔立ちをしている。

 実際、邪神の使徒殺しが初任務だった。


 それがあんなことになってしまい、精神的ショックもひとしおだろう。

 テオドラの記憶では、彼女が一番早く心が折れていた。



「大丈夫か?」

「……ねえさま?」



 今気付いた、という様子だった。

 この瞬間まで周囲に誰がいるかもわからないほどの状態だったのだ。

 かわいそうに……


 妹分の少女は目の端にたまった涙を一生懸命ぬぐう。

 そして、笑おうとした。

 けれど力なく頬を震わせるだけで精一杯という様子だ。


 よほどひどいことをされたらしい。

 だからテオドラは、妹分を元気づけるように、言う。



「なにがあったか、私に正直に話せ。この私が、貴様の力になってやる」



 妹分はこくこくと何度もうなずく。

 それから、途切れ途切れに語り始めた。



「……実は、信じられないような目に遭ったのです」

「わかるぞ」



 テオドラは今まで受けた修行を思い出す。

 崖から飛び降りた。

 豆を食べさせられた。

 ダンジョン制覇をさせられた。


『足音』『気配』という声は未だに耳にこびりついている。

 今この瞬間にも、背後から奇襲を受けそうな気がして、まったく精神は休まらない。


 もう、心は常に警戒状態だ。

 周囲を動くものの気配に敏感になり、足音や気配は少しでも感知された瞬間に注意されそうな気がして常に無気配状態を心がけるようになった。

 修行前の自分と今の自分とでは、歩き方一つとってもまったく変わってしまっているのがわかる。


 癖をつけられたのだ。

 二度と戻りようのない、強い癖を。


 自分が以前とは違う体に作り替えられてしまっているのをテオドラは自覚していた。

 もう、戻れない。


 その不可逆の変化と、変化に伴う苦行、というか拷問を思って――

 テオドラは、妹分をなぐさめるように語る。



「変化に戸惑う気持ちはよくわかる。しかし、貴様は苦行を乗り越え、着実に強くなっているのだ。……邪神の使徒により肉体が作り替えられてしまったことを汚らわしいと思う気持ちはもちろん私にもわかるが、もう、受け入れるしかないのだ」

「……え?」

「いや、だから、邪神の使徒にひどい目に遭わされて、もう昔の自分に戻れそうもないのが悲しくて泣いているのではないのか?」

「邪神の使徒に? ひどい目?」

「……なぜ首をかしげる。ひどい目には遭わされただろう?」

「あ、いえ、その……」

「崖から飛び降りを強要されたり、文字通り腹がはち切れるまで豆を食べさせられたり、少し足音を立てるだけでそのたび注意をされ頭がおかしくなったり、精神が壊れそうになるまでダンジョンこもりをさせられたり、たまの休息で邪神の使徒のアジトの設備を満喫してしまう自分が嫌になったり、そういうことがあったのだろう?」

「……」



 妹分の涙が止まる。

 そして――なぜか、理解できないものを見るような目を、テオドラに向けた。


 テオドラは妹分からなぜそんな目で見られるかわからない。

 だから、誤魔化すような笑顔を浮かべつつ、言葉を続ける。



「だって、今まで貴様らは捕らえられ、ひどい目に遭ってきたのではないのか? だから私は貴様らの無事を保証するために、邪神の使徒の手を借りてまで、強く、強くなろうと……」

「ね、ねえさま、落ち着いてください……わたしたちは、なにもひどいことはされていませんから……」

「それはさすがに嘘だろう!? 腕とか足がねじれながら吹き飛んで――」

「やめてください! なにもされてません!」



 気が弱いところがある彼女には珍しい、大きな声だった。

 思い出したくないらしい。



「……あの、えっと、ねえさま、わたし、『それ』以外はなにもされてませんから」

「…………なんだと?」

「襲撃に失敗したわたしたちは、邪神の使徒の使徒みたいな人たちに連れられて、看病をされていたのです」

「看病?」

「は、はい……でも、腕とか足は生えてましたから、主に、心の看病ですけど……」

「……」

「それで、元気になったわたしたちは、邪神の使徒の使徒のみなさんとお別れして、一度、教会に戻ることにしたのです……不可能ですからね、あんなのを倒すだなんて」



 あんなの。

 テオドラは邪神の使徒アレクを見る。


 こうしていくつもの厳しい修行を乗り越えたけれど、まだ倒せる気はしない。

 自分が着実に強くなっているのは間違いないと思うのに、強くなればなるほど遠く感じる。


 だから、『あんなのを倒すのは不可能』という発言は共感できるものだ。

 しかし気になることが一つ。



「……教会に戻る時に、私を誘おうなどとは思わなかったのか?」

「…………」

「………………」

「え、えへへ?」

「……もういい。それで?」

「いえ、その、みんなそれどころじゃなかったんですよ! 邪神の使徒の使徒のみなさん、いい方ばかりで……あ、孤児も多いようでしてね、『孤児あるある』とかで盛り上がったり」

「もういいと言っただろう!? なぜフォローしようとする!? 逆に傷つくだろうが!」

「ご、ごめんなさい……」

「……それに、なんたる無様か。邪神の使徒の使徒に温情をかけられ、看病され、それだけでも恥だというのに『孤児あるある』で盛り上がっただと? なぜ仲良くなっているんだ。あいつらは敵だぞ?」

「でも……」

「少し助けてもらったぐらいで心を許すなど、それは邪神の奸計にはまっている証拠だ。情けない。信仰が足りない」

「……でも」

「我らのこんな情けない姿を見たら、我らが養父、『最上の父』はなんとおっしゃるか……」

「なにもおっしゃいませんでしたよ」



 急に。

 妹分の声が、固く、冷たくなった。


 その急激な変化にテオドラは戸惑う。

 そして、たずねる。



「……そういえば、なぜか邪神の使徒の使徒と仲良くなり、見送られ――我らの拠点に帰ったのだったな」

「……はい」

「『最上の父』は任務に失敗した我らをどのようにおっしゃっておられた?」

「なにも」

「……なにも、ということはないだろう。今は聖典に記された聖戦が始まろうかどうかという時なのだぞ。すでに守護神アレクサンダーはお隠れになり、我らが尽力せねば邪神とその使徒が世界を滅ぼすかどうかという……次なる任務はないのか? あるいは、なんとしても邪神を倒せというお言葉は?」

「なにも」

「……」

「『最上の父』は我らを出迎え、ねぎらい、『部屋』に通されました」

「…………」

「そして、部屋に火を放たれました」

「……は?」

「我らは、『最上の父』により、焼き殺されるところだったのです」



 理解が追いつかなかった。

 テオドラは考える。


『最上の父』とは、父母をモンスターにより失った『冒険孤児』である我らを受け入れ、世話してくださっていた養父のことではないのか?

 その養父が、息子や娘同然の者ども、それもより深く彼の教えに傾倒している自分たちを焼き殺そうとする?


 考えても――

 普段の優しい養父と、妹分の言葉が、どうしたって頭の中でつながらない。



「なにかの間違いではないのか?」



 そう聞くのが精一杯で。

 でも。



「いえ、たしかです。『セーブ』をしていなければ、我ら全員、死んでいました」



 妹分は断固として発言を変えなくて。

 ……よろめく。

 追い打ちをかけるように、妹分は言葉を続けた。



「それが、つい先ほどのことです。我ら全員『ロード』をして、この場所に戻ってまいりました」

「……馬鹿な」

「邪神が――あの方が、帰還前の『セーブ』を勧めてくださらねば、我らはもうこの世にいなかったでしょう」



 そこまで言って、妹分は強く口を引き結ぶ。

 こらえきれないように涙を一筋こぼしながら。



「信じていたのに」

「……」

「敬虔でさえあるならば、守護神は我らを守ってくださるのだと、そう教えられ、常に敬虔であろうとしていたのに。……我らはその教えと、我らを救ってくださった養父を慕っていたはずなのに。……なぜ、あの方は我らを殺そうとしたのでしょうか」

「…………」

「教えてください、ねえさま。我らは、なぜあの方に殺されなければならなかったのでしょうか? 我らは悪いことをしすぎたのでしょうか?」

「それは……」

「信じていたのに。……信じるしかなかったのに」



 信じるしかなかった。

 ……その言葉は、残念ながら、テオドラにも理解できるものだった。


 教えを信じる以外の生き方など、なかった。

 だから、一生懸命生きていた。


 一生懸命生きて。

 わけもわからず、殺されそうになったのか。



「……『最上の父』が我らを裏切るはずがない」



 テオドラは思考を止める。

 そして、妹分に言う。



「たしかめてくる。きっと、なにかの間違いだ。貴様らが会ったという『最上の父』は、邪神が見せた幻かもしれん」

「……しかし、ねえさま」

「『最上の父』が我らを捨てるなどあるものか。家を、食事を、衣服を与えてくださった『最上の父』のお陰で、我らは我らの暮らしが神により守護されていることを実感したではないか。その神のために我らは行動を続けた。ならば、このような裏切り、あるはずがない」

「……」

「だから、たしかめてくる。……だいたいなんだ、少し看病されたぐらいで邪神側に懐柔されるなど。そのような弱い信仰心では、『最上の父』が貴様らを見捨てたとして、仕方のないことではないか」

「……ねえさま、その言葉は本気ですか?」

「…………とにかく、たしかめてくる。実際にお目にかかって、話をするまでは、とうてい信じられん」

「……お気をつけて」



 妹分の声は、冷めていた。

 それでも――ともに過ごした仲間たちの信仰心を疑ってでも、テオドラは『最上の父』を信じたかった。


 だから、たしかめに行こう。

 自分ならばきっと、大丈夫だ。


 信じて、慕って、殉じることさえ厭わぬ相手。

 その方が裏切るはずがないと――


 彼女は信じた。

 神を信じるのと、同じように。

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